第2話 最高に落ち着く我が家が崩壊するたった一つの理由

「……あ、うん…………入って」


 俺は引きつった笑顔で扉を開けて、精一杯彼女を歓迎した。よそよそしい花の態度に、内心ショックだったのは言うまでもない。


 まあ、そうは言いつつも――花がもう一度俺の家に来るなんてことがあるとは思わなかった。そこは素直に嬉しかったし、花のことを間近で見たのは久しぶりだった。


 俺は玄関でサンダルを脱ぎ、フローリングに足を乗せるときに――さりげなく後ろを振り返るような感じで、しっかりと花の容姿を確認した。


 花が高校二年にあがったくらいで髪を染め始めたのは知っていた。

 栗色のセミロングヘア。側面を片方だけ編み込んでいて、それが慎ましいながらも、華やかで愛らしい。

 黒髪だった花ももちろん最高だったけど、ちょっとだけ洒落っ気に目覚めた彼女は、背伸びしたい少女のようで、とてもかわいらしかった。


 さらに、化粧もしていた。といっても、印象的な薄茶色のくりんとした二重まぶたから生えた睫毛をカールさせている程度だ。後はリップと頬に少量のチーク。

 学生服に許された最低限のお洒落を楽しんでいる、といった感じである。


 正直に言おう。…………たまらなくかわいい。胸が張り裂けそうだ。

 幼少期遊んでいた頃と比べても、とんでもなく魅力的な女の子になっているのは間違いない。


 今、俺の目の前にいる圧倒的美少女を、幼かった頃の俺は女の子としてさえ見てなかったという。は? って感じである。バカか。死ぬのか。お前なんかウンコだよ、このウンコメン。

 まあ、それは置いておくとして……。


 ――もう、昔の花じゃないんだな……。


 俺は正当に成長を遂げた幼なじみに喜びを感じつつ、少しの寂しさを覚えた。

 でも、きっとそれは俺だっても同じだろう。髪だって毎朝ちゃんとセットする様になったし、少しは身なりにも気を使い始めた。


 だから――これは、俺と花が一歩大人に近づいたってことだ。

 ――成長してるってことだ。


「えっと……じゃあ、おじゃまします」


「あっ、……どうぞ上がって」


 花が玄関で靴を脱いで、綺麗に踵を整えた。


「…………」


 ――昔は“おじゃまします”じゃなかったのにな。


 花はそんな俺の思いも知らず、遠慮した足取りで廊下を進んでいく。


「…………どうかした?」


 玄関でぼうっとしている俺に、花が振り返り様に言った。


「いや……なんでもない」


 ごまかし笑いを作る。俺は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。

 花はリビングに足を踏み入れると、すぐさまキッチンに向かった。


「じゃあ、キッチン借りるね」


「……う、うん」


 ――直行キタコレ。


 数年ぶりに入るリビングだし、ちょっとだけ部屋の間取りを確認したり、何か雑談してから料理に入るだろうと思っていたから、少しだけ残念だった。


 だが、花は何も俺と昔話をしに来たわけじゃない。

 俺の母さんの指示で、料理を作りに来てくれただけだ。

 ……感謝、するところだろ?


 俺は唇を噛みしめて、微妙に震える声をなんとか言葉にする。


「……今日はごめん、俺の晩御飯のために。……その、母さんがさ」


「ううん、私も暇だったから…………」


 花は何かを言いかけたような表情だったが、やがて唇を閉じた。持ってきた鞄からエプロンを取り出して着用する。

 制服にエプロン。男なら一度は妄想する萌えファッションである。

 腰部分の紐を結びながら、かわいらしく腰を曲げる。

 ああ……――正直抱きしめたい。

 実際そうなった場合のことを夢想しながら、俺が瞳を閉じると――。


「今日、オムライスとかでも、いい……?」


 花が声をかけてくる。何やら不安げな様子だ。

 いいに決まってるじゃないか! あなたのつくってくれる物ならなんでも!

 俺は世界一美味そうに食べる自信がある!


「オムライス……全然いいよ、それで!」


 おいこら蒼希てめえ。

 全然とか言ってんじゃねえぞ!! お前何様だよ! 帰れや!

 口が滑って言ってしまったことに心で謝罪しながら、俺はカチコチの身体でソファに腰を降ろした。


 ――やべえ。落ち着かないな。これアカン。

 まるで我が家じゃないみたいだ。


 俺はそれでもなんとか花とのコミュニケーションの継続を試みて、背後のキッチンを一瞬だけ振り返る。


「…………」


「…………」


 永久にも感じられるほどの静寂。

 何か、話題は……。


「フライパン、借りるね」


 ソファに座りながらだんまりを決め込む俺に、キッチンから声がかかる。

 会話のキャッチボールを開始するためのチャンスだと、俺は思った。


「あ!! もちろんっすよ、いい感じに全然ぜんぶ使っちゃって。バンバンいっぱいやっちゃって――」


 ――まてまてまてまて、お前何言ってんの。日本語ヤバない?

 ノリ軽く気さくな感じ演出しようとして逆に滑ってる感じじゃん、コレ。


「…………う、うん」


 花は俺のおかしな表情と、ソファから身を乗り出してくる様子に呆気にとられたのか、一瞬表情を固まらせてから困ったように首をこくんと振った。


 ――ああ、ダメだ。コレ。

 もう緊張しちゃってまともなコミュニケーションが築けそうにない。

 目を見て話すことさえできないし、花も警戒してるのか、ちょっとだけ表情が強張っている。


 俺は心で盛大に溜息をついてからソファに座り直し、テレビを付けた。

 背後からは食事を作る作業音。俺は全神経をそっちに向けながら内容の入ってこないテレビ画面を凝視する。


 何も話さなくっていいんだろうか。


 ――というか、こんな空気になってしまった、俺たちが嫌だ。

 そうだ。踏み出さないと、何も始まらない。

 これを気に、また昔みたいになれたらと、俺は……。


「あ、あのさっ」


「……ん? ……な、何!?」


 俺が急に口を開いたもんだから、花がビクッとなったのが、見なくてもわかった。


「なんか……手伝うこととか、ない?」


「だ、大丈夫……平気だよ」


「………うん」


 あっさり断られたよね。

 ここでさぁ、「何言ってんのさ、手伝うよ、ホラ貸して」とか言いながら調理道具奪い取って主導権握っちゃうくらいのイケメン戦闘力が俺にもあればなあ……!

 でもないんだよなあ……! イケメン戦闘力マイナスのカスですよ、僕は。


 その後も俺たちの間には特に会話もなく、高鳴り続ける胸の鼓動を必死に押さえながら、気まずい時間を過ごしていった。


 ふと俺は背後を振り返ってみた。

 壁付けされた昔ながらのキッチンで、調理に取り組む花の後ろ姿が確認できる。

 花がこちらを見ていないことをいいことに、ゲスい視線を彼女に送ることにした。ゴミだな、俺。


「…………」


 ソファから身を乗り出して、徐々に視線を下げていく。

 少し短めのスカートから、色白で張りのある太ももをさらけ出している。

 女の子がスカートを短くする理由ってのを、ふと考えてみた。

 男の気を引くため……? それとも、たんにかわいいからだろうか。


 そして一つの考えが、脳裏を過ぎった。


 ――彼氏とか、いるんだろうか?


 花に関する恋愛系の噂話を、学校では聞いたことがない。

 でも冷静に考えてこんなにかわいい子に彼氏がいないとか、不自然にも程があるんだが、そこはどうなんですか! えぇ!?


 俺は花を物色するのをやめ、天井を仰ぎ見た。


 ――俺だけの幼なじみだったのになあ。

 しみじみとした思いで、俺は天井のシミを数え始めた。末期症状かもしれない。


「……ねぇ」


「……んぉ、はぇ!?」


 ついアホな声が出た。

 キッチンから突然声をかけられて、思わず飛び跳ねてしまったのだ。


「あっ、ビックリさせちゃった? ……ごめんね」


「い、いや……」


「………」


「………」


 せっかく花が会話のきっかけを作ってくれたのに、俺は壊してしまったらしい。

 しばしの時間が過ぎる。


 ……一体なんの話だったんだろう。

 今から聞き直してもいいんだろうか。でも、もう終わっちゃったことだしな。

 今更感は否めない。


「あ、ケチャップ……使うね」


「あっ、はい! ……っす――」


 なぜか無駄な言葉を追加しようとしてやめた。ダメ。たぶん今余計なこと言うと、もっと気まずい空気になる気がする。


 ――はあ、一体何にビビってんだよ。幼なじみだろ? 花は。

 半分くらい馬鹿馬鹿しくなってきて、俺はキッチンを確認した。


 手持ち無沙汰になり、きょろきょろとリビングの様子を見ていた花と目が合った。


「……できた?」


 俺は勇気を出して、キッチンに佇む花に震えた声で聞いた。


「あ、できた」


 まるで声をかけられるのを待っていた仔犬のように、花はスカートを揺らしながらテーブルまでやってきた。


「ちょっと大きくなっちゃったみたい、ごめんね」


 花は、申し訳なさそうに皿を置く。

 さっきから謝ってばっかりだ。お互いに。

 もやもやした気持ちのまま俺は席に着いた。


 なるほど……うん。デカい。確かに二人前くらいはある。どうしてこうなった。


「いや平気平気、俺大食いだし。ほんとありがとう!」


 花の料理が食べられるなんて思わなかったから、俺は素で嬉しかった。いつの間に料理なんかできるようになったんだか。


「……じゃあ、わたし、帰る……ね?」


「……え」


 俺は、彼女が対面に座るものだと、なぜか勝手にそう思い込んでいた。

 ――目が合う。相手の瞳孔に自らの顔が反射していた。だが、それも長くは続かない。


「……た、食べて行けば? これ二人分くらいあるしさ」


 ――まだ、帰ってほしくなかった。少しだけでいい。喋りたかった。

 今の俺にできる、精一杯の踏み込みだった。

 これで断られたら、きっと俺はもう何も言えない。


「でも、大食いなんじゃ……?」


 しかし、花の返答は疑問系だった。確かに食べ盛りの男ではあるけど、別にオムライスを二人前は食わない!!

 従ってこう言う。


「いや、もしよかったら……だけど、一緒に……どう?」


 花の顔が見られない。俺は下を俯いたままなんとかそう言った。


「……いいの?」


 花の様子はわからない。でも、その口調には嫌気を感じなかった。

 なんでこんなでかいオムライスを作ったのか。俺は一つの考えを頭に巡らせる。

 もしかすると、俺と一緒に食べようと……思ってくれていた?

 いやいや……それはないか。本当のことはきっと花に聞かないとわからない。


 少し目線を上げると、花が顔を俯けてもじもじしている。


「……座りなよ、そこ」


 俺はそんな花の仕草が少しおかしくて、くすりと笑った。


「それじゃあ、ごめんね」


 少しだけ頬を染めて、彼女はスカートを押さえながら椅子に着いた。

 また謝られた。俺たちは悪いことはしてない。謝る必要なんて、何もないのに。

 少し他人行事になりすぎている。俺と花は……他人なんかじゃ、ないはずなのに。


 ――もう少しだけ、上手に話せたらいいのに……。


 もっと……花に近づきたい。

 昔みたいに。

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