第4話 切れない電話、返したい電話、何者からの電話
静寂に包まれる部屋の中で、秒針の音だけが響く。
――これから届けに行く? もう夜も遅い。普通に迷惑だろう。それに、家に行ったら花のパパとママに遭遇する可能性が高い。
――それは……気まずいな。
何しろ花の両親とは、ここ数年ろくな会話をしていない。
だからといって、窓から渡すっていうのも相当勇気がいる。さっきのことがあったし、正直合わせる顔がない。もう少しだけ、時間をおきたい。
そうなると必然的に――学校。
――渡せるか……?
腕を組んで深く座る。瞼を強く瞑って妄想してみた。
朝、彼女に合わせて家を出れば、多少は鞄を返しやすい。それが得策だろう。
しかし、この返却タイミングを逃した場合、ミッションは達成困難になる。
校内では他人の周囲の目がある。俺たちのことを幼なじみだと知らないやつが殆どだ。
「…………うーん」
俺は顎を撫でながら、部屋の中を意味なく動き回る。
思う存分歩き回ってから、なんの気なしに花の鞄を持ち上げた。
すると――ゴトリと花のスマートフォンが地面に落ちた。
「…………」
気がつけば、端末を拾ってサイドの電源ボタンを押していた。
ガラス画面が点灯する。
――花の待ち受け画面。かわいらしいひよこのキャラクターのイラストが映った。
そういえば、俺は花の電話番号さえ知らない。
メッセージアプリが天下のこのご時世、今どき電話をすることもあまりないかもしれないが。
花は、一体どんな人と連絡をとったりするんだろうか。
――ちょっと、気になるな。
再び悪魔のささやきが迫ってくる。
その瞬間に、呼び出し音が鳴った。
「うわっ!!」
俺は驚いて、スマートフォンをソファに投げ飛ばしてしまった。
恐る恐る落っことした端末を拾い、画面を確認する。
そこには『自宅』と表示されていた。
これは……どっちだ。
両親からなのか、スマホを忘れた花が家電からかけてきているのか。
とはいえ出ないわけにはいかないので、渋々画面をタップし、そっと耳に近付けた。
「…………」
相手の声を待つ。こっちから話しかけて何かやらかすとマズい。
『……あの』
電話ごしに、花の声が聞こえた。
「あっ、はい」
内心ほっとする。もし花パパだったりしたら、俺は間違いなくフリーズしたことだろう。
『ごめんね。鞄を忘れちゃったみたいで。でもよかった~、ちゃんとあって』
「あ、ああ……ソファに起きっぱなしだった。……その、どうする? 貴重品だし、今から持っていこうか」
『……ん~、もう遅いし、明日学校に持ってきてくれる? ……なんて、ダメ?』
花は少し笑いながら言った。言い方が超かわいいんだけど、どうしよう。
「オッケーオッケー、持っていくよ」
結果的に、花の電話のおかげで明日問題なく返せることになった。
今までうだうだ悩んでいたのは、一体何だったのか。
『ありがとう。……ちなみに、連絡とか来ても出なくていいからね……後は~』
「うん」
『……い、色々見たりしちゃ、ダメだからね!』
少しだけ強い口調。慣れ親しんだ喋り方に、俺は頬があがった。
「ふふ、見ない見ない」
『ほんと? ……じゃあ、信用するね。……えっと。それじゃ、おやすみなさい』
「うん……おやすみ」
『……また明日』
「…………うん、またね」
『……はい』
「…………ふふっ」
『……なんで笑うのっ』
「いや、なんでもないよ」
『もー、じゃあ……切るよ?』
「はい、おやすみ」
『…………』
「切ってないじゃん!」
『……じゃあ、せーので』
「わかったわかった、じゃあせーので一緒に切ろう」
『……いくよ~? せーのっ』
「…………」『…………』
「切らんのかーいっ」『切ってないじゃん!』
俺たちは声を完全に重ねながら笑い合った。
その後も数分間俺たちはもだもだし、ようやく電話を切るに至った。途轍もない幸福感に包まれた俺はにやける頬が収まらなかった。
* * *
夜中も近いので、シャワーを浴び歯磨きをしてから、自室のベッドに寝込んだ。
「もう、寝てるかな」
窓を見つめながら、独りぼやく。
もちろんカーテンが閉まっていて、向こう側は見られない。
でも、行こうと思えばすぐに行けるんだな。
距離は、近いんだ。――でも、なんでか遠い。
――花、今何考えてる?
俺との昔の“約束”とか、覚えてるのかな……。
色々考えても仕方がないことはわかってる。直接聞けばいいってことも知ってる。
でも、それを簡単にできないやつだっているんだ。
俺は後頭部を枕に沈ませて、軽く目を閉じた。
その瞬間。
もう一度花のスマホがなり始めた。
「……!?」
こんな夜遅く?
出るつもりはなかったが、俺は鞄から端末を取り出して、誰からの着信なのか、確認した。
そこには――『匠くん』と、あった。
俺は途端に血の気が引いた。持っているスマホを落としそうになる。
――匠くん……? 誰だ? ……ま、まさか。
俺は、次第に早くなっていく心臓の鼓動を落ち着けようと胸を押さえた。
友達? それとも…………彼氏?
しばらく着信は鳴り、ようやく収まった。
名前で登録されていること、“さん付け”ではなく、“くん付け”であること。
これだけの情報でもある程度の関係性は見えてくる。
花は、きっとこの人と多少なりとも親しい間柄にある。
それから俺は、まともに寝ることができなかった。
* * *
――全然眠れなかった。
適当にパンを頬張り、花の手提げ袋を俺の鞄に入れて、家を出た。
寝不足のせいなのか、身体の調子がよくない。
色々考えていたせいか、登校ルートを間違えたらしい。俺はギリギリで教室に入る。
朝一番にスマホを返そうと思っていたのに、この体たらくである。
花は仲良しの
「おっす」
「おー、なんだよ、今朝はやけにテンション低いんだな」
俺が鞄を机横に引っかけると、前の席の健治が振り返ることもなくそう言った。
「低血圧なんだよ」
「そうか……昨日はちゃんとシコって寝たのかよ」
「うっせ、ばーか」
俺は健治の背中にチョップを入れて、椅子を引いた。
「シコって寝るだろ。普通」
「知るかよ、お前の性欲処理事情なんて」
「じゃあ昨日は何してたんだよ」
健治を椅子を横にして肩肘を立てて質問した。
「昨日は――」
言いかけて、口ごもる。
「……何?」
不審そうに表情を歪める健治。まあ、花のことは言えない。
「オムライスを食べたあと~」
「シコって?」
「シャワーを浴びてから~」
「シコって?」
「ゲームして~」
「シコって?」
「歯磨きして~」
「シコって?」
「寝る前に~」
「シコって?」
「おい俺どんだけシコってんだよ、発情期の猿か、俺は!」
「ツッコミいただきやした! あざます!」
朝っぱらから下世話な男子トークが炸裂し、俺は少しだけ心のもやもやが晴れた気がした。
隣でコスメ関連の話で花咲かせる女子たちが、まるで汚物を見るようなキツい視線を浴びせてくるのは、見なかったことにしよう。
「おい、蝶。どうやら女子様がお怒りのようだぞ。シコってから謝って来いよ」
「は? てめまたそんなテキトーな――」
「許しをもらった後すぐにまたシコる蝶。ぶふっ」
勝手にツボにはまったらしく、健治は机に突っ伏したまま肩を揺らした。
こんな汚い会話をしていると、大抵の女子はさっきみたいな強い視線を向けてくる。シャイな女子なら聞いてないフリをするし、ノリがいい女子なら話しに混ざってくることもあった。
――花は、どうなのかな。
俺と健治の会話が彼女の耳に入ってないことを祈る。
まあ、幸い距離は離れてるから大丈夫だろう。
幼なじみの花には、そんな俺のことを知ってほしくない。
そもそも花って、そういう男子の性事情とか、わかってるのかな?
あんまりイメージがない。うぶな印象が強い。
いや、でも流石に……。お互いもう18だしな……。
ホームルーム中、俺は花の後ろ姿を見つめながら考える。
昨日たくさん話をしたこと(俺的には)、事故とはいえ、押し倒してしまったこと。
“匠”、という男から連絡があったこと。
「おーい、何見てんだ? ……赤希か?」
「……ち、ちげーよ」
苦し紛れの嘘をついた。途端に耳が赤くなる。俺は子供か。
「お前さ、赤希のこと……好きなんだろ」
健治が俺の耳元で、ぼやくようにそう言った。
「……なっ」
まんまと核心を突かれる。だが、認めるわけにはいかない。俺にもプライドがある。
だが、的確な反論も思い浮かず、より一層顔を赤く染めるだけだった。
「おー、そーかそーか。やっぱそうだったか……へー、幼なじみねえ」
二本足で椅子を浮かせながら、健治は頬を緩める。
「まだ何も言ってないんだが」
「いいよ、皆まで言うなって。でもさ、お前ら二人ってほんと不自然なくらい話さねえもんな。幼なじみってもっとこう……仲良しまでいかなくても喋りやすいもんなんじゃねーの? 俺はよくわからんけど」
「……しらねーってば。もうこの話は終わりな」
「……なるほど、マジなんだ」
「……なんでそうなるんだ」
「いや、だって。顔……超真っ赤だしな。それ、好きって言ってるようなもんだぞ」
健治が真顔で俺に指を向けてそう告げた。
「…………ふん、まあ、そういうことにしておいてやるか」
「強情だねー、お前」
健治はくすりと笑って身体を寄せてくる。
「で? 赤希はお前のことどう思ってるか知ってんのか?」
「さあ、あんま話さないしな」
「そもそもなんで喋らないんだよ――こんなにも! 君のことが! 好きなのに!」
「なっ……てめっ、あんまり大きい声で言うな、バカ」
俺は健治のネクタイを引っ張って、本気で怒った。
「あっはっは、悪りぃ悪りぃ。お前があんまり面白いから、ちょっとからかっただけだよ。許せ。……それに、絶対平気だよ、教室じゃお前ら喋らないからな。みんなお前等二人のことを繋げて考えてなんかいないと思うぜ」
「……」
「じゃあここからはマジなやつな。なんで話さねーの? 好きなら喋ればいいじゃんか。ましてや幼なじみ。なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「……幼なじみは、その……結構、複雑なんだよ」
俺は、健治の瞳を見ることなくそう言った。
「ふ~ん、俺は好きならそんなことは関係ないと思うけどな」
「昔から今まで仲良しっていう幼なじみももちろんいると思うよ。でも、大きくなるにつれて気まずくなったりするパターンもあるんだよ。俺は後者だ。これでも、昔は本当に仲がよかったんだよ。想像できないかもしれないけど」
話しに夢中だった俺たちは、日直のかけ声に気がつくと慌てて起立をした。
席についてからも、俺たちは声のトーンを落とし、会話を続行する。
「で、今は? また昔みたいに仲良くなりたいって思うのか?」
「……そりゃ……まあ。なれたら……いいよね」
健治の言葉にどぎまぎしながら、俺は弱々しく答える。
「じゃ、なれよ」
ストレートな言葉が胸に突き刺さる。
健治は俺と花の関係を深くは知らない。俺たちの間にどんなエピソードがあったかなんて、一つも知らない。
だが、その単純明快で真っ直ぐな言葉が、もやもやと考えていた俺の小さな悩みをいとも簡単に打ち消そうとする。
「ウジウジもじもじ恥ずかしい~、なんてしてたらな、何も始まらないっつの。そんなことしてっと、赤希は誰かのものになっちまうぞ」
健治がチラリと花の方向を確認し、小さく顎を振る。
「見ろ、あのルックスを。まごう事なき“S+++”、最上級だ。……俺はお前らの間に何があったかなんて知らないけど、行動しなくちゃ赤希とは仲良くできないってことだけは確かだな」
「別にウジウジもじもじはしてないだろ! むしろ、俺は結構積極的にッ……!」
つい感情が表に出てしまい、俺は授業中に椅子から立ち上がってしまった。
途端にクラス全体から注目の視線を受けた。
意識していたせいなのか、花と目線が合う。
「蒼希……? どうした」
「い、いえ、なんでもありません! すいません!」
首を傾げる先生に、俺は必死で頭を垂れて何事もなかったかのように椅子に座った。
前の席で健治が顔を机に突っ伏しながら、肩をふるわせていた。
「おい、てめ何笑ってんだよっ」
おれは声を押し殺して健治の椅子を蹴った。健治は振り返って、
「いや、だってさ……お前、それ面白すぎだろ……マジで好きなんだな」
花に俺の言った言葉を勘ぐられ、好きだと言うことがバレてしまうかもしれない! それだけは、なんとしても避けたい。
そう思って俺はチラリと花に視線を向ける。
やっぱり――目が合った。
俺と花の間が、一本の糸で繋がれているように感じた。
俺はぽうっと火照る頬を必死に押さえて、黒板に目を向けた。
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蒼き蝶に赤き花 織星伊吹 @oriboshiibuki
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