第18話 おもいで軌跡

「……どーして、起こしてくれないの」


「だって、寝てたから……ぐっすりだったし」


「ひ、一言くらい……言ってくれても」


 花が恥ずかしそうに手をいじりながら、もどかしく歩を進めてくる。

 こんな狭い部屋で二人っきりだなんて、想像もしていなかった。


「起こすの、かわいそうだったから」


「別に……気にしないのに」


 むくれたように、花は顔を俯けながらぼやく。


「それで……あの、わたしはどこで寝れば……」


 ギクリとする。聞かれるまで全然考えていなかった。


「ああ、そりゃそうだよね。えっと……どーすっかな」


「……いいよ、別に、わたしソファでも」


「でも、休まらないんじゃ」


「へ、平気! 大丈夫! 邪魔してごめんね、おやすみ」


「あっ、ちょっと」


 俺が手を伸ばしたときには、もう扉が閉まっていた。

 ――な、なんだったんだ、今のは……。

 嵐のようだったな、と思いながら身体を横にする。


 ――数分後。

 ノックの音がして、扉が静かに開いた。


「あれ……どうしたの」


「あのね、……ちょっとだけ寒いっていうか」


 もじもじしながら言いにくそうに。

 確かに女性は冷え性という。俺としたことがそんなことに気がつけなかった。

 俺は押し入れから普段使ってない布団を取り出す。


「これ、使いなよ」


「あ、ありがと」


「……じゃあ……まあ、おやすみ」


「う、うん、おやすみなさいっ」


 花は布団をぎゅっと握りしめ、俺の部屋を出て行った。

 様子がヘンだったのが、少しだけ気がかりだったが。


 ――さらに数分後。


「……ハ、ハローっ」


「……なになに、どうしたっ」


 開けっ放しになっていた部屋の入り口から、花が顔をひょこりと覗かせていた。

 俺はそんな彼女の行動がおかしくて、笑いながらベッドから身を起こした。


「……えっと、その。眠くなくなっちゃった……みたいな」


「お、おう」


「……ということですっ、それじゃあ」


 花は足早に俺の目の前から立ち去った。


「……んぁ!?」


 つい素っ頓狂な声が飛び出る。

 俺は呆然とした表情のままベッドから降り、花を追ってみる。


 すると――薄暗い廊下で、花が壁に寄りかかったまま立っていた。


「……あっ」


「……何してんの?」


 花はイタズラをした子供のように、瞬きの数が不自然に多くなった。


「えっと……ですね。……こ、これは」


「とりあえず入りなよ、中」


「……はい」


 部屋に戻って、俺はベッドの上に座った。

 きょろきょろと辺りを見回す花が、


「……座ってもいい?」


「どこでも座って……って言っても散らかってて場所ないか。ベッドでもいい?」


「……うん」


 言われるがまま、花はちょこんとベッドに腰を降ろす。

 自身の煩悩に苛まれる。“ベッド”と“女の子”という組み合わせが、俺に淡い期待を抱かせる。


 花が周囲をぐるりと見渡してから一言、


「……部屋、汚いね」


「結構ストレートだな」


「……今度、お掃除してあげよっか」


「え、マジで?」


「これでもわたし整理整頓とかすっごく得意なんだよ。嫌じゃなきゃ……だけど」


「あーでも、やっぱ……いいよ。ありがとう、気持ちだけ受け取っとく」


「そ、そっか……」


 残念そうに、しゅんとする花。

 せっかくの花からの誘いなのだから甘えたいところだが、彼女に俺の部屋を掃除させるのは色々とマズい。


 いつの間にやら部屋を見回っていた花が、隅の本棚の前立っていた。


「あっ、これウチにもある!」


 彼女が声を上げて指差したのは……。


「ああ、それは……」


「昔のアルバムだよね、懐かしい!」


「み、見る……?」


「えー見る見る! 眠くないし!」


 俺は棚からアルバムを引っ張り出し、ベッドの上に置いた。それを囲むように俺たちはベッドの上に座る。


「悪い、もうちょっとだけ……そっち行ける?」


「あ、ごめんね」


 花に少し身体をずらしてもらい、俺は分厚い表紙をめくった。

 1ページ目には、母親に抱かれる赤ん坊の俺と花の写真。


 花がそれを見て頬を緩ませる。


「わ~、赤ちゃんだ」


「母さん若いな!」


「ほんとに! まだ二十代くらいかな」


 俺たちは笑いながらページをめくっていく。


「これは幼稚園かな」


 二人で手を繋いで、笑顔で小さなピースを作っている写真。

 幼稚園の入園記念の写真だった。


 俺たちが産まれる前から、お互いの両親は仲が良かった。

 そんな蒼希家と赤希家には共通の恒例行事があった。

 それは、幼稚園、小学校、中学校、高校、の入学、卒業時に、記念写真を撮るということ。


「凄い笑ってるね、楽しそう」


 花の方をちらりと見てみる。笑顔ではあったけど、口元があまり笑っていなかった。

 その表情に、俺の眉も下がる。何も言えなかった。


 俺たちはそのまま時間も忘れて読みふける。数々の幼稚園時代を過ぎて、初めてランドセルを背負った小学生の俺たち出てきた。


「わ~懐かしい……かわいー」


「楽しみだったんだよな、小学校」


 写真の中の俺たちは、二人共笑顔で手を繋いでいた。開いた片方の手は新品のランドセルに。余程小学校が待ちきれなかったのだろう。


 しかし、小学校時代の写真は幼稚園のときと比べると圧倒的に少なかった。高学年にもなると、ほとんど写真も撮られなくなっていった。

 一緒にいることが少なくなったせいだろう。俺は男友達とばかり遊ぶようになった。この頃には名前を呼ぶ回数も激減していた。


 小さい頃からの俺をなんでも知っている花と遊ぶってことが、俺はとにかく恥ずかしくて、次第に俺は花のことを無視するようになった。


 酷いことをしたと思う。残酷なことだと思う。

 でも、当時の俺はそうすることしかできなかった。こうして数年後に後悔するなんて思ってもみなかった。


 ――花はどうだったんだろう?


 ページをめくる。中学生になった日の写真だ。

 遂には二人の距離感も遠くなり、笑顔でもなくなった。手なんて繋ぐわけがない。

 ただカメラレンズに目を合わせているだけだ。


「あー、セーラーだ。これかわいかったんだよね」


「いや……そう言われても、お、俺男だし……わかんね」


「ふふっ、なんか面白い」


 困った俺を、花がくすくす笑った。


 この頃の俺たちの交流といえば、朝学校に向かうときと、その帰り道くらいだ。

 できる限り遭遇しないような時間を俺は選んだし、もし鉢合わせになったとしても、挨拶を交わす程度だった。

 クラスも一度たりとも一緒にはならなかったし、ほとんど会話らしい会話をした記憶もない。

 アルバム内の写真も、入学生式と卒業式の2枚だけだった。


 ページをめくる。ついに高校生になった。

 俺たちは真新しいブレザーに身を包んでいた。

 目線は既にカメラを見ていない。表情はどこか苦くて、嫌々撮らされている、というのが透けて見える。俺たち二人の距離もさらに離れてしまっていた。


 写真を撮ってくれたお互いの母親の寂しそうな顔が、今でも俺は忘れられない。


「どこ見てるんだろ、なんか……あれだね。すっごい嫌そうだよね、あはは」


「…………眠くて、不機嫌だったんだよ、このときは多分」


 苦し紛れにそう答える。花の空笑いに、胸が締め付けられたみたいに苦しくなる。

 彼女の横顔からは、すでに笑顔が消えていた。


 アルバムを見ているとよくわかる。

 俺たちの心の距離が離れていった軌跡が。


 最後のページをめくる。

 幼い頃二人でよく遊んだ空地だった。青い蝶と赤い花がキスをした場所。

 俺たちは隣合って、唇を合わせていた。


「……なっ!」


 親がこっそりこんな写真を撮っていたらしい。

 そして浮かび上がるのは、結婚しようね、という俺たちの“約束”。

 瞬間的に俺の顔に熱が回る。花になんと声をかけようか迷う。


 覚えてないとは……思えない。けれど、子供のしたことだし、核心はなかった。

 俺は気になって、アルバムと花の顔を覗く。


 花の瞳が――潤んでいた。


「………………」


「…………ちゅー……してる」


 長い沈黙を破ったのは、花だった。


「あの……」


 花が少し頬を染めたまま、身体をこちらへ傾けてくる。


「……今日、ここで……寝てもいい?」

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