第19話 恥じらいエクストリーム!!

「……今日、ここで……寝てもいい?」


「……マジで?」


「……マジ、です」


「……お、俺は別に構わない……けど」


 頬が緩み始めるのを感じながら、俺はなんとか口にする。


 ――待てよ。これ、またあのパターンか? 花の思わせぶりな雰囲気に俺が勘違いしているってことが、大いにあり得る。

 冷静に考えるんだ、蒼希蝶。花はなんて言った?


「ああ、なるほど……俺は出てけってことだね」


「あ……」


「なんかヘンな勘違いするところだったよ、そりゃそうだよな。いいよ、この部屋自由に使ってくれて。俺は下のソファで寝るからさ」


 ベッドから腰を浮かせると――。


「ま、待って……違うの」


 花が顔を俯けたまま、俺の服を摘まんでいた。

 彼女は頬を次第に赤く染め、


「…………一緒が、いいな」


 確かに、花はそう言った。


「え、待って。一緒って……どういう」


「前、よくしてたじゃん……」


 上目遣いで、花が俺の瞳を真っ直ぐ見つめてくる。


 一緒に寝る……だと。

 幼い頃は一緒のベッドで並んでお昼寝なんて、日常茶飯事だった。

 でも――もう18歳になる俺たちが……?

 それとも花は……昔のノリで言っているんだろうか。


「……い、いいけど」


「……ん」


 花は恥ずかしそうに頷いて、目を反らした。耳が面白いくらいに赤くなっている。

 時計を確認する。すでに深夜を回っていた。


「えっと……じゃあ、寝ますか?」


「……ね、寝るっ」


 部屋の明かりを保安灯モードへ切り替えて、まずは俺がベッドに入った。続いて、花が残ったスペースに入り込む。

 俺たちはお互いに背を合わせて横になった。背中から、花の温もりを感じる。


「…………」


「…………」


 ――ちょおおおおおお、急展開!!

 ヤバいよ、ちょっとこれは本気でマズい。俺今日死ぬかもしんないよ、母さん。

 頬の筋肉が、これまでにないほど弛緩する。“俺、あんまり気にしてないから”的な感じをなんとか装いながら、瞳を閉じた。

 冷静な対応のできる大人な男を演じるつもりで、なるべく平然を保つのだ。でないとぽっきり理性が折そうだ。


「明かり、夕方だね」


「……だって、真っ暗、怖いんでしょ?」


 背中越しの彼女へ返事をする。


「ふふ、それはちっちゃい頃の話だけどね」


「……もう、大丈夫なんだ」


「もう子供じゃないもん。真っ暗だって寝られるよ。でも、今でもクセでこのくらいの明るさにしちゃうの」


 ――ああ、もう、ほんとどうしよう。

 俺は混乱する脳をなんとか抑制しつつ、悶々とした気持ちのまま高鳴り続ける胸をぎゅっと掴む。このまま寝られるわけがない!


 何気なく身体を動かすと、足先が花に触れた。俺はすぐに足を引っ込める。

 ――マジヤバい。


「……寝られそう?」


 花の小さな声が耳に届く。


「……ちょっと、すぐには無理かも」


「そ、そっか……でも、なんか懐かしいね。こうして背中合わせで寝るの」


 俺は目を閉じて、遠い昔を思い出しながら言った。


「……そう、だね」


「……ねえ、聞いてもいい?」


「……何?」


「わたしたち……どうして、こんなに喋らなくなっちゃったんだろうね」


 花の言葉が、俺の胸を貫く。

 今まで見て見ぬふりをしてきた俺と花の間にある妙な気まずさ。

 予想もしなかった花の言葉に、声が出ない。


「…………」


 なんで喋らなくなったかって? そんなことはわかってる。花を異性だと意識するようになったからだ。“好き”の意味が、変わったからだ。

 でも、この感情を上手く言葉にできない。

 俺は黙ったまま頭を巡らせるが――。


「ごめんね、変なこと聞いちゃった。……忘れて」


 冗談めかしたように花が笑った。


「……いや」


 俺はくぐもった声でそう返すことしかできなかった。


 * * *


 それから、どれくらいの時間が過ぎただろう。

 俺は今猛烈に寝返りを打ちたかった。だが、そう安易に身体を動かすと、色々と問題が起こる気がする。男女的な意味で。


 ――いいか、別に。流石に花も寝てるだろう。

 いざ、寝返りを打つ。


「おわっ」


 目の前に――花の顔。

 鼻と鼻が、くっつきそうな距離。

 彼女の黒目が小さく震える。きっとそれは俺も同じだろう。


 どうやら、同じタイミングで寝返りを打ったらしい。


 くりんとした大きな瞳。きめ細やかな白い肌。血色のいい唇。綺麗で、いい匂いのする栗色の髪。小さい頃から見慣れていたはずの花は、大人になっていて。


「……ち、近くねっすか」


 あまりの照れ具合に、俺は吹き出しながら言った。


「や、やだ~、えいっ!」


 花は微笑を浮かべながら、俺の身体をぐいと押す。


「ち、ちょっと……脇腹はやめてくれ!」


「そういえばくすぐったいのダメだったっけ? じゃ~、こちょこちょ~」


 花が悪戯っ子みたいな笑みを浮かべ、若干遠慮しがちに指先をうねらせながら俺の脇腹をくすぐり始める。


「あっ、ちょ、待って! ほんとダメだってば、あははっ」


 ――え? 何これ、めっちゃ楽しいんですけど。至福なんですけど!


 俺が身をよじらせるのを見て、花も楽しくなってきたのか、好き勝手に俺の身体をまさぐってくる。これ以上は色々ヤバいと我慢ならなくなった俺は、花の手首をぐっと掴んで、ベッドに押さえ付けた。


「……ダメだってば。これ以上は」


「……う~」


 身体が引っ付きそうな距離。花が頬を染めて、顔をぷいっと横に背ける。

 そのままの体勢で、花が口を開いた。


「……ねえ、わたしが寝てるとき、何か言わなかった……?」


 ――お前、かわいいな。


 数時間前の黒歴史がフラッシュバックする。

 まさか、聞かれていた……?


「え、なんのこと?」


「嘘だ、なんか言ってたもん」


「……さ、さあ、つーか寝てたよね?」


「ね、寝てたけど! ちょっとだけ聞こえた気がしたから……」


「夢だと思うよ、絶対」


 花は、むっとした表情をしてから俺の捕縛から逃れ、脇腹を一突き。


「あ、ちょ……だから、ダメだってばそれ」


「えいっ」


 花の連撃は止まらない。次から次へと脇腹目がけて指をツンツンしてくる。

 理性が崩壊寸前である。ウォォォォォォ!!

 俺は胸の内で発狂しながら花の攻撃を受け続ける。正直言ってとても楽しい。


「ねー、なんて言ったの~? ねぇ、ねぇってばぁ」


「ちょっと、ほんとに……やめなさいってば!」


「……やめたら言う?」


 くりんとした瞳で、顔を傾けて。花がくすっと笑う。

 その仕草についやられる。


「わ、わかった……言うよ」


 花が勝ち誇った表情で、手を引く。


 ――そうは言ったものの。本当に言うのか? 適当に嘘ついとくべきでは?

 数時間前の俺を殴り飛ばしてやりたい気分だよ。


「早く早く~、なんて言ったのー?」


「…………」


「あ、そんなイジワルするなら……もっかいかなぁ」


「わ、わかったってば……」


「じゃあ、どうぞ」


「…………かわいいって、言った。……寝顔が、だよ。寝顔が」


 大事なことだから、二回言っておいた。あくまでも寝顔がね。これで三回目だ。

 花はきょとんとした顔のまま、顔全体を赤くさせて、俺から視線を反らした。


「……あ、ありがとう……ございます」


 なんとも言えない空気に当てられて、俺も同じように目を反らす。

 俺たちは再び背を向け合った。花はあまりの恥ずかしさに布団を頭から被っている。


「……そういえば、なんだけど」


「……ん?」


「……わたしの名前、あんまり呼ばないよね」


 胸を何かで射貫かれた様な、そんな気がした。


「……そ、そうかな」


「うん、あんまり……呼んでくれない」


「……それは、そっちだって同じだ」


「ほら、そっちって言う。ちなみにわたしは何回か呼んでます」


「……じゃあ、試しに俺のこと呼んでみてよ」


「そっちが言ったら……言う」


「……そんな卑怯だったっけ、あなた」


「ほら、今だって! あなたって言った!」


 花が強情なのがなんだか可笑しくて、俺は笑いながら聞く。


「そんなに呼んで欲しいの? ……名前」


「……うん」


 花は、こくりと小さく頷いた。


「……赤希さん」


「えっ!?」


 花が驚いた表情で、布団からにゅっと身体を出した。

 彼女の瞳を真っ直ぐ見て、俺は10年ぶりに――、


「花」


「……は、はいっ」


「自分で言えって言ったのに、なんで照れんの!? これじゃ俺が恥ずかしいだけじゃんか! ……ひ、久しぶりに呼んだのに」


「だ、だって……。でもなんで最初苗字だったの?」


「別に、いいじゃん」


「もー! なんかイジワルだー!」


 むくれた花が、また俺を突き始める。


「あっ、こら」


「ふふ、くすぐったいのほんとにダメなんだね」


 心なしかさっきよりも随分大胆に身体に触れてくる花。

 あまりやられっぱなしでも面白くない。――反撃だッ!


「……ほらっ、こちょこちょ」


「キャ……あはははっ!! や、ダメぇ! やめて~」


 調子に乗った俺の指先が、服越しに彼女の身体に触れる。ふにふにしてて、ぎゅっと押し込むと、ふわりと跳ね返ってくる。そんな女の子の身体。


 こみ上げてくるにやにやを何とか抑えて、俺は花と戯れる。

 きっと今世界で一番の幸せ者は俺だ。異論は認めない。

 そんなことを考えていたときだった――。


 ――むに、と何やら柔らかいものを俺の右手が掴んだ。

 それは、しっかり掴んでいないとふるふる揺れ続けてしまうプリンのようで、適度な重量もあった。


 服越しの柔らかい肌、確かに存在を主張する小さな突起。

 とくん、とくんと鼓動を撃つ花の心臓の音。


「……はっ」


「…………」


 我に返り、手を除ける。一方の花はぽかんとした顔で俺を見つめてくる。

 一体今何が起こったの? というような彼女の表情に、


「……え、え~っと……ですね」


 俺が困惑した表情で頬をかきながら弁解するべく脳を巡らせていると――。


「…………え、えっちっ」


 花が瞳を潤ませながら、今にも泣き出しそうな声で言った。恥じらいながらも懸命に訴える彼女のことを、俺は愛おしく思う。

 恥ずかしがり屋の花のことだから、無言になると思っていた。

 ちなみに俺は当然えっちである。最強えっちマンだ。(開き直り)


 花は恥じらいの表情を浮かべながら、胸を両手で覆い隠した。


「……とか……い、言ってみた」


 首を捻って、彼女はつんとした顔をする。


「ご、ごめん……ワザとじゃないから! 許して欲しい」


 彼女なりに怒っているみたいだったが、普段から優しい表情をしているせいか、あまり厳つさは感じない。

 そんな彼女の愛らしいむくれ顔を見て、俺は胸の辺りがほっこり温かくなる。

 花との気安いやり取りに、心の距離が少しだけ近くなった気がした。

 そうは言っても、昔とは違う。仲が良かった幼少の頃ではなくて、俺のことを男と意識してくれたことが、俺はたまらなく嬉しかった。


「…………も、もう。次は、怒る……かもよ?」


 真っ赤な顔で唇を尖らせながら、花がそんなことを言う。

 正直言って、叱るならばもっと徹底的にやるべきだ。これでは俺は喜んでしまう。花の怒った顔が見たくて、またやってしまうかもしれないぞ!


「……わ、わかったよ」


「……じゃあ、許してあげる」


 染まった頬をぶかぶかのスウェットで隠しながら、花が続ける。


「……男の子って、やっぱそーゆーの好きなの?」


「どういうこと……?」


「えっと……だから、その、何て言うか……そーゆー、えっちな……感じの」


 まさかの花からの下ネタトークである。意外過ぎる。やっぱり女の子もそれなりに気になるものなんだろうか。


「いや、まあ……俺は……結構普通だけど」


「ふーん……ホントに?」


 花が、横目で見てくる。俺はたじたじになって目線を反らす。


「……まあ女の子からしたら、ちょっとは……その、エロいかもだけど」


「ふふ、やっぱり男の子なんだね」


 彼女はイタズラな笑みを浮かべる。


「なんだよ、それ……」


 よくわからないがご機嫌らしく、さっきからくすくす笑っている。


「なんか……大人になったねっ」


「それは……そっちだって同じだろ」


 俺が吐き捨てるように言うと、花が急にじーっと俺を睨み付けてきた。


「……名前は?」


「うっ、……えーオホン、……花も、大人になったよ」


「えへへ、なんか恥ずかしいね……」


 照れ笑いを浮かべて、花は布団に顔を埋める。


「てか蝶って呼びなよ! さっきそう約束したはずだ」


「なあに? 呼んでほしいのかな」


「……いいけど、嫌なら」


「あー、拗ねた」


「べ、別に拗ねてないっ」


「……じゃあ、最後にもう一回だけ呼んでほしいな」


 ベッドから上半身を起こして、花は人差し指を立てる。

 その仕草に、俺は心までとろけてしまいそうだった。

 花の言動の一つ一つが、魅力的で愛おしい。


「……花」

「……蝶」


 呼び慣れたはずの名前を、俺たちは恥じらいながら呼び合った。なぜかお互いに笑いが込み上げてくる。


「なんで笑うんだよ」


「なんか可笑しくて、ふふ」


 布団を持ち上げて、顔を隠そうとする花。

 さっきから俺をじっと見つめている。


「……何? さっきから」


「ううん、なんでも?」


「なんだよ、気になるな、言いなさい」


「えぇ~……じゃあ聞いちゃおっかなぁ……」


 照れた表情で髪の毛を触りながら、花は布団をぎゅっと抱きしめた。


「……彼女とか、いるんですかっ」


「…………彼女」


 響きがいいよね。彼女とかさ。まあ、いないけどね。


「……いないね」


「ふ、ふ~ん……いないんだ」


「花は――」


 突然、花のスマホが軽快に鳴った。


「……誰だろ、こんなに夜遅くに。……ちょっとだけごめんね?」


 ――俺の頭に、一人の男の名前が浮かび上がった。

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