第23話 パーティ編成

 ――波乱の三日間を終えた後の日曜日は、とても退屈なものだった。

 普段なら一人でネットゲームに興じる俺だが、頭の中は花のことばかりだ。朝起きたとき。食事をするとき。風呂に入っているとき。テレビを見ているとき。寝る前だって。

 頭の中で花の笑った顔が、照れた顔が、頬を膨らませたところが、鮮明に俺の記憶の中で蘇る。


 自室のベッドの上で、淡い期待を抱きながら窓に視線をやる。ぼんやりと明かりが点っている。

 カーテンは元より開けていたから、花がもしこちらに顔を出してくれれば、すぐに確認できるという画期的スタイルである。


 ――はあ、恋してんなあ……俺。

 柄にもなく俺の心は桃色である。もうね、日々ヤバいよ。日常生活を送っているだけなのに、突然ニヤニヤしてしまうのだから。街歩いてて急に笑い始めるやつがいたら誰だって引く。俺は今その状態になっている。


 とにかく、明日が楽しみだ。

 これまでの三日間で、俺と花の距離はぐっと縮まった……と思う。

 仲良くなってから迎える初めての月曜日。

 期待と緊張に包まれながら、俺は瞼を閉じた。


 * * *


 翌日。


「……何これ」


 俺は糸のように細めた瞳で、椅子に置かれたビニール袋を指差す。


「それ、花ちゃんに返してあげなさい、洗濯物よ。この前の」


 俺はまだ寝ぼけたままの頭を叩いて、考えた。


「……」


「どうやら気が付いたようね。それを返すのはスマホを返すのとはわけが違うわ」


「なんでそのこと知ってんだよ」


「甘く見るんじゃないわよ、母さんのアカシックレコードを」


「壮大すぎんだろ……」


 母さんの意味不明なボケをテキトーに流しながら、俺は食事を終えて、ビニール袋を手に自室へと向かう。


「そのままネコババするんじゃないわよ」


「下着泥棒かよ、俺は」


 母さんとの会話を終えると、俺は学校に行く支度を済ませ、家を出た。花の洗濯物を鞄に抱えて。


「あ」


 ――道中、唐突に思い出す。

 ここ数日間が慌ただしくて、すっかり頭から抜けていた。

 今日は修学旅行の班決めだ。俺たちの学校は、来週北海道に修学旅行に行くことになっている。春真っ盛りだというのに、北海道ではゴールデンウィーク辺りまでゲレンデで滑れるというのだから驚きだ。


 ――花と、一緒になれたりしないだろうか……。



「――なっちゃったよ」


「あ? お前何いってんだよ」


 健治がぽかんと口を開けて言った。俺と健治が座る机で作った島には、他に六人のメンバーがいた。

 修学旅行の班は、男女の部屋班四人ずつで、計八人。

 男メンバーは、俺、健治、藤川、それと三井寿みついひさしの四人だった。

 きっかけは何てことない偶然で、健治と組んだ俺の元に、三井を引き連れた藤川が合流したという形だ。


 一方の女子メンバーは、花、酒井夕さかいゆう佐藤亜由美さとうあゆみ中嶋夏美なかしまなつみの四人だった。


 この八人で、高校生活最後の青春活動を謳歌しようというわけである。

 まだ新しいクラスになったばかりで、お互いのこともよく知らないが、最終的にはみんなと仲良くなれたら、万々歳だ。


 そんな淡い期待を浮かべる俺に――不安な言葉が吐き捨てられた。


「ちっ、女と一緒かよ」


「こら三井、そんなこと言わない」


 一人、島から孤立した三井寿が、眉間に皺を寄せたまま舌打ちをする。

 黒髪のオールバックに高身長、顔立ちも整っているが、無愛想な男だ。

 俺はこの教室で三井が誰かと談笑をしているシーンを見たことがない。

 不良っぽい外見だが、先週の熊沢のような、いやらしさを感じないのが不思議だ。


 ちなみに……俺は見てしまった。

 班決めが始まった途端、彼が机に顔を突っ伏したことを。そのまま動かずにいる三井を、藤川が引き連れてきたということだ。流石はイケメン。

 つまり……俺の推理だと、三井はぼっちということになる。


 俺たちの話し合いは続いた。スキー体験ができるため、経験者と未経験者で別れ、それぞれを教え合うというものだった。経験者は男子が俺と藤川。女子は佐藤と中嶋だった。


「わたし、全然できないけど」


 酒井夕が小さく手を伸ばして、発言する。

 以前健治のエロトークを受けて困惑していた少女だ。いつも眠そうな目をしていて、綺麗な黒のストレートヘアと、小さな背丈のせいでとても子供っぽく見える。


「じゃーウチが酒井さんを指導してあげるよ!」


「あ、ありがとう……」


「ビシビシやってくからねっ! そのつもりで!」


 中嶋がケラケラと笑って、酒井の肩を組む。天真爛漫という言葉がよく似合う、明るめショートボブの女子だ。花や佐藤と仲が良い。愛称はナッチだったか。


 されるがままの猫のような瞳の酒井を放って佐藤が口を開く。


「じゃあ、花にはあたしが教えてあげるね」


「ひゃ~やめてよ、亜由美」


 花を後ろからそっと抱きしめるようしながら、佐藤が微笑む。

 三人の中でもかなり大人っぽい雰囲気を感じる。黒のワンレングスで、巨乳。


「……え、待ってイミワカンナインスケド。え、何? 女子は女子同士で教え合う感じなんすか? え?」


 健治が目を瞬かせながら、ぽかんと口を開ける。

 対面の佐藤が花の白い頬をつねりながら、


「え、ダメなの?」


 まあ、健治の言いたいことはわかる。

 せっかくの修学旅行なのだから、男女ペアでやりたいというのが健治の考えだろう。それには俺も同意見だった。


 ――花とペアになれたりしたら……。

 俺の頭の中がこれから起こりえるかもしれない甘いエピソードで埋め尽くされそうなとき――、


「修学旅行なんだぜっ!? 青春だぜ!? 男女ペアでやらないで何が青春か! 修学旅行か!」


 健治が緊張した面持ちで、席を立った。


「俺は――佐藤と組みたい」


 健治が、堂々と。これまでにないくらい男らしく、佐藤の胸元を差しながら言った。なるほど……おっぱいが目当てか。


「は、はあ……? 何あんた」


「今一度考えてみて欲しい。青春は一度きりだ。俺たちがここを卒業し、学生時代思い返すとき、そこに甘い一時があったっていいじゃないか」


「馬鹿なんじゃないの」


 佐藤が冷たい一言で健治を射貫く。


「……くっ、佐藤……今のは効いたぜぇ……くっくっく。それでこそ俺に選ばれたおっぱ……じゃなくて女よ」


「なんにも嬉しくないんですけど」


 佐藤がふんと息を漏らしたとき、酒井が胸に手をやった。


「……男女ペアなんて絶対にやだ」


「な、なんで」


「だって……ヘンなこととか言うし」


 視線の先は健治。じろっときつい瞳で睨み付ける。

 ごもっともだ。女子に正面から下ネタ言うようなやつである。あのときの失態が仇となったわけだ。


「なっ……」


 言葉を詰まらせた健治が、俺の腋を小突く。早くフォローしろということらしい。


「……まあ、人生で最後の修学旅行だし。最後くらいは女子と楽しくやりたいんだよね、健治は。酒井は未経験者だし、健治と組むことはないから平気だよ。俺は……男女で組むのに一票、かな」


「わ、わたしも……! 男女でいい!」


 俺に続くように、花がびしっと手を上げる。そして、ちらりと俺と目が合うと、お互いにすぐに反らした。なんかヘンな間ができたのが余計に気まずい。


「まーせっかくだし、俺も女子と組んでみたいかな。飛谷の言う青春ってやつ、感じてみたいしね」


 ここで強力な助っ人。イケメン藤川が爽やかな風を吹かせてくれるわけですなあ! お前はもう顔が青春してるんだよ、この少女漫画の主人公め!


「ウチも別にそれで構わないよー! なんか面白そーだし」


 中嶋がにししと笑って、両手を上げた。


「ナッチと花ってば本気で言ってるの? 酒井さんはそれでもいいの?」


 やれやれと髪をかき上げて佐藤が、酒井に訊ねる。


「飛谷じゃなければ……別にっ」


 酒井はさっきから顔を俯けていた。きょろきょろと落ち着かない様子。


「……三井は? それでもいい」


 藤川がそう聞いたときだった。


「冗談じゃねーよ」


 瞼を閉じたまま腕を組む三井の瞳が、ギロリと光る。


「あ、ちょっと――待ちなよ!」


 勢いよく立ち上がった三井の腕を、中嶋が引き止める。


「なっ、なな、何すんだよっ!」


 三井が中嶋の腕を乱暴に振り払う。顔を真っ赤にして。

 え……、何ツンデレなの? 君。愛称はミッチーでもいいですか。


「ウチらみんな同じ班なんだよっ! だから三井もちゃんと話しに参加しなよ!」


 中嶋も負けず嫌いらしい。大きな体躯の三井にしがみつくように、ぎゅっと身体を密着させる。


「……ちょ、い、いい……から、て、手を……手を離せ!」


「中嶋さ、三井と組んでやってくんない? な、三井」


 そんな二人の騒動の中に入り込む男が一人。仲介なら任せろ、とでもいいたげなイケメン、藤川だった。彼の言葉に耳を傾けた中嶋が、


「モチそのつもり! この協調性の微塵も感じられないコイツの性格ぜ~んぶ変えてやるんだからっ」


「はっ……はぁ。なんだよ、ソレ……おい!」


 しかし数秒おいて――。


「けっ……か、勝手にしろよ……! くそっ」


 中嶋に腕を引かれながら渋々と席に着く三井が、頬を染める。まごうことなきツンデレである。

 こうして三井と中嶋のペアが紙に記入されることとなった。


「で、次は? 誰と誰」


 花と組みたいが、みんなの前で宣言するのは恥ずかしい。

「花、俺と一緒にペア組もうよ」、と言えたらどれだけいいだろう。

 それに、みんなの前で、いきなり「花」と呼ぶのは凄く勇気が必要で。教室では苗字すら呼んだことがないのに。


「酒井……俺とペア組まない?」


 藤川がにこっと笑って、小柄な少女に問いかける。


「え……わたしが、藤川と? ……べ、別いいけど」


「ありがとう。よろしくね」


 さっと握手を求める藤川。このイケメン王子はなんなの。白馬にでも跨がってるのか?

 二組目、あっさり決定。それに続くように健治がチラチラと視線を送る先は、


「じゃ、佐藤やろうぜ」


「……まあ、構わないけど。ヘンなスキンシップ取ってきたら叫ぶからね」


「しねーって! あくまでも俺は青春を謳歌したいだけなんだよ!」


 声を上げる健治を余所に、俺は藤川と視線が合った。彼はくすりと笑って紙にペンを走らせる。


「そしたら、蒼希は赤希とペアね。二人とも、それでオッケー?」


「……あ、ああ」

「……いいよ。うんっ」


 俺たちは声を合わせる。そっと花に目を向けると、照れた様子で花がこちらを覗いていた。一瞬だけ視線を合わせて、すぐに戻す。


 ――ああ、学校でも普通に仲よくしたい!

 次の俺の目標が立った瞬間だった。

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