第17話 イタズラって響きはそこはかとなく性的

「…………」


 沈黙が部屋に広がる。俺たちは二人でソファに並んでだらだらしていた。


 ……テレビとか付ける? てか、何する?

 高校生の男女の遊び方とかよく知らないんですが。


「……ねぇ」


「はいっ、なんでしょう」


 花が急に口を開くから、俺は驚いて身を固める。


「もう、なあに? いちいち~、ヘンだよ」


「そ、そっちが急に喋るから……なんか家来みたいになっちゃったじゃんか」


「……じゃあ、家来さん」


 何だか不思議な感じがした。昨日一度名前で呼ばれたけど、やっぱり基本は『ねえ』、とか『そっち』とかになってしまうから。


 ――ドキリと胸を打たれる。


 少し照れくさかったが、俺はしっかりと彼女の瞳を見つめながら、


「何?」


「……今日学校で助けてくれたこと……ほんとにありがとう。嬉しかったの」


 花は胸の前で指をもじもじさせながら、ぺこりと頭を下げる。


「殴られたけどね、格好悪かったでしょ」


 ――きっと、花じゃなかったらできなかった。あのときは頭が真っ白だった。

 誰にでも手をさしのべられるほど俺は強くないし、勇気があるわけじゃない。


「……ふふっ、そうだなあ……じゃあ、格好悪かったかも」


「…………うん。お? あれ? そうくるか」


 てっきりそんなことないよ! 的なことを言ってくれるのかと……。


「でもね、家来さん優しくていい人だよ」


 どういう顔をすればいいのか困っている俺に、花は微笑を浮かべながら寄ってくる。

 細い指先が負傷中の俺の頬に当たり、優しく撫でてくる。


「…………」


 俺はされるがままの銅像と化していた。このままポーズでも取ったら奈良の大仏にでもなれるだろうか。横の花を見ることができない。


 花の吐息を耳に感じながら、次の言葉を待つ。


「……昔さ、幼稚園のときかな。わたし男の子たちに泥団子とかいっぱい投げられてイジメられてたときがあって。そのときも……助けてくれたね」


「……あー、いつだっけ?」


 俺は素っ頓狂な声で返事をした。

 よく覚えている。たしか年長のときだ。細かな原因は忘れたけど。

 でも驚いた。いきなりそんな幼い頃の話を振ってくるんだから。


「年長さんくらいだったかな? 泣きながらね、花に意地悪するな~! って……わたしのことを庇ってくれたんだよ……。泥団子は当たってたし、結局わたしにしがみついてるだけっぽかったけど」


 花はくすくす思いだし笑いを浮かべながら、そう言った。

 正直言って恥ずかしい。昔も今も泣きながら助けるスタイルだったのか、俺は?


「あ、あんまり……覚えてないな」


「……そっか、そうだよね。何年も昔だもん。……でもわたし凄く嬉しかった。完璧に守れてたわけじゃないんだけど、このへんが……温かい気持ちでいっぱいになったっていうか……言葉じゃ、上手く言えないんだけど」


 花は胸の辺りに腕を持っていって、ぎゅっと拳を握った。瞼を強く瞑って、


「だから……ですね? ……あの……ち、蝶と一緒だと……なんていうか」


 口を詰まらせながら、花は何かを言おうと一生懸命だった。

 俺は身体を彼女の正面に向けて、真摯な瞳で待った。


「……安心、するんです。感謝……してる、の」


 花の精一杯の感謝の気持ちを、俺はひしひしと感じた。

 あまり上手には言えてなかったのかもしれない。

 でも、下手でもなんでもいい。精一杯想いを伝えてさえくれればそれでもう十分。


「……嬉しいよ、すごく。でも……俺が勝手にやっただけっていうか」


「勝手に?」


「……顔、見てられなかったら」


「何それ、すっぴんのこと言ってるの?」


「ち、違う! あのときの嫌がる顔を、見てられなかったってことだよ」


「そ、そっか……」


 花も納得したらしく、膝を折り曲げて体育座りの形になる。


 なんだか――しーんとしてしまった。

 気まずい空気が流れる中、俺の左肩に少し重みがかかった。


「…………お願い。ちょっとだけ、このままでも……いい?」


「……い、いいよ」


 俺は彼女の頭部を受け止めて、そのまま硬直する。


「……なんか、変な感じだねっ」


 花が微笑みながらに言う。

 花の小さな頭からいい匂いがする。ウチのシャンプーを使っているはずなのに、家族の誰とも違う匂いがする。

 彼女は何も言わない。瞼を閉じて、俺に身を委ねるだけ。

 綺麗な横顔だった。発色のいい健康的な唇から、小さな息が抜けていく。

 ただ、時間だけが――進んでいく。


 * * *


 俺ははっと気がついて、瞼を開ける。


「まじか」


 ソファの背もたれに身体を預けながら、俺と花は二人して居眠りをしていた。

 もう時間も遅い。一時間程度寝ていたかもしれない。


 俺の肩で寝息を立てる花を見つめる。


「……ねぇ」


「………………」


「……寝てるか」


 花は穏やかな顔で肩をゆっくり上下させていた。

 俺は花を起こさないように身体を離し、彼女が寝ているのをいいことに、顔を急接近させる。


 ――やっぱり、綺麗な顔だ。

 すっぴんとはいえ睫毛も十分長くて、白い肌もつるつるの卵のようだった。


 そんな花の安心しきった寝顔を見ていると……。

 俺は――無性にイタズラがしたくなった。


 俺は顎を撫で回しながら、にやにやを押さえられない。


「……失礼します」


 生唾を飲み込んで、そっと、人差し指を接近させる。

 到達した先は――ふにふにのほっぺた。

 数度、指で突っついてから、そっと離す。


「ふぅー……」


 なんだこの背徳感。楽しい。俺が喜びに浸っていると――。


「んっ……んん」


 花は少しだけ眉間に皺を寄せ、顔を傾けた。そして聞こえてくる穏やかな寝息。

 ――セーフ。


 しかし――かわいい。なんだこのかわいさは。

 ベストキューティストかよ……。いや、なんだよそれ。


「…………」


 少しだけ、攻めてみたくなる。俺は大胆な行動に出ることにした。

 先日読んだ少女マンガ(母が勧めてきた)を思い浮かべながら、花の耳元で――。


「……お前、かわいいな」


 ぼそりと一言。

 こんなべったべたなセリフを言うつもりなんてなかったが、深夜のテンションというのを馬鹿にしてはいけない。今の俺ならなんでもできる。


 なんとも言えない快感を覚えつつ、寝息を立てる彼女に気が気でない俺は、ソファから腰を上げた。


 ――さて、どうしようか。

 愛しく寝息を立てる花を前に、俺はうーんと思いを巡らせる。


 俺も……ここで、そのまま寝ちゃう? なんてダメっすか。

 いやあ……何言ってるの? お前マジ、死ぬ?

 幼なじみとはいえ俺たちは若い男女、こんな狭い場所で一緒に寝たりなんかしたらもうそれこそおしまいですよ。俺の理性がね。


 ……とりあえず。

 俺は花の後頭部をそっと持ち上げて、クッションを間に挟んだ。


 起こすのも悪いし、ここで朝まで寝かせておこう。

 リビングの電気を消そうとリモコンに手を伸ばしたとき、思い出す。


 昔から、寝るとき花は部屋を真っ暗にするのを嫌がった。ウチに泊まりに来たときは、夕方のでんきにして! と主張し、照明関係の主導権を握っていたのをよく覚えている。

 俺は笑みを浮かべて、保安灯のボタンを押した。


「……おやすみ」


 押し入れから持ってきた掛け布団を花に被せ、俺は階段を上がり自室に入った。


「はわいふぎだおぉ……はわいふぎだおぉ!!」


 いつもの如くベッドに顔を押し当てながら、声を荒げる。

 俺は立ち上がってからカーテンを引く。隙間から薄い月明かりが差し込んできた。


 真夜中だというのに、心臓は一向に静かにならなくて。

 ……さっきの寝顔が忘れられない。花のことで頭がいっぱいだった。


 ベッドに倒れて、天井を眺める。

 自然と、頬の筋肉が緩んで、ニヤついてしまう。


 一人心地良い気分になりながら、俺は布団をぎゅっと抱きしめた。


「……かわいいな、お前」


 もう一度言うが、これは俺が一人きりだから言えることである。

 世にも恥ずかしいセリフを布団に投げかけながら、唇を尖らせて顔を接近させる畜生の俺を誰が止めてくれるというのか。しかし――刺客は案外早く訪れた。


 ――なんだ?

 足音が聞こえる。そして、俺の部屋を叩く音。

 ぎょっとして俺は身を正す。少し深呼吸をしてから、


「……いいよ、開けて」


「……どーして、起こしてくれないの」


 顔を俯ける花が胸を押さえながら、頬を染めた。

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