第13話 とんでもないことになりましたよ、母さん

「じゃあ、……また後で」


 このセリフがこっぱずかしくて、まともに花の顔が見られない。俺はそっぽを向き照れながら言う。


「う、うん! すぐ行くから! バイバイ~」


 笑顔で手を振ってくる花と、それぞれの家の前で別れる。

 俺は家に入って鞄を投げ捨て、悶々とした気持ちで、ソファに身を委ねた。


 ――はあ、なんか…………幸せだったなあ。


 なんともいえないふわふわした幸福感に包まれながら、俺は頬を弛緩させる。殴られたのはそりゃ痛かったし、正直言ってかなりビビったが、それでも……花が俺のために泣いてくれた。


 それに、あの保健室での時間。

 俺たちの間にはなんかすごい甘い雰囲気が漂っていて。

 雰囲気にやられて頭撫でるし! キザに涙とか拭いちゃったりなんかしちゃって!おいおい俺はイケメンかよ!


「くぅぅぅ~!! 今すぐ花に愛を叫びたい!! 好きだ!」


 発狂しながら時計を見ると、既に花と別れてから30分が経過していた。


 そういえば、花が来るのも今日で最後になるんだな。

 嬉しいような、名残惜しいような。でも、今日が過ぎてもぷっつり関係が切れるわけじゃない。この三日間で繋がった俺たちは、もっと仲良くできると確信できる。


 ――インターホンが鳴った。


 モニターには、制服のままの花。驚いた俺は、急いで玄関の扉を開ける。


「…………家、帰ってないの?」


「……う、うん」


 少しだけ目線を落として、鞄を揺らしながら花が応える。


「え、なんで?」


 素朴な疑問。花の家は隣である。家に帰らない意味がわからない。


「ええっと……ですね、……その~」


 とても言いにくそうに、花は頬を朱色に染めていく。


「鍵がね、玄関に置きっぱなしなの」


「……ん?」


 俺は難聴ではないはずだが、少し状況が飲み込めなくて、首を捻って二度聞く。


「わたし、うっかり忘れちゃってて……えへへ、ドジだね」


 彼女はモジモジしながら、鞄を膝でトントンと叩いている。


「え? じゃあさっき別れてからずっとどこにいたの?」


「……家の前。遠方の親戚の結婚式で……親、今日は帰ってこないの思い出して……それで」


「……お、おお」


 つまり、花は今夜家に入れないってことだ。

 ということは――もしや。


 ――これは、男として何かを覚悟しなくてはいけないのでは?


 俺が足りない頭で必死に思いを巡らせていると、花が困ったような顔で、薄い唇を開く。


「……だからね?」


「……は、はい」


「……えっとね…………あ、あのね!」


「……うん」


 胸の一定のリズムが、狂い始める。


「………………泊めて? って……お願いしたら……その、怒る?」


 ――――キタァァァァァァァアンディ・オロゴンッ!!

 興奮しすぎて脳内の語尾が弾け飛んだが、そんなことは気にしていられない。


「あ~、そゆことね……うん、全然いいよ」


 俺は表情を一瞬固めたが、すぐに余裕の表情を浮かべ、扉を開ける。


「本当に……いいの? 無理しなくて……いいんだよ」


「でも、そしたら今日はどこで寝るのさ」


「野宿か~……他のお友達に連絡するか」


 ――ウチに泊まって欲しい。何に代えても! 一生のお願いだから! 絶対に、100パーセント、どんなことがあっても、危害は加えないからっ!


「ああ、でも女子の友達か……確かにそのほうがいいんじゃ――」


 俺はつい、思っていることと逆なことを言ってしまった。


「で、でも……それだと…………ご飯が……」


 しょぼんとした顔で、肩を落とし、そんなことを言っている。


 もうこれ完全なるお持ち帰り案件なんですけど!? もういい? このまま連れさらって部屋に監禁してもいいっすか!? 自分、やっちゃってもいいっすか!?


 ぐるぐると邪な考えが頭を駆け巡り、俺は顔が熱くなってきた。


「それは……そうなんだけどさ」


「………………もし、いいなら……わたしは」


 少し間があって――。


「ここに、泊まりたいな」


 決定だ! 今夜はウチに泊まってもらう! もう契約は結んだ! 誰であっても、我が家から花を連れ去ることは許さない!


「……ぜ、全然! 泊まって泊まって、そっちがいいなら。俺はなんでも。うちも親いないしね、困ったときはお互い様だよ」


「ホントに~?」


「超余裕だよ、さあ、あがってあがって!」


 高鳴る胸の鼓動が耳の芯にまで届く。

 持ち上がる頬の筋肉がとまらない。にやにやパラダイスである。


 お付き合いもしてない高校生の男女がお泊りとは、何が起きてるっていうんだ、今、この地球に! 間違いがあったら、どーすんだよっ! いやねーよっ! ぜってーねーよ! ……でももしあっても、俺のせいじゃないよね?

 花が男子の部屋に来たのがいけない――。


 ――いや、……待てよ。

 冷静に考えろ。俺と花は小さい頃はいつも一緒だった。そのころはお互いの家にお泊まりするのなんて当たり前だった。一緒に風呂にも入ったし、身体をくっつけてよく寝たりしていた。


 花が、もしその頃の感覚を忘れてなくて……今も、その気持ちで来ているんだとしたら……。


 俺のことを……男だと、思っていないということか――?


 まずった! それはまったく考えていなかった! 昔みたいに仲良し感覚できてくれているならそれはとても嬉しい! だが――同時に少し悲しい!


 俺は脳内で何かと格闘しながら、玄関に花をあげた。

 ――本当に、泊まるのか……。ウチに。親不在の我が家に……。

 ごくりと生唾を飲む。顔が熱くなって、手汗もすごい。


「おじゃまします!」


 花がローファーの踵をしっかり揃えて、ゆっくりとリビングに進んでいく。


「鞄とか、テキトーに置いて」


「あっ、うん」


 花は部屋の隅に鞄を置いてから、リビングをぐるぐる動き回った。


「……何してんの」


 犬のように部屋を回り始める花に、訊ねる。


「あ……いやっ」


 彼女は赤面してから、ソファにちょこんと座った。

 後ろから見てるせいで表情はわからなかったが、耳が真っ赤だった。


 しばらくの沈黙が生まれた。

 花はきょろきょろしながら、ソファ前のテーブルに置いてあったディスクケースを手に取った。


「あー、これ」


 花が手にしたのは、シーズンの過ぎたラブストーリー洋画。

 俺の母がこの前レンタルショップで借りてきたやつだ。


「……観たかったやつだ」


 ――恋愛物とか、観るんだ。

 女の子が色恋に関心を持つのはわかる。でも、花がそういうものに興味を持っているということに、俺は少し驚いた。

 当たり前か。俺でさえ恋をしているんだから。少し嬉しい様な、複雑な感じだった。


「母さんが借りてたやつだよ、もう延滞料金過ぎてやんの。ほんと勝手な人でさ」


「見てないの?」


 花がケースを振りながら、聞いてくる。


「ん? 何が」


「…………これ、見てないの?」


 もう一度聞いてくる。主語がない。


「……ああ、俺がってこと?」


「…………そ、そう」


「見てないよ、俺SFとかファンタジーばっかだし」


「ふぅーん……」


 花は何やら納得のいっていない表情で、クッションを抱きかかえる。


「恋愛物とかは……観ないんだ」


 声のトーンを少し落として、花が呟く。


「いや……観ないとかじゃないけど……別に」


「…………ふ、ふうん」


 クッションを抱きしめながら、つまらなそうな顔で言う。


「もしよかったら……俺も見てないし……一緒に……観る?」


「観る!」


 さっきまでの顔が嘘みたいに明るくなって、身を乗り出してくる。


「そんなに観たかったんだ」


「観たかった! わたしこれでもすっごい映画好きなんだよ。これはたしかね、オードック・ヘッツバーンが出てるやつでね、最後のシーンが迫真の演技でね、それでねそれでね」


「ちょっと待って待って、ネタバレはやめて!」


 花が突然饒舌になって、瞳をきらきらと輝かせる。俺は少し笑いながら遮る。

 ――アカン、これ楽しい。


「てゆーか、まるで観たことあるみたいに言うね」


「――って……雑誌の記事に書いてあったの……!」


「ふーん……そんなに観たかったのに映画館には行かなかったんだ? 去年の秋くらいのやつじゃなかったけ。これ」


「そのときはね…………なんか、忙しかったの」


 花の妙な言動が気になりつつも、プレーヤーにディスクをセットし、再生ボタンを押した。


「はい、スタート」


 ――さて、俺はどこに座るべきなのかな?

 ソファは三人掛けのものだ。花が大体中央に座っている。

 この感じだと、どちらにせよ隣に座ることになるんだが……。


「……早く~」


 花が、自身の右隣のソファをぽんぽんと叩いた。

 ――指定席じゃーい!! いやっほー!


 突然のことで少し戸惑ったが、これから泊まるんだから、ある程度のことは慣れなくちゃいけない。


 ――楽しい。

 まだ彼女が来て数分と経っていないはずなのに、どうしてこんなに楽しいんだろう。


 俺は口角を少し緩めて、花がぽんぽんしている隣の席に、腰を下ろした。

 花の隣で一緒に映画を観るなんて、なんだか――夢みたいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る