第25話 久しぶりに、窓越しで
ミッチーという男との邂逅によって完全に頭から抜けていたが、花に洗濯物を返さなければいけないのだった。別に焦るものでもないだろう。となると明日か。……流石に花の家に直接返しに行く度胸はない俺だった。
道ばたの小石を蹴飛ばす。何気なく転がる先を視線で追っていくと、前方にウチの制服を纏った女子が三人並んで歩いていた。
花と、中嶋と、酒井だった。
推定距離――5メートルもない。
――なんで、隠れてんだよ。
俺は近場の塀に隠れて、花たちが去って行くのを見つめる。
くそ、男一人で女子三人の後を追うとかなんか怪しいだろ。少し距離を開けるのが得策だ。
それにしても、酒井があの輪の中に入れているのは喜ばしいことだ。
同じ班になったわけだし、これからもっと仲良くなれるだろう。
まあ……それは置いておいて。西に傾いた太陽の光を受けながら、俺は前を歩く三人の様子を窺う。
ケラケラと笑う中嶋。やけに楽しそうである。
そういえば、花は同性の子たちとは普段どんな会話をしているんだろうか。ちょっとだけ、気になる。
俺は塀から身を出して、少し歩くスピードを上げると、会話の内容が耳に入った。
まずは声の大きい中嶋。
「三井は絶対ない! あいつ何考えてるかわかんないし」
「えぇ~……いい人かもしれないよ」
と花が笑って、
「確かに怖そう。でも……案外優しいかも」
酒井が呟いた。
「ふん。じゃー三井は15点かな」
中嶋がミッチーに点数を付け始めた。
「じゃあ藤川は? ウチ藤川は爽やかでいいと思うんだよね。野球部だし、イケメンだし。モテそうだよね」
「あー、藤川くん優しいよねー。わたしもそう思う」
「……ふ、藤川? どうかな、よくわかんない」
「じゃ、とりあえず藤川は85点」
え、怖い怖い。
同じ班の男子メンバーの批評会が開催されている!?
しかしミッチーはドンマイすぎるな。……15点て。とりあえずで85が付く藤川は流石だけど。
「じゃー蒼希はー? ウチは結構いいと思うんだよね。ちょいイケメンだし!」
今度は俺かよ……。あんまり聞きたくないな。
でも……イケメンか。ちょいでも嬉しい。
「…………」
花、まさかのノーコメント。
「蒼希は……なんか、飛谷と……その、エロい話ばっかしてる。この前だって、なんかヘンなこと聞いてきたし……」
ああーん! すいませんでした! 俺はなんにもしてはいはずだけど! 健治のせいで俺の印象が! 評価点が!
「飛谷? ああ、そういやそんなのもいたね、あいつは2点かな」
乙、健治。点数は付いたみたいだぞ
黙っていた花が、酒井に顔を傾けた。
「……何、聞かれたの?」
ああ、お願いします。やめてください。なんにも言わないで。酒井様ー!
花に幻滅される!
酒井が、口を開く。
「な、なんか……下ネタ紛いなことを……」
「下ネタ……」
「男子なんてみんなそんなもんじゃない?」
中嶋が軽快に笑う。これ以上ここにいたら何を言われるかわかったもんじゃない。
酒井が顎に手を当てる。
「……そう、なのかな。……藤川とかも?」
「いやー、藤川だって中身男でしょ、酒井ちゃん、そんなこと言ってると~」
中嶋が酒井の背後に回り込み、ぎゅっと身体に抱きついた。
「やっ、ちょっと……何をっ」
「こーんな風にされちゃうぞ~こーやって~、こーして」
酒井が中嶋に弄ばれている中、花が歩みを止める。
「べ、別にいいんじゃないかな。男の子だし」
「お……花ってば、うぶそうに見えて、結構男子の理解あるよね。ウチも女だけどさ」
「もう、早く行こっ。夜になっちゃうよ。」
焦ったように前を歩く花に、中嶋が――、
「そういえば花ってさ……蒼希のこと、好きなの?」
突然、そんなことを言い出す。
それに対し、花は――。
「す、好きじゃないよっ!」
彼女の叫びが、俺の耳に悲しく響く。
きっと俺が同じ状況下でも、似たようなことを言っただろう。
だからどうということはない。気にすることなんて、ない。
だが、そうは言っても。
好きな人の口から、好きじゃないと言われるのは存外にショックで。
胸の中にぽかりと虚しい空洞ができてしまったみたいだった。
夕暮れ空が逢魔が時へと変わっていく。俺はそこにしばらく立ち尽くした。
* * *
家に辿り着く。花は先に帰ったのだから、もう家にいるのかもしれない。
「ただいまー」
「あら、蝶おかえり。洗濯物返せた?」
「……ノーコメント」
「何よ、それ」
俺は母さんを適当にあしらって、自室へと戻った。
ネクタイを緩め、全身の力を抜きベッドに倒れ込む。
「好きじゃない……か」
あのとき花の口から出た言葉が、耳に鮮明に残っている。
本当に単純でバカなやつだ、俺は。あんなの、そう言う他ないじゃないか。
それでもこれだけ気持ちが沈んでしまうんだから、恋というのは恐ろしい。
俺はそのまま瞳を閉じて、想いを馳せる。
――誰かを好きになるってこと。
楽しくて、嬉しくて、恥ずかしくて……ドキドキするけど。そればかりじゃない。
同じように辛くなったり、悲しくなったり、悩んだり……。
こんなの初めてだった。
花のことを考えるだけで、胸が苦しくなってしまう。でもそれがやめられない。これが恋の病ってやつなんだろうか。
花に好かれたいから、彼女が褒めてくれた服を買った。髪の毛も花が反応してくれたとき、嬉しかった。やっぱり好きな人の目には格好よく映っていたい。少しでも。だから、柄にもないことを言って、下手くそに格好付けてしまうこともある。
でも、それは花のことが好きだから。同じように、好きになって欲しいから。
先日聞いた芸能界の話だって……花は、きっとまだ悩んでる。相談、また来てくれたりするだろうか……。
俺は温まり始める身体に心地よさを感じて、そのまま微睡む。
――頭の中で、懐かしい記憶が蘇る。
――ちょうはさっ! はなの“カノジョ”になりたい~?
――カノジョ? なあにそれ。
――それはね~、えっとねっ~!
ぱちりと目が開く。
そういえば、そんなこともあった。花は幼い頃より少しおませさんだった。
部屋の外が既に暗くなっていた。俺は習慣のように、花の部屋に目が向かう。
目線の先には、頬杖をつきながらこちらを見つめている花。少し驚いているようだった。
「花……」
俺が目を合わせると、彼女はぷいっとそっぽを向いた。
――まさか、寝顔を見られてたのか?
俺はベッドから身を起こして、窓を開ける。夜風が優しく俺の髪を撫でた。
軽く窓を叩く。すると、あちらも窓を開けてきた。
こうして二つの窓が同時に開いたのは、偉く久しぶりだった。
「……よっ」
突発的に行動してしまったが、とくに用事があるわけでもなかった。俺は恥ずかしくなって、目線を反らしながら言う。
「う、うん」
窓越しの花は、指をもじもじさせながら次の俺の言葉を待った。
カーテン越しにしか見えなかった花の部屋がよく見える。レイアウトは子供の頃とは大分違うみたいだが。
彼女の部屋の窓の下にはすぐ机があって、花がそこで勉強を始めると、自然と身体がこちらを向く形になる。春や夏なんかはよく窓が開いていた。
こちらも同じように窓を開ければ、俺たちは今みたいに気軽に顔を合わせることもできただろう。
「どうしたの? ……こっち見てた? もしかして」
「えっーと……そ、それはね……うーんと」
シャーペンを振りながら、花が慌てた顔をする。
「――懐かしいね、こうやって……窓、開けんの」
「……う、うんっ!」
花は満点の笑みを返してくれる。
「すっごい寝てたね」
「何さ、寝ちゃダメなわけ?」
「ううん、ダメじゃないけど……なんか、面白くって」
くすりと口元を隠して花が言う。
「な、あんまり見るなよー、恥ずかしいじゃん。でもびっくりしたよ、起きたら、花、こっち見てるんだもん」
「なんか、見てた」
「なんだそれ」
「ふふっ、いーの! なんか見てたの!」
こんななんでもない会話が、俺は幸せで仕方なかった。
花と一緒にいると、自然と笑顔になってしまうから。そう思うのかもしれない。
「あ、これ、ありがと」
花が袋を持った手を伸ばしてくる。
俺はそれを受け取って、中身を確認。花が泊まったときに貸したスウェットが入っていた。
微かに甘い花の匂いがする。ああ、家宝にしよう。これ。部屋に飾るんだ。
「そうだ。ちょっと待ってて」
俺はスクールバックからビニール袋を取り出す。しかし、誤って中身が勢いよく飛び出てしまう。花の薄いピンク色のパンツとブラジャーが、宙に舞う。
「……あ」
まるで下着泥棒の部屋ようになってしまう。
「ち、ちょっと! 何するの! は、早く返してっ!」
顔を真っ赤にさせた花が、向かい側の窓から必死に手を伸ばしてくる。彼女の指先が、かろうじて俺の部屋に入る。
これは……手で掴んで返していいんだろうか。
俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、床に落ちた花のパンツとブラジャーをビニールに入れ直し、花の指に引っかけた。
「うぅ……恥ずかしい」
「わ、悪かったよ」
花が瞳を潤ませる。とても恥ずかしそうにビニールを胸に抱えて、部屋の中へ引っ込んでいく。
「そういえば、修学旅行の班……一緒だね」
戻ってきた花が、椅子を引きながら言う。
「てゆーか、ペアだけど」
「……その、教えてね?」
「え?」
「ス、スキー……わたし、きっと全然できないから。優しく、教えてね」
「お、おぅ! 大丈夫。一応幼稚園からやってたし、まかせて!」
頼りにされて、ちょっとだけ嬉しくなってしまう。
ウィンタースポーツ好きの父さんに付き合わされて、五つの頃からずっとやってきたんだ。花に教えるくらい、造作もない。
「ふ~ん……そっか、楽しみ!」
花がにっこりと笑う。
さっきまで凄く悩んでいた俺だったが、彼女の笑った顔が、すべてを吹き飛ばしてくれた。
月夜の明かりが静かな夜に色味を与えてくれる中、俺はそのまま花と微笑み合った。ずいぶん長い時間話をした。でも、そんなの全然気にならなくて。
――俺たち、ゆっくり歩んで行けるかな。
淡い期待を胸に抱いて、俺は微笑む。
それは、最愛の女の子にだけ向ける表情。
高校生活最後の修学旅行、存分に青春を謳歌したいと思う。
一体どんなことが俺たちを待っているのだろう。男子メンバーはもちろん、花とももっと仲良くなれたらいいな。
花――俺、もっと君の近くに行きたいんだ。
君の特別になりたい。
俺と幼なじみの――小さな恋物語が、ゆっくりと動き出す……。
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