第15話 パンツ
「あー、風呂ねー」
――え、ちょ、マジで? これお約束のあの展開?
俺は生唾を飲んだ。……これって、まさか……一緒にお風呂……的な!
逆立った野生生物のようなギロリとした眼光で、俺は花を凝視する。
欲望に抗うこともせず、俺の脳が彼女の衣服を破っていく。
成長した幼なじみの魅惑的な裸体が、安易に想像できてしまう。
「……どうか……した……?」
「……えっと、風呂ってさ」
眉を顰める花に、俺は勇気を出して訊ねた。
「俺だけで……?」
「…………何、言ってるの?」
花が頬をぴくぴくさせながら、強張った顔で返答する。
「あ、いや……これは……そういうわけではなくてですね」
「ご、ご飯を先に作っておくので……先に、入ってきちゃいなよ」
「……は、はい」
――やっちまったァァァァァァァ!!
冷静に考えて花と一緒に風呂に入れるわけないだろ、お前失言どころじゃないぞこれ、万死に値するぞこれ!
「……あ、あの!」
足早にリビングから立ち去ろうとすると、花が力んだ声で俺を呼び止めた。
振り返ると、彼女はくぐもった声音で、
「こ、今夜……スパゲッティ、作るね。それで……あの、エプロンとかって……ある? 持ってきてないから、今日」
「ああ……じゃあこれを」
いつも母さんが使っているエプロンを渡すと、花は焦った様子で逃げるようにキッチンへ向かった。
「な、何……?」
彼女の後ろ姿をじっと見つめていた俺に、花がびくりと身をすくめた。
「あっ、いや! なんでもない。……悪いけど、お願いね」
「……うん、ゆっくりしておいで」
引きつった顔で笑う花を置いて、俺はリビングを出た。そのまま風呂場へと向かう。
ああ……絶対に引かれた。一緒に入るとか普通聞く? 花の様子も明らかにおかしかった。ほんとに、なんであんな失言を……。
――そういえば、花はウチのお風呂に入るんだろうか?
いや、そりゃ入るだろう、何を言ってんだ! 一日くらいいいだろうとか思うこともあるが、基本的には入りたいはずだ、女子だし。
ここ最近、面倒くさくて全部シャワーで済ませていたけど……今夜は花がいるし、風呂を沸かすか迷う。
もし、浴槽に湯を張るとして……俺が入った後の残り湯に花が入るってこと……だよな。――それ……ヤバいな。超ヤバいな。花、気にするんじゃないか? そういうの。やっぱりここは無難にシャワーでいくべきでは? ――いや、でも。うーん。
――よし、ここは、攻めよう。
俺は浴槽をこれまでないくらいに入念に掃除した。タイルまでピカピカになったのを確認すると、湯沸かしボタンを押した。10分ほどで湯が沸くだろう。
作業を終え、特有のいい匂いが俺の鼻腔を刺激した。
「……あれ? もう出たの」
キッチンから、花が首を出す。
「いや、風呂沸かしてきただけ」
「……ふ、ふ~ん」
彼女はそう返事をして、再び調理に戻った。
俺はソファにどかりと座って、意識を花のほうに集中させつつもテレビを付けた。
「…………」
「…………」
なんすか、この空気なんなんですか。いやお前のせいだよ。
さて、どうやって花も風呂に誘おうか。
違うよ? 決して一緒に入ろうと企んでいるわけではなく、俺が出た後に花が入浴するためには俺はなんて言えばいいのか考えていたわけさ。
「そういえば風呂入る?」と聞いたとしよう。
「私はいいよ~」とか断られそうな気がしてならないんだが。
俺がそういう聞き方したら、きっとそう返さざるを得ないよな。花の性格的に。
――どうする。
そうだな。風呂沸いたら俺はさっさと入ってしまって、上がったら花の作ってくれた晩御飯を楽しく一緒に食べる。そして、食器を片付けるときに……爽やかに、嫌らしさの欠片もなく、こう言おう。
「あ~、そういえばお風呂入っちゃいなよ」
――これだ! 完璧だろこれ、最高に爽やか演出できてるだろう。
ユー、入っちゃいなよ的なね。これで花もきっと了承しやすいだろう。
俺の決意が固まったところで、独特の効果音が部屋中に鳴り響いた。どうやら風呂が沸いたらしい。
俺は部屋着一式と下着を手に風呂場へ向かった。
* * *
「……ふぅ」
頭だけ突き出し、今日の疲れを浴槽内に拡散する。
水気でしわしわになった指先を眺めながら、思い出す。
よくこの風呂場で二人で遊んでたことを。うろ覚えなところもあるけど、それでもあの空気は今でも忘れてない。
――幼なじみか。
しみじみ思う。俺たちも昔の漫画みたいに、大きくなっても馴れ馴れしくいられる二人だったら、と。それも一つの形だとは思う。だけど……。
恋が叶わない幼なじみだっているはずだ。
昔の思い出がいくら素晴らしかろうと、過去ばかり振り返るようじゃ、恋仲になんてなれない。
身体も心も……もうほとんど大人になってしまっているのに。幼い頃のような、単純な関係ではもういられなくなっているのに。大きくなってもどこか昔の距離感のままだと、信じて疑わない。
どこかで願ってる。あのままでいられたら、と。
でも、そんなの幻想だ。妄想の類いだ。現実とは違う。
二人で過激な恋愛映画を見れば、気まずい空気にもなるし、目を合わせれば途端に言葉が出てこなくなる。胸が苦しくなって、身体が熱くなる。視界に入ってこずとも、頭の中にはいつも彼女がいる。
――俺は花のことが、好きで、好きでしょうがない。
浴槽から上がり、身体を拭いて髪を乾かしてから、リビングに戻る。
「……いい匂いだなー」
「あ、あがった? 丁度できたところだよ」
花は湯気が立ち上る皿をテーブルに運び、飲み物をグラスに注いでいるところだった。俺は食欲をそそる香りを胸いっぱいに吸い込んでから、席に着いた。
「凄いじゃん。めちゃくちゃ美味しそうだ!」
「ふふ、口に合うといいな。じゃあ、食べよっか」
トマトソースの上に鶏肉がまばらに乗っていた。シンプルでありつつ小洒落ている。
俺はフォークを握って、対面の花の表情を窺う。
――花は気がついてるのかな。
俺たちの今の雰囲気、まるで新婚の夫婦みたいな感じになってるんだけど……。
言葉では表せないこの空気がもどかしくもあるけど、甘くて、最高だった。
自然と微笑んでしまう。幸せオーラが、全身から溢れ出すような感じだ。
「……どうかした?」
「……んへっ、でへ」
花が俺のにやけた表情を不思議そうに眺めてくる。
何が“でへ”だよ。気持ち悪いわ!
ああ、お願いします引いたりしないでください花様。
「何? なんかにやにやしてるー」
花が可笑しそうに笑みを浮かべる。
「な、なんでもない。いただきます!」
「ふふ、召し上がれ」
俺はフォークをパスタの山に差し込んで、くるくると指先で銀食器を回した。そのまま口へ放り込み、噛みしめる。
トマトソースが一瞬で口に広がり、後から鶏肉の旨味がやってくる。パスタ自体にも甘みを感じるし、他の材料との兼ね合いも考えているのかもしれない。とにかく、美味しいのだ。
「おっ、美味いよこれ」
「ほんとー、よかった~。冷蔵庫にある食材で済ませちゃったから、少し不安だったんだけど」
嬉しそうに調理方法を話し始めるその笑顔が、とても眩しかった。
あまり自分から話題を振ってこない花が、たくさん話してくれたのが嬉しい。相づち程度のことしかできなかったけど、自然とこっちも笑顔になった。
食事を終えても、しばらくたわいない話を続けた。
中学のときの面白い先生のモノマネや、当時流行していた遊びなど。
俺たちはずっと距離が遠いと思っていたけど、存外にも共通の笑い合えるネタを多く持っていた。十八番の社会科教師のマネをすると、彼女はお腹を抱えて泣き始めてしまった。
「……ちょ、も、もうダメ。お願い……ほんとにやめて! ……ふっふっ」
「そんなに面白かった?」
「だって、すっごく似てるんだもん」
花が突っ伏した顔を上げると、特徴的な大きな目には、涙が溜まっていた。
それを見て、学校での出来事を思い出す。
今日、彼女は俺のために泣いてくれたんだということを。
「あー、泣いてる」
「誰のせい~?」
白い歯をいっーとさせて、威嚇のつもりだろうか。かわいいな。
「……ふふっ」
「何、まだ笑ってんの?」
「ああ、もうダメ。これ……しばらく忘れられない!」
花は、必死に両頬を指でつねって笑いを耐えている。
「もー!」
「ははは。何それ、怒ってるの?」
「怒ってないよ、睨んでるの! じーって」
威嚇する仔犬みたいに目を細める。だけど、それすら愛おしかった。
花の思い出し笑いも落ち着き始めた頃、
「ごちそうさまでした! 凄く美味しかったよ」
「ふふ、そう言ってもらえてよかった」
食器をキッチンに運ぶ途中で、花は微笑を零した。
不思議と気分が穏やかになる。
今なら、さっと言えるかもしれない。
「食器洗いは俺やっとくからさ。……お、風呂でもっ……入っちゃえば?」
――詰まった。相変わらず決まらない。
俺の言葉に、明らかな戸惑いを見せる花。
「ええ、そんな悪いよ」
「何言ってんの、三日間も料理作ってもらってるんだから。ゆっくりしておいでよ」
「んー……どうしよっかなあ…………」
花がうーんと唸りながら顎に手を乗せた。
「お風呂、嫌い? シャワーのがよかった?」
「ううん、そんなことはないんだけど……その、い、一応――」
「……一応?」
俺の心臓がとくん、とくんと少しずつ高鳴り始める。
「……ん~、なんでもない。じゃあ……お言葉に甘えて、お風呂借りちゃおうかな」
――キタよこれキタよこれキタキタ。
十数年ぶりの時を得て、花がついにウチの風呂に入ることになるなんて。
しかも俺の入った残り湯に――ダイブか。(キモいからやめろ)
「でも、わたし、お着替えとか……その、色々ないんだよね」
「あ、それもそうか」
当たり前である。まあでもそこはなんとかなるだろう。
「……俺の部屋着とかでよければ、いくらでも貸すけど」
攻めろ、俺! 負けるな。花をお風呂に入れろ!(なんの信念なんだ)
「いいの? なんかゴメンね、何から何まで」
「いやいや、何を! 世話になってるのは俺だから! ……全然」
――でも、下着はどうすんだろう。
まったく考えてなかった。何? 俺のパンツ貸せばいい? 照れるけどもいくらでも貸しますよ? ええ、勝負パンツだろうがなんだろうが貸しますけども。
いや、ここでまさかの母さんパンティ召喚? それはちょっと……あれだよな。
ん……ちょっと待て、もしかして……ブ、ブ、ブラジャーも? いるのだろうか。
ヤバいなコレ、今世紀最大のパイナポーだ。
いっそ聞いてしまうか……?
「えへへ、下着は何はいてんのー? げへへ」
「え、ちょっと、何聞いてんの……キモい。死んで」
――ってなるだろ。間違いなく。無理だ! そんなの俺にはできない! 妄想の中の花はドライだな、しかし。
俺は己の妄想に勝手に傷つきながらも、思案を巡らす。
いや、違うんだ。何を履いているかは問題ではない。例え花がすけすけパンティを愛用していようが、ラブリーピンクだろうが、くまちゃんパンツだろうが今の俺にはなんの関係もないんだ。
問題は、パンツを借りるのか、借りないのか、ブラジャーはどうするのか、ただそれだけだ。
ここで考えてみよう。俺がこの系統の質問をする際、ジャンルの区分けとしては、果たしてこれは『下ネタ』に該当するのか? という点だ。
部類としては間違いなく下着の話だ。果てしなく聞きづらい話題のはずだ。
しかし――俺はこの任務を遂行せねばならない。
俺は半ば血走った瞳を、花の胸部とスカートへと向ける。
――くっ! 性的だ! 特に胸だ! おっぱいだ! こいつがとてもマズい。
小さいときは胸なんて少しも無かったのに! なんでそんなに膨らんでいる? いつ、だれが空気を入れた!?(迷走)
しかし、こんなハニートラップたちに負けるわけにはいかない。
俺はこの欲望と煩悩が渦巻く壮絶な戦いに勝たなければならない!
俺が想いをはせていると――。
「あの……さ」
「……お?」
「……あの、ですね」
「……はい」
たまに出現する敬語が、移った。
「…………ん~っと、……い、言うの……恥ずかしいなあ」
「な、何? なんでも言いなよ」
とくん、とくんと俺のハートビートが唸りを上げる。
なんとなくだが、質問の内容がわかるような気がしたからだ。
「あのね…………男の子用で、いいんだけど」
「う、うん」
徐々に花の頬に優しい色がぽっと浮かぶ。
「――パンツ……貸して欲しい……んです……けどっ」
――――やっぱりパンツだぁー!!
パンツァーフォー!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます