第3話 ラッキースケベはそう起こらない
テーブル中央の料理を挟む様にして、お互い向き合ったまま数秒……。
「…………」
「…………」
はい、なんなんでしょうこの状況。早く食べましょう。冷めちゃいますよ。
お互い黙り込んでオムライスを凝視する俺たちは、端から見てもかなり異質だ。
花と、一瞬だけ視線が交わった。そして彼女のその表情に俺はピンときた。
「……そうだ、スプーンがないよね。ちょっと待ってて」
俺はキッチンから取ってきたスプーンを、花に渡した。
「はい、これ」
「あ、ごめんね……ありがとう」
彼女は慌てた様子でスプーンを受け取り、じっと見つめた。
「これ……」
持ち手部分に花柄がプリントされた、子供用のスプーン。
随分と年季が入っている。色素の薄くなった花柄はとても古めかしかった。
幼少期、花がウチでご飯を食べるときによく使っていたものだ。
「……懐かしい」
花が少しだけ頬を緩めて、笑った。
やっと――口にした。俺はこの言葉を待っていたのかもしれない。
今の花のことは俺にはわからない。でも、昔のことなら。
まだ仲のよかった幼少期のときの話なら、一緒にできると思ったから。
「気に入ってたよね、それ」
「もちろん!」
さっきまであれだけ気まずい空気だったのに、少しだけ緊張が緩んだらしい。
「じゃ、半分こしようか」
俺は均等に半分にすべく、銀の食器を黄色い山に突き立てる。
どうにも俺はおおざっぱらしい。片方が妙に大きくなってしまう。
「……どっちがいい?」
「ふふ、全然違う」
花は口元を淑やかに手で隠し、くすくすと笑った。
――何これかわいい。天使が笑ってる。
俺は胸が締め付けられる思いで顔を強張らせる。でないと、頬が緩んでしまう。
小さい頃から花の笑顔が、俺は大好きだったから。
でも……昔と今じゃ、花の笑顔に対する俺の想いは少し、違っている。
現在の俺は――花に恋愛感情を抱いてる。
だから、前の好きと今の好きは全然違う。俺は男で、花は女だ。
準備運動を開始した心臓が、少しずつ活発になっていくのを感じる。
今、花の笑顔を見ると……胸の奥が少しだけ苦しくなる。
なんて……こんなこと、口が裂けても言えないけど。
「ふふ、はやく食べようよ。冷めちゃう」
「……そうだった! 食べよう」
銀色のスプーンを黄色の薄皮に差し込むと、糸が引いた。
「……チーズ?」
「うん、隠し味……のつもりなんだけど」
「へえー」
俺は頷きながら、口へ運ぶ――と、その前に。
「……あ、い、いただきまーす」
「ふふ、召し上がれ」
つい『いただきます』を忘れそうになって、焦る。そんな俺に花は優しい微笑を浮かべる。この子は女神だ。
俺は一度頷いた。もう一度食器を口に運ぶ。
ケチャップの酸味が一気に広がる。そして、後から優しく包み込むようにまろやかな卵の風味が重なって、絶妙なハーモニーが俺の口の中で巻き起こる。
「え、めっちゃ美味いんだけど!」
「えー、ほんと~?」
「ほんとだって! なんかこう、ケチャップの味がいい感じに引き立ってて、卵もいい感じに引き立ってて、チーズも……いい感じに引き立ってて……引き立ってるっ」
――引き立ちまくってんな。色々と。
「何それ~、テキトー言ってる!」
「い、言ってない! 美味しいってば、マジで」
「ほんとかな~……」
花は笑いながら、自分の食事を進める。
……黙々と、黙々と。
「…………」
「…………」
まあ、食事中はね、お喋りは厳禁だからね。もぐもぐしなくちゃいけないし、俺たちは黙々とオムライスを口へ運んでいく。それを繰り返す。
――あれ? 別におかしくないよね? これセーフだよね?(何が)
妙な空気に耐えきれなくなり、一つ提案してみた。
「テレビとか、つける?」
「……どっちでも」
「そ、そっかぁ」
完。
せっかくいい雰囲気になりかけていたのに……俺は少し思案する。
「そういえば、久しぶりでしょ……ウチ」
「う、うん……そうだね。家に入るのは…………10年ぶりくらい……かな?」
「……10年、か」
それは同時に、俺たちの心が離れてしまった期間でもある。
そんなにも長い間、俺は花とまともに会話すらしてこなかったっていうのか。
「結構変わってたり……する?」
リビングを見渡す花に、俺が質問した。
「んー……そうだなぁ、所々変わってるけど……匂いとかは、変わってないかな」
――匂い。
花の若干マニアックな回答に、俺はなんだか嬉しくなって頬が緩む。
俺の表情の変化にめざとく気がついた花が、頬をかきながら質問してくる。
「……あれ、もしかしてわたし……なんか変なこと言っちゃった?」
「あ、いやいや、全然……変なんかじゃ」
「……ごめんなさい、今の……わ、忘れて……ほしい」
花は顔を俯けた。髪の隙間から見える耳を真っ赤に染まっていく。それにつられて俺も耳が熱くなる。
俺はもう食事を終えていて、花が食べているのを黙って眺めていた。
「……な、何?」
俺に見られるのがやたら気になるらしく、さっきからチクチクと視線が刺さる。
「ううん、食べるのちょっと早かったかな、って思ってさ」
「……わたし、食べるの遅いもん」
冗談めかしてむくれた花は言った。小動物みたいで正直愛でたい。
俺は自然と表情が和らいでいた。
「……ふふ、そういやそうだった」
花は呆気にとられた顔で俺を見てから、嬉しそうににっこり笑った。
* * *
「ごちそうさま、美味しかった!」
「ホント? 嬉しい」
花の食事が終わり、俺たちは少しだけ話をした。
お互いの家のこと。家族のこと。友達のこと。学校のテストのこと。
あまり突っ込んだ話はしなかった。だが俺はそれだけでも満足だった。
「……あ、お皿、洗わないと」
花が席を立ち、キッチンへ向かおうとする。
「あっ、いいよ。俺やるよ。……お客さんなんだし」
ちなみにお客さんに料理を作らせたのは俺である。
「だいじょぶ、わたしにまかせて」
花は俺の申し出を遠慮し、食器を重ね始めた。
料理を作ってもらい、皿まで洗ってもらうなんて、それは流石に申しわけない。
俺は――諦めない!
意固地になった俺は、席を立ち、花の持つ皿を取り返そうとした。
「……わ、な、何っ」
「いいから、皿くらい俺に洗わせてよ」
そして――。
「のわっ」
「きゃ!」
体勢を崩した俺は――彼女の身体ごと床に押し倒してしまった。
皿が鈍い音を立てて床に落下する。割れなかったことが救いだった。
しかし、そんなことよりも。
――これは……ラブコメ漫画やハーレムラノベでよく見るあれか……!?
え、マジでこんなこと現実に起こるわけ?
手を床に付けて、床に転がる花を見下ろした。
「…………」
「…………」
何も言えない。謝罪もできない。動けない。どうすればいいのかさえ、わからない。
今はただ、動揺した瞳の花をじっと見ることしかできなかった。
こんな気持ち、初めてだった。
大きくなった花と、ここまで距離を詰めたことだってなかった。
顔が……近い。
卵みたいにつるつるした白い頬が、少し赤みを帯びていた。
発色のいい艶やかな唇が開いて、小さな吐息さえ聞こえる。
俺は、丁度花の上で四つん這いをするような形になっていた。
右膝が……彼女の太ももの間に挟まっている。
――や、柔らかい。
年頃の女子の身体なんて触ったこともなかったが、それでもわかる。正真正銘、これは女の子の身体だ。
柔らかくて、白くて……顔を埋められたりしたらどんなにいいだろう。
しかし、そんなラッキースケベ、そうは起こらない。
「…………」
しばらくじっとしていると、何やらヘンな気分になってくる。
抱きしめたりしたら……怒るだろうか。
この雰囲気のまま、身を委ねたりしたら何か変わるんだろうか。
――花。
ドクン、ドクンと心臓が鼓動を強める。身体の中で強い波動となって、消えてくれない。花の少し潤んだ薄茶の瞳が俺の目を映した。
――花……今、君は何を考えてる?
その視線の意味は何? 今のこの状況、どう思ってる? 俺、知りたいよ。
「…………ごめん」
俺は苦虫を噛み潰したような顔で、彼女の上からそっと身体を退ける。
「…………」
花は何も言わずに床に散らばった皿を拾い、逃げる様にキッチンへ向かって行った。
頬が真っ赤だった。それに目も潤んでいた。
俺も立ち上がり、ソファまで歩いてから、身を降ろした。
――ああ。
やっちまったなぁ、……はあ。
せっかく話しやすくなってきたところだったのに。
俺はクッションに顔を埋めて、真っ赤になった顔を少しでも冷やそうと努めた。
でも一向に赤みが引く気配はない。
――なんなんだろう、さっきの感じ。なんか、なんか……。
あー恥ずかしすぎる! なんだよ今の数秒間! そりゃもう長く感じたよ!
それと同時に俺は改めて思った。
花は、いい身体をしている。
……じゃない。やっぱり彼女は女の子なんだということだ。当たり前のことだが、華奢で艶かしい柔らかさだった。
とてもじゃないが、昔一緒に泥だらけになって遊んでいた花とは結びつかない。
気がつけば、顔の表情が緩みきってニヤニヤしていた。何を考えてるんだ俺は。正真正銘の変態かよ!
俺は自分の髪をぐしゃぐしゃにして、頭を数発殴った。
数々の思いが、俺の小さな頭の中で交差する。
――これは終わったかな。もう嫌われたのかな。
いきなりあんな風になったら、そりゃ女の子は怖いよな……。
「…………」
俺は恐る恐る振り返ってみることにした。彼女が今どういった状態になっているか気になってしかたがなかった。
「あっ」
…………なんということだろう。
俺とまったく同じ行動を取った花が、そこにはいた。
「……っ!?」
俺と目が合った彼女は、くるりと身を半回転させる。
一方の俺もすぐに首を元の位置へと戻した。
……冷静になるんだ。俺はふっと息を抜き、両手を頭の後ろにやる。
――う、うわぉぉぉ…………。
なんだこのとんでもない展開は。半ば悶えながら、俺は自らを腹パンした。
気まずいイベントの後の相手の様子の確認とか……これは本気で恥ずかしい。
……沈黙が重い。
同じ部屋にいるというのに、俺たちはお互いの姿を目にすることもなかった。
食器を洗う音だけが響き渡っていた。
ふと視界に入った時計を確認する。なんと、もう10時になっていた。
早っ。頼むよ神様この部屋の時間を凍結してくれ。
とはいえ、そんなことも言っていられない。
身を引き締める思いで、花のいるキッチンのほうへ向かう。
食器を洗い終え、タオルを握りしめていた花が、俺の足音に反応して振り向いた。
大事なのは第一声だ……さっきまでの出来事がすべて夢だったかのように自然に振る舞う! コレで解決だ!! あーっはっはは!
「あ、あの……さ、もう10時なんだけど……その、大丈夫なの? 時間」
全然自然じゃない。噛みまくりじゃん俺。
「えっ……ホントに? ……じゃあ、わたし帰らないと」
花は時計を見ては驚き、決して俺とは目を合わせずに、すぐさま帰り支度を始めた。
花が靴を履く時間さえも長く感じる。地面をトントンと叩く音が悲しく反響する。
「その、本当に今日はありがとう。オムライス、凄い美味しかったよ」
「ううん、どういたしまして……じゃあね」
ぎこちない笑顔を浮かべながら、花は手を軽く振った。
扉が閉まり、途端に現実が押し寄せてくる。
――最後に、明日もよろしく! とかそんなこと言いたかったな。
俺はとぼとぼした足取りでリビングに戻り、ソファに飛び込んだ。
「ぬおおおおおおぉぉぅぅぅぅぅぁぁぁぁ!!」
叫びたくもなる。誰も彼も俺を許してくれ。
俺はクッションに顔を押しつけて大声で叫んだ。
俺がソファで暴れていると、足に引っかかって何かが落ちる。
「………ん? これは」
花の持ってきた小さな手提げ袋がそこにはあった。
中にはエプロンとスマートフォンが入っている。
俺は顎が外れるくらい口を開いた。ケツ顎太郎になりそうだった。
「……ど、どうしよう」
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