6 高浜くんがいない

 そろそろ帰ろうとしている頃、自習室に定本が来た。彼も帰ろうとしているところだった。

「今日は災難だったみたいだね」

「そうでもないわよ」

「高浜は疲れたと話してたぞ」

「生徒指導でいろいろ言われたからじゃない?わたしは何も」

「駅まで帰らないか」

「逆じゃない」

 塾の玄関に出た。

「暗いからさ。学校で変なこと起きたみたいだし」

「それなら高浜くんを送ってあげなさい。どうせ補習してるわ」

「特訓だ。塾の前にテス弁しようとしてたみたいなんだよ。あんなテストくらい隙間時間にできるのに」

「友だちなのにずいぶんなこと言うじゃない」

 センセが現れて、

「二人ともどうした。雨か」

「高浜のこと。帰宅部なのに小テストくらい一発で合格しろと」

「今日は合格してたぞ」

「え?」と二宮。「センセ……」

 小さく頷いた。

 二宮は鞄をセンセに放ると、

「預かっていてください」

「二宮さん」と定本。


 二宮は学校の塀を野生の獣のように乗り越えた。夜の校舎は静かだが、職員室には光が見えた。誰かいるのだろうが、一気に廊下を駆け抜けて階段を駆け上がる。屋上に近づくにつれて、闇が見えてきた。妙にケタケタと笑う声、捻じるように体を歪ませて喜ぶ姿が見える。

「あのバカが」

 扉を開けた瞬間、三つの影が飛び込んできた。二宮は跳ねるように避けると、片膝をついたまま高浜のいるところを探した。生ぬるい風が吹き込んできて埃を飛ばした。

「見えた」

 貯水槽の反対に自殺した女の子の姿が見えた。高浜が落ちる彼女を抱き締めようとした。また一緒に落ちる気か。二宮が一緒に抱き締めて屋上へ戻した。貯水槽の下へマウスピースが転げ落ちた。抱き締めたとき落ちる姿が見えた。高浜は必死で貯水槽の下へ腕を伸ばして劣化したマウスピースを掴んだ。

「これだ」

「バカか」二宮は高浜の胸ぐらを掴んだ。「おまえまで引きずられるんだぞ」

「この子の魂はずっと同じことを繰り返してるんだ。通学して授業を受けて放課後に練習してる。これに原因があるんだ。こいつがこの子から離れたがらないんだよ」

 高浜は必死で訴えた。二宮はそんな高浜の様子を見て力が抜けた。

「もういい。疲れた」

「これどうする?」

「お祓いでもすれば?」

 呆れた。

 

 冬の夜、高浜は倒れた白狐に恐る恐る近づいてきて、ミリタリーコートにくるんで抱き上げてくれた。

「死ぬかと思った」

「だが蘇生しようとしたとき、おまえの力の一部は人のガキに憑いたんだ。奴が邪魔しなければ」

 権兵衛が言うが、

「わたしは死んでた。生きてるのは奴が抱き締めてくれたからだ。奴から力が流れ込んできたんだ」

「たかが人ごときに」

「人ごときにだ」


 二宮は振り向こうとしたとき、急に高浜が抱きついてきた。無意識に二宮は投げつけた。高浜の背が裂けるのが見えた。いくつもの笑い声と影が見えたが、高浜には三人の女生徒と二人の男生徒、呆然とする国語科の中ノ瀬の姿が見えた。

「白狐、動きを止めろ」

 権兵衛が急降下して中ノ瀬の頭を鷲掴みにした。生きている。五人の生徒の影は術で制止した。

「おまえたち動くな」

 手で制しつつ、倒れた高浜の血塗れの体に寄り添うと、

「起きろ」

「死ねばおまえに力が戻る」

「黙れ」と権兵衛に叫んだ。「さっさとおまえの宝を渡せ」

「まったく」

 くちばしからサファイアのような小粒を投げて寄越した。二宮は高浜の唇に押し込んだ。青く包まれた高浜の体はじっとしていた。

「奴らは何だ」

「俺にわかるわけないだろ」

 権兵衛は答えると、中ノ瀬は膝から崩れた。

「どういうこと」

「彼女が自殺した原因は俺にもあるんだ。五人のイジメを何とか止めようとしようとしていた。まだ俺は若かったんだ。でも五人を止めることはできなくて。怖くて」

「見殺しにした」

「俺も新任で」

 そろそろ二宮の五人を制止した腕が限界に近づいていた。

「二宮、見失うな。また五人とも暴れるぞ。奴らのあのときの負の気持ちは今でも奴らを捕らえている」

「限界だが?」

「封じ込めろ」

「高浜が倒れてるのに封じ込めることなどできない」

 影はそれぞれ檻で暴れる猛獣のように空気を震わせた。

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