第16話 すっぴん

「パンツ……」


 わかっていたのに、身体が硬直する。幼なじみと初めてする下着の話だった。

 花は顔全体を真っ赤に染め上げて、崩れ落ちるように膝を抱きかかえた。


「もうやだぁー!! 恥ずかしい~」


「……あ、いや……」


 俺が花の下着話に対応できずにいると、彼女は膝を解放し、そのままソファに顔から突っ込んでいった。


「ちょっと!? 何してんのっ!!」


 衝撃的な花の行動に、俺は声を張る。まさか花がソファダイブをするくらい取り乱してしまうとは。その瞬間を目撃してしまった俺の瞳に、ついでにとんでもないものが映った。


 ――花のパンツ。


 これは事故だ! 見えてしまったのだからしかたない! でも色まではわからない、まさに奇跡の一瞬だった。


 ――昔にも見たことは何度かあった。でも、そのときは興味なんてなかった。ただの服の一部だったんだ。

 だが、今は違う。現在の彼女のパンツは、一人の女の子のそれだ。


 ぼふん、と花はクッションに顔を突っ込んで、お尻をこちらへ向ける始末。

 反らした目を少しずつ戻していくと――。


 ん、ちょっと……? なんか――まだ。見えて――。

 若干折れ目ついてめくれてる! 花、スカートがっ!


 ――きっと本人は気付いてないだろう。

 俺はこのまま特定部位を見定めていたい気持ちを抑えて、首肯した。

 いやなんの頷きなん? 自分。


 混乱しかかっている頭を整理しながら、俺はソファに近づく。


 ――しかし、本当にどうする。バレないようにそっとスカートを直してあげるか、それとも軽い感じでスカートがめくれていることを本人に伝えるか。


 だめだ、やっぱり見てしまう。長時間考えるほどに花のめくれたスカートに注ぐ視線が熱くなっていく。これはマズい。


 俺は手早く花の付近に近寄り、彼女のお尻にそっと手を伸ばす。


「…………っ」


 くっ……一体なんなんだ、この図は。この背徳感は。


 いいか、落ち着け。冷静になるんだ。

 俺は変態じゃない。限りなくそう見えるだろうが、断じて違う。彼女の名誉のために、貞操を守るため、スカートを軽く下ろすだけだ……。


 俺の手がスカートに触れる直前――。


 クッションに顔を埋めていた花が、くるりと首を回した。


「……ん?」


「…………なっ」


 つい声が出た。


「………………え?」


 長い沈黙の後の疑問符。結末は、考えられる中での最悪の事態。

 端から見れば、俺が花の華奢なお尻に、悪しき手を近付けている瞬間であった。


「…………何、してるの?」


 花は途端に頬を赤く染めて、眉間に皺を寄せる。

 疑惑の瞳で、ぎろりと鋭い視線を投げかけてくる。――ああ、その視線も悪くない。ってそんなことを言っている場合か……?


「……あ、いや……これは……違う。は、ハエが……いたっていうかさ」


「……ハエ?」


「……うん…………あれ、あ……、ごめん、違ったわ。ゴミだった」


 俺はスカートの端に一瞬触れて、小さな糸くずを引き抜く。


「……あ、ありがとう」


「…………うん」


 俺は糸くずを近くのごみ箱へ投げた。見事シュート。

 ――うっしゃあッ!!


「…………」


「…………」


 ――どうしよう。

 なんか余計に面倒くさい感じの空気になってしまったらしい。


 花はさっきまでのお尻投げ出しスタイルをやめて、しっかり座り直した。

 先ほどのことがやはり気になるのか、疑わしげに俺を凝視していた。


 俺は瞼を閉じ、この部屋のオブジェとなるべく精神集中していると、ゴミ屑も同然の俺に女神のかけ声。


「あの……それで、その…………さっきの話なんだけどね」


「……入りなよ、用意しとくから」


「……あ、ありがと」


「うん、洗濯機の上に着替え一式、置いておくから。ごゆっくり」


「……う、うん。じゃ借りるね」


 花が早足で風呂場へ駆けていく。


「…………ふう」


 明らかに疑いの視線を頂いたが、とりあえずなんとかなったらしい。できれば、さっきのことはなかったことにしていただきたい。


 俺は階段を上がり、自室で花が着ることになる部屋着の選別を始める。

 とりあえず無難なやつがいいだろう。スウェットの上下に、中に着るTシャツ、俺のボクサーパンツとバスタオルを用意し、洗面所へと向かう。


 さばぁ、と、お湯が地面を叩く音をしっかり俺の耳がキャッチする。


「…………」


 俺の心臓は、暴れ馬も同然だった。

 ――我が家で、花が裸で風呂に入っている。

 恥ずかしくて。でも嬉しくて。もうたまらなかった。


 なかなか洗面所に入れず、悶々とする俺。

 お湯が叩きつけられる音を聞きながら、頭の中では独りよがりな映像が勝手に創られていく。


 そんな己を、俺は自ら軽蔑する。

 小さい頃から知っている幼なじみを、性的対象として確実に意識してしまっていることに罪悪感を覚えながらも、やめることができずにいる。


 ――好きだから。きっと花のことが、一人の女の子として好きだから。

 そんな花が裸でお風呂に入っていたら、変な想像をしないほうがおかしい。

 こんなことを考える俺を、花が知ったら気持ち悪がるだろうか。

 でも――これが俺の本音だ。


 俺は覚悟を決めて、洗面所に向かった。

 磨りガラスの向こうに、きっと全裸の花がいる。

 扉を一瞥する。ぼやけた世界の向こうに見えるのは、圧倒的な肌色だ。肌色! 肌色!

 俺はダメになりかけた頭を叩いてから、


「……着替え、ここに置いとくよ」


「……ひゃっ!?」


「……あっ、えっ……? なんか……すいません」


「着替え、ありがとう……」


 反響した声が返ってくる。くぐもった声で、かなり色っぽく聞こえた。

 俺は胸のドキドキを押さえながら、直ぐさまリビングへ向かう。

 そのまま花と同じようにソファにダイブ。


「…………うぉおぉおぉお」


 変な呻き声を上げながら、俺はクッションを押しつけて思い切り叫んだ。

 一瞬時計に目をやる。既に針は11時を指していた。

 ――楽しい時間はすぐ過ぎるってことか。


 色々問題はあるけど、やっぱり花といるのは楽しかった。それだけで満たされる気がする。寧ろ、今までずっと一緒じゃなかったのが不自然だったんだ。子供のときは、いつも隣にいたんだから。


 遊ぶこと以外なんにも考えてないバカな子供だったけど、楽しかったな。

 きっと花と一緒だったから、今の俺がいるんだろう。

 花と一緒に過ごしていなかったら、性格も全然違う人間になっていたのかもしれない。


 俺は天井を見つめながら、悶々と花のことを想った。

 しばらくすると、廊下を歩いてくる音が聞こえた。


「ありがと、気持ちよかった」


 淑やかに濡れた髪をタオルで拭いている花が、リビングにやって来た。


「そりゃよかった」


 ちらりと彼女を確認。

 俺の貸した部屋着は、だぼだぼのぶかぶかだった。

 俺が身長175センチ、花が大体160くらいだから仕方ない。


「……ぶかぶかだね」


 砕けた感じで笑いながら聞いてみた。


「……そう……かな」


「ちょっとこっち向いてみてよ」


 気さくに言ってみる。だが――。花は途端に声のトーンを下げた。


「……や、やだ」


 内心相当なショックを受ける。花に否定されると、それだけで俺の心はズタズタだ。


 まさか――怒っているのでは?

 今までに起こした非礼の数々によって堪った不満が、ここにきて憤怒に変わったって言うのか!?

 改めて思い返すと、色々やらかしてる俺は死ねばいいと思った。

 俺は落胆したまま、質問する。


「なんか、怒らせちゃったかな」


「……え? なんで?」


「だって……こっち向くのやだって」


「あっ、違う違う……それは」


 花はタオルで顔を覆い隠したまま、唇を突き出す。


「…………すっぴん、なんだもん」


「……すっぴん」


 俺は花が言った言葉を繰り返す。


「すっぴんなんて、見せられないよ……その、あれだし……」


 まぁ確かに、高校に入ってから軽めの化粧をするようにはなったみたいだけど。


「別に……気にしないよそんなの」


「わ、わたしが嫌なんです! だから――」


「じゃあ、今日は……もう顔合わせないってこと?」


「……むう」


 俺の問いに、花は黙り込んでしまう。


「……見せてみなよ」


 俺はすっと花の正面に進み、彼女の頭に被っているタオルを取り払った。


「……あっ」


 きょとんとした顔で、俺をじっと見つめる花。


「別におかしくないと思うけど」


「うっ……」


 元からナチュラルメイクだったからか、あまり変化は感じない。いつも通りのかわいらしい顔をしている。


「……も、もうっ……あんまり見ないで! 部屋着がぶかぶかなのかどうかを見たいんでしょ? ほらっ、見なよ!」


 半ばやけくそ状態の花が、俺から目を反らしながら、がばっと両腕を持ち上げた。


「……ふふ、ほんとぶかぶかだわ、ヤバい」


 自然と笑みがこぼれる。


「あんまり……笑わないでよ! は、恥ずかしいから……ねえってば!」


 袖の長いスウェットで口元を隠しながら、花が俺の肩を軽く叩いてきた。


 そんな彼女の小さなスキンシップに、俺は幸せを感じてしまう。


「ごめんって、でもなんで見られるの嫌なの?」


「……べ、別に……そこは……い、いいでしょ!」


 花が頬を膨らませながら、そっぽを向いて、ふんと鼻息を漏らした。


「……なんで化粧するの?」


 俺は常々疑問に思っていたことを質問する。どういう心情の変化で、彼女が化粧をするに至ったのかを、単純に知りたかったのだ。


「え~……そう言われてもなぁ。うーん……か、かわいく……なりたい……から」


 小さな声で花がぼやく。


「そっか」


「……あんま変わんない?」


 不安げな顔で問いかけてくる。


「う~ん……そこはノーコメントで」


「え~……何それー」


 かわいくなりたいから、って一途な気持ちで化粧をする花は、外見も中身ももちろんかわいい。

 でも――すっぴんはすっぴんで肌のきめ細かさとか、花の素朴さが出る気がして、俺は好きだ。


 俺にとってはどっちもかわいいよ。

 そう簡単に言えないのが、ちょっぴり歯痒いけれど。


 いつか言えたらいいな、花にかわいいよって。

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