第14話 幼なじみ倫理規定R15+

 ――距離近かっ。


 近すぎるくらいに近い。身体が接触しそうで、しない距離間。

 花のスカートが、俺のズボンに少しだけ当たっている。彼女の柔らかそうな太ももが触れそうだ。

 これだけで、もう俺はご飯三杯はイケる。いや、何言ってるの。落ち着け。


 とりあえず一度精神を集中させて――深呼吸。

 すでに映画は始まっていた。


 序盤から、置いてけぼりである。

 花が隣にいては、映画の内容に集中できない。嬉しいけど、困ったものである。


 金髪ショートカットの女性が早くも失恋したらしい。

 物語は進んでいき、ついに中盤に差し掛かった。

 エリート商社に努める三股のイケメン野郎が、過去に恋人関係にあった主人公と再開し、あの手この手でアプローチをしてくる。それをなんとか回避したと思われたが――結局次のカットで、二人ともホテルに来ているというオチだった。


 ――これ、まさかとは思うが。

 俺はテーブルの上に投げ出されているディスクケースに目を向ける。

 いや……だめだ、製品版のパッケージでないと、あの表記はない。


 俺が探していたのは、映画倫理規定の区分表示マークだった。

『PG12』とか、『R15+』とかだ。これによって、その映画の表現の区分が決まる。『G』と表示されていれば、全年齢対象、そこまでの過激な性愛描写は描かれないだろう。しかし――それ以外のものである場合……。


 俺は冷や汗を浮かべ、隣の花をチラッと見る。

 花はテレビに釘付けで、ぎゅっとクッションを抱いていた。


 ――ついに始まった。

 イケメン野郎が主人公の服を一枚一枚剥いでいき、遂には上半身が露わになった。


 ――ッ!! お、おっぱいだ!


 俺の心が身構える。これは『PG12』以上の区分が成されている。

 いや――もうこれは『R15+』で確定の可能性が高いッ!


 俺は、もう一度花に視線を向ける。

 ――耳が、面白いくらいに真っ赤である。


 二人は濃厚なキスを絡めながら、ついには裸でベッドに倒れた。

 ――アカン、これアカンでお母ちゃん!

 親とかと一緒に観てても気まずいっていうのに、花となんてとんでもない!


 ――まずい。ここは……必殺、トイレ作戦の決行か?


 生々しい音が、部屋中に響く。

 喘ぎ声に混じった吐息が、またとんでもない色っぽさを演出している。


 乳を荒っぽく揉みしだきながら、男が金属音をならしつつスラックスを脱ぐ。そのまま下着を床に落として――、遂に。


 ――や、ヤリやがった……。花の目の前でなんてことするんだよ!

 もう観てられない、と俺は目を反らすついでに隣の花を確認する。


 耳は真っ赤だが、クッションを抱いたまま一ミリも動かない。彼女の瞳孔は真っ直ぐテレビへと向いていて、至って普通に映画に集中していた。


 ――普通、なのか? 花映画好きみたいだし、見慣れているのかもしれない。

 テレビに視線を戻すと、お二人はもう完全に楽しんでらっしゃる。


 ぱんぱんと、なんともいえないエロティック音を耳にしながら――やっぱり何度でも、気になってしまう。俺はまた花のことを見るために、顔を横に向けた。


 すると――次は違った。

 顔を真っ赤にさせた花が俺と同じように顔をこちら。

 目と目が、しっかりと合う。この近距離で。顔一つ分くらいしか離れてない。


 黒い瞳孔が小刻みに震える。完全にお互い固まってしまう。

 部屋には喘ぎ声だけが広がっていた。


 俺たちは真っ赤な顔で向き合って、そのまま動けなかった。


「…………」


「…………」


 ――何か、何か言わないと。

 軽く頭がくらくらしてきた。意識がはっきりしない。ぼうっとする。


 俺は少しずつ上体を花に近づける。また、下半身付近がきゅんとする。何か、分泌されているのかもしれない。


 花を、性の対象として意識してしまう。

 そして――少しずつ……顔を近づけて。


「………」


「………ぁ」


 花が俺の頬を、両手で押さえた。

 顔が熱くなっていたからか、花の掌がやけに冷たく感じる。


 ――俺は、まさか……キスをしようとしたのか? 花に? 雰囲気に酔って?


 それを止められた……?

 ぼうっとしていた神経が、急激に覚醒する。


 じっくりと、目の前にある花の顔を確認してみる。大きな茶色の瞳が揺れる。

 ――困惑。一言で言えば、そんな感じだ。


 ――もしかして俺、終了のお知らせか?


 ……どうするんだこれ。収集が付かないぞ。

 ここからの空気を、俺は一体どうすればいいんだ!


「……こ、これはっ、そのっ……」


「……な、何!?」


 俺の言葉に花がびくりと身体を反応させる。もしかして、怯えているのかもしれない。そんなに何かしそうな顔、してるだろうか……俺。


 しばらくじっと見つめ合う。俺の体温が両頬を通じて花に流れていく。

 これでは俺がドキドキしていることがバレてしまう!

 俺は花の手から顔を離し、腰を上げた。


「…………トイレ、行ってくる」


「あ…………うんっ」


 正直に言った方が、よかったのかもしれない。

 雰囲気に酔って、キスしそうになったって。

 でも――そんなの無理だ。


 トイレに到着し、俺は小さな溜息をついた。

 下半身に身体中の血液が集中し、強く主張している。

 俺は髪を掻きむしって便座に腰を下ろした。


「…………」


 ――気まずいどころじゃない。だって、俺キスしようとしたんだぞ。花に。何思い上がってんだよ。顔を押さえられたってことは、少なくとも受け入れられなかったってことだ。


 でも、完全に拒絶されたわけでもないのは、さっきの顔でわかる。

 きっと……嫌でもなかったんじゃないか? 例えば俺が花から同じようなことを突然されたらどうだ? 正直嬉しい。でも当然驚く。ちょっと待ってくれ、ってなる。


 ――それだったら、いいんだけど。

 希望的観測だ。勝手な俺の妄想だ。そうとは限らない。


 十中八九、俺が花にキスを迫ったのはもうバレてるだろう。


 でも、とりあえず……今日はこの家に泊まるんだから、気まずいってのをいつまでも言ってもられない。一晩中、一緒なんだから。


 悶々とした頭で、俺は便座から立ち上がる。とりあえず少しは落ち着いたらしい。

 俺は緊張した面持ちでリビングに戻る。俺の姿に気がついた花が、一瞬ちらりと見てくる。


 どうやらラブシーンは終わったらしい。……まあ、第二波の可能性は大いにありえるだろうが。


 俺は何事もなかったようにソファの隣に移動し、直立したまま動けなくなった。

 ――このまま座ってもいいんだろうか。


 あの気まずい状況がフラッシュバックするこの席に? それヤバくないっすか?

 じっとりと、シャツが背に張り付くのを感じる。


 いつまで経ってもソファに座らない俺を、花が訝しげに見つめてくる。


「…………ど、どうしたの……? ……座らないの」


 少し瞳を泳がせている花が、俺を意識しているのを感じる。


「あー、最近スクワットにハマっててさ。このままやろうと思うんだわ」


 突然俺は膝を折り曲げて息を荒げ始める。何が思うんだわだよ、ほんと何してんのこの変態は。


 俺は自らにツッコミを入れながら、ふんふんと股を鍛える作業に全霊を込める。


「身体……鍛えたり、するんだね」


「あーまあね、そこそこには」


 いやまったくもってやらないけどね、俺。


「ストーリー……わかる?」


「なんとなく」


 その後は、特に過激なラブシーンは発生しなかった。

 男としては少し残念な気持ちはあったが、今日に限ってはほっとした。終盤では、やたら長いキスシーンがあって、俺はそれに意識を根こそぎ持っていかれたのだが、花の背中を見下ろす形で鑑賞することができたので、まだマシだった。


 物語はクライマックスを迎え、感動のエンディングへ。

 エンドロールが流れ、テレビ画面はメニューへと戻った。


「……いや、面白かった! 特に最後の告白シーンはヤバかった」


「……でしょでしょ! 凄かったよね、迫真の演技だよね!」


 迫真の濡れ場シーンも相当なものだったけど。


「……そ、そうだね! なんか、色々っ……凄かったわ!」


 言葉を詰まらせながら、感想を漏らす。

 だが――、男女の絡みシーンは、あえて触れない! 触れた瞬間、このなんとか保っている微妙な空気が正式に崩壊する。


「……そ、そーだね」


 花も少し照れくさそうに顔を俯けて、足先を擦り合わせて、それ以上何も言わなかった。


 その間――一瞬こっちを見てきた花と視線がまた交わって、俺は目を反らす。

 この気まずさを改善するには、もう少し……時間が必要みたいだった。


「……もう8時か」


 レコーダーを停止させるとき、デジタル時計を確認し、ぼやく。


「あっ、お腹空いたよね。そろそろご飯にしよっか」


「減った減った! 何作るの? 俺も手伝うよ」


「ふふ、ありがと。でも大丈夫だよ、それとも……先にお風呂でも……入る?」


 髪を耳にかけながら、花がくすりと笑った。

 ……え、なんすか、花さん。その意味深な表情。え?

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