第5話 悪くないヘンな距離感

 ――昼休み。


 優しい春の日差しを浴びながら、花を見る。

 花は、近くの友達と机を合わせて弁当を広げていた。

 俺はその光景を観察しながら、机の下で、小さな手提げ袋をぎゅっと握る。


「…………」


 俺は悩んでいた。いつ、どのタイミングで、この手提げ袋を返すべきか。

 すると、突然健治が振り返った。


「おーい、今度は何してんだ? 机に手なんか突っ混んで……お前、まさかシコって――」


「しつこい」


 健治の頭上に軽くチョップを入れてから、俺は購買部に行くため席を立つ。

 食事をする花たちの横を通り過ぎる。少し早歩きになってしまったかもしれない。


 花、スマホなくて困ってないかな。早く返してあげたいけど、いつも友達に囲まれているせいで、上手くタイミングが掴めない。


 俺は余所余所しい態度を取りたいわけじゃない。

 言えばいいじゃないか。「昨日はありがとう。これ昨日のやつだよ」と。

 簡単だろ? なんでそれができない?


 途中で一度足を止める。でも……結局何も言えなかった。


「おい、置いてくなよ蝶! なんなんだよ、急に」


「わりぃ、腹減って死にそうだった」


 俺たちは購買部で適当にパンを買って、いつもの屋上へ向かった。


 * * *


「……実はスマホを預かってるんだ。それを返したい」


 俺は、これまでの経緯を説明した。両親が旅行に行って、花がやってきたこと。そしたら見事に鞄を忘れていったということ。


「…………」


「ちゃんと聞いてんの?」


「うん……うん。爆発しろよお前、マジで」


「なんで!?」


「いや、普通に腹立つわ~、なんなん、自分? ラノベの主人公か何かなん? あん? 何その超絶ラブコメ物語の幕開け。俺は結局アレなんだろ、ギャルゲーでオマケ出演の親友ポジションなんだろ? ん? 言うてみいや、あんさん」


 健治は、妙な口調で私怨交じりにぼやいた。


「……と、とにかく鞄を返したいんだよ」


「はよ返せやッ!! そして爆発しろ! 今すぐ飛べ!」


 酷い言われようだ。


「まあでもなぁ……こういうのは赤希と仲いい女友達に頼むのがベストなんじゃねー?」


「……でも、それだとなんで俺が…………スマホ持ってるんだよっ、て詮索されるかもしれないじゃん」


「頑なに赤希の名前を呼ばないのはなんでなんだ」


「ほっとけ」


 * * *


 昼休み終了五分前。途中でトイレに寄った健治と別れ、俺は教室に戻った。


 花は机を囲んで女友達と談笑しているところだった。


 ――そういえば、花って男子と喋ってるところあんまり見たことないな。

 いや、まだこのクラスになって一ヶ月も経ってない。同性同士で群がるのは当たり前のことだ。俺だってまだクラスの女子とはあんまり喋ってない。


 そんな考えごとをしながら歩いているときだった。

 右足が何かに引っかかる。


「――なっ!!」


「「やりぃ!」」


 俺はバランスを崩しながら、バカ男子二人がハイタッチしたのを見た。俺を転ばせに来たらしい。小学生か、お前らは。


 ――目の前には教卓。衝突は――免れないッ!!


「うおおおおああああ」


 がんっ。


 思い切り額を角にぶつけ、俺はそのまま床へ倒れ込んだ。


「あっはっは! バーカ、余所見してっからだよ」


 俺を嵌めた二人組が優越感に浸りながら鼻を鳴らす。


「…………」


「…………おい、蝶?」


 動かなくなった俺を見下ろす二人組が、不安げな声を上げる。


「あ、ヤバい。コレヤバいぞ」


 途端に周囲の男子陣が慌て始め、「え~……絶対今の痛いよ~」と女子が口元を隠しながら眉をひそめた。


 実際は注目を浴びてしまったが故、ここで立ち上がるのが少し恥ずかしかっただけである。

 でもこれ逆に注目浴びてない? アカン。これアカンで。

 花にまで格好悪い姿を見られてしまうじゃないか。


 俺は問題が大きくならないうちに、立ち上がることにした。

 教室に戻ってきた健治が、俺を見て目を丸くする。

 俺はじんじんとする額を押さえながら、不敵に微笑む。やせ我慢だ。


「お前……血がっ」


「……え?」


 健治がすぐに駆けよってきて、俺の前髪をかきあげる。


「うおっ……すぐ保健室行ったほうがいいぜ、これ。……あ、保健委員誰だっけ!? ちょっとこいつ連れてってやってくれないか!?」


 手に視線を移すと、赤い血痕が指先に付着していた。

 突然俺は怖くなり、泣きそうになった。なんか不安になるじゃん。こういうやつ。周りの人に囲まれてると余計に泣きたくなるんだよ。みんなそんな哀れむような顔で俺をみないでくれ。なぜか目が潤んでくるんだよ!! うわああぁぁ!


 俺が内心で発狂しかけたときだった。

 すっ――と手が上がった。


「保健委員、わたし」


「おっ、赤希か。じゃあ頼むわ」


 健治は俺だけに見えるように、片目を閉じた。

 ――ちょ、えぇー!! ここにきてこいつイケメンかよ!! 反則だろ、そりゃあ!

 俺初めて親友に心から感謝した。


「もうすぐ授業始まるし、先生には俺が言っとくわ。だから、ゆっ~くり……行ってこいよ!」


 ゆっくり、をやたら強調する健治。


「わ、わかった」


 花はこくりと首を振って俺の近くにちょこちょこと駆け寄ってきた。

 突然の展開に俺の痛みは吹っ飛んだ。


「あの……だ、大丈夫……? 凄い音……したよね」


「あ、平気……たぶん」


 花が俺の額にそっと手を差し延べようとする。でも皆の前で恥ずかしかった俺は、それを振り切って教室を出てしまった。

 ああ……撫でてもらえばよかった。本当にもったいない。

 俺は一人で保健室へ足を進めた。


「そのままサボってもバレないんじゃねー?」


 健治が声を張る。


「さ、サボらないよっ!」


 花はムッとした声で健治に言い返してから、俺の後に続いた。

 しばらく廊下を二人で歩く。俺が前で、少し離れて花が後ろから付いてくる形だ。


 足音からして、大体3メートルくらい距離が離れている気がする。


「…………」


 ――何か、話をするべきだろうか。

 保健室に向かうまでで構わない。せっかくなら何か話をしたい。


 とりあえず、俺は歩くペースを少し下げた。しかし、一向に距離は変動しなかった。

 花も俺と同じように歩くペースを落としたからだ。


「…………」


 ――ちょ、なんで!?


 これは何か、学校ではあなたとは他人ですから的な。あんまり近くへ寄られて、幼なじみだとバレたらめんどくさいのよね。ふんっ、的な。


 ……なんなの、この縮まらない距離は一体!

 俺のこと嫌いなのか!? あれ、そう思ったらそんな気がしてきた。え? マジで?


 俺はもやもやした感情のまま振り返ることなく目的地を目指した。


 ――手提げ袋、返さなきゃいけないんだけどな。

 それに、昨日の匠って人のことも聞けるなら聞きたい。


 健治の言葉が蘇る。


 ――行動しなくちゃ、花とは仲良くできない。


 何もしなかったら、花は誰かのものになってまうかもしれない。

 いや、もしかすると、もうなっているのかも。


 怯えて何もできずにいたら、きっと俺は後悔する。

 だから決めたんだろう? まずは、花ともう一度仲良くなるんだって。

 このヘンな距離を縮めて、昔みたいに普通に喋れるようになるんだって。


 俺は覚悟を決めて振り返った。3メートル先には花が呆然と立ち尽くしている。

 強張った表情で、俺の言う言葉は……。


 ――なんだ!


 ……しかし、何も考えてなかった。

 どうする? 昨日の話とか始めちゃう? 昨日のオムライス美味しかったよって? いや昨日言うたやないかいっ! 日付またいでも料理褒めるとか素敵だけどレパートリー少なすぎだろ、俺!


 結局俺は……。


「……ぁ~、痛ぇ」


 ……怪我した額を押さえながら、俺は痛い痛いアピールをした。

 それ本当にわざわざ振り返ってまで言うこと? なんかもっと他にないわけ?

 正直緊張で既に痛みなんて忘れていた。なんでこんなこと言ったんや。ダメだ、俺は無理に頑張ろうとすると失敗するタイプなのかもしれない。


 俺は、彼女の返答を待った。

 喋った会話の内容はなんにせよ、それに対する返事があるはずだ。


「絶対、痛いよ……ね?」


 花が口元を押さえながら心配そうに俺の額を見上げる。


 ――しゃあ! 会話フラグ立った! キタコレ!


「うん。さっきは平気って言ったけど……たんこぶできたかな」


 俺は少しだけ嬉しくなって身を乗り出し、花が負傷箇所が見える位置まで進んだ。


「……どうなってる? 自分じゃ見えなくてさ」


 俺は花の上履き辺りに目線を落としてから、自らの前髪をかきあげた。


「うわぁ~……痛そう……ぼっこり腫れててちょっとだけ切れてるよ。さっき凄い音したもんね」


 腫れ物に触ろうと、恐る恐る花が俺の額付近に手を近づけたが――すぐに降ろした。


 俺氏、少ししゅんとする。

 撫でてくれたりするのは都合がよすぎますよね! そうですよね!


「いや~、変なところ見られちゃいましたよー」


 俺は少し砕けた感じで、微笑みながら言ってみた。


「なんで……敬語っ」


 不意を突いたのか、花はくすりと笑った。

「あ~、笑ったな~、結構ショック」とか、いうような砕けたことが、言えたらいいんだが。ホントに俺は……。


 気がつけば、もう目的地に到着していた。

 花との二人っきりの時間はここまでだった。


「……ありがとう、付いて来てくれて」


「ううん、中まで行くよ。一応係だしね。お仕事しなくちゃ」


 花が保健室の扉に手をかけようとしたとき――。

 同じように扉に手を伸ばした俺と、重なる。


「あっ」


「……ご、ごめん」


 花はピクッと反応すると、すぐに手を引いた。

 指先が触れただけで、女の子の手だと実感した。

 白くて小さくて、握ったら折れてしまうような、すべすべの手。


「あ、あのさ……」


「……うん」


 彼女は何かを待つ仕草で、もじもじとスカートの前で指を触った。


「持ってきてるよ。手提げ袋」


「うん」


「後で……返すね」


 髪をくしゃっと掴み、顔を俯けた。


「……スマホとか、見たりしてない?」


「み、見てない! 絶対、見てない!」


 俺は断固として、無実を訴えた。


「そーなの? ふふ、もしかしたら、嘘とかついてるかも」


「神に誓って、俺は無実だ!」


 待ち受け画面は見たけどね。


「なんか必死……逆に怪しい~」


 花がいつになく会話に乗ってきてくれた。語尾に少し親しみやすさを感じる。


 花と少しでも普通の会話ができたことが、俺は堪らなく嬉しかった。


 仲良し同士でなんでも言い合える仲っていうのも、もちろんとても魅力的だけど、今みたいなもどかしい関係も、もしかしたらいいのかもしれないと思い始めたそんなときだった。


 ――いきなり目の前の扉が開いた。

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