3 高浜くんぶん投げられる

「幻妖はどこに?」

「上」カラスの権兵衛が筋交い越しに屋上を見上げた。「他にもいるからな。ややこしい話のようだ」

「ややこしいのか」高浜は鞄を背負いなおした。「そろそろ塾へ」

「あのな。おまえがいなければわたしは戦えん。ちゃんと支援しろ」

 リュックを掴まれた。

「二人が組んでから半年、まだ心許ない。もう子狐ではないが」

「絶対イヤだからな」

 力任せに連れていく二宮がリップの唇を寄せてきた。

「逃げたら八つ裂きだ」

「できるもんならやれ。俺がいなきゃ術も使えんくせに」

 二宮は恨めしそうに高浜をギロッと見ると、腹立たし紛れに突き放した。しかし着いてこいという後ろ姿は変わらないし、また着いてくるだろうという気持ちもわかる。わずかに肩越しに見てきた顔は着いてきてくれるだろうなと聞いていた。

「すぐ卑怯な顔するよな」

 無意識にあんな表情するから異性だけでなくて同性までも引き寄せるんだぞ。今度言ってやる。

 女狐が。


 すでに二階から三階へ上がる踊り場が重い空気に満たされていた。三階から屋上へ繋がる階段には採光窓から光が差し込んでいて、高浜には黒い炭粒まで浮かんているように見えた。二宮のスカートの裾が激しく揺れて、膝の上が覗きかけた。

「今の見えた?」

「いや」高浜はうつむいた。「見えかけたけど」

「は?刺みたいなものよ」

「見えた。ここに当たったもん」

「ちゃんとよけろよ。何かあればどうする」

「あんな速いのよけられるか」

 二人は屋上の扉の前に来た。灰色のペンキが剥がれ、また上に塗ってあるものだから表面がいびつになっているところに南京錠までかけられていておどろおどろしい。かつては屋上でも部活動をしていたようだが、いつしかできなくなった。

「痛っ」指で殴られた。「急に何するんだよ」

「さっき下着見ようとした」

「見ようとしてない。下にいたら見えそうになったから慌てて」

「慌てて?」

「本能が」

 頬をつままれた。これが本当の狐につままれるということだ。

「開いてる」

「どうぞ」

 高浜が言うと、二宮が恐る恐るノブに手をかけた。半回転ほど回したか回さないかというとき、高浜は二宮に蹴飛ばされるように屋上へと転げた。何かすると思っていたが盾にするとは卑怯すぎないか。

「パンツ、見えるぞ」

「いるのか」

 這い上がると、

「何かいる」

 と高浜は見渡した。

 青い空から雨が落ちてきた。

 錆びた金網に錆びたハンガーが風にコトコトと揺れていた。

「いるのか。わたしには見えないんだからな。おまえしかいない」

「ここからは冗談なし」

 高浜は中腰のままリュックを降ろした。はるか遠くから権兵衛の羽音が聞こえるが、どういうわけか部活の声も聞こえる。

「部活してるのか」

「屋上は使われてないはずだ」

「消えた」

 高浜は出入口から離れて金網と貯水タンクとの間を探るように歩いた。裏に「影」が見えた。人がいるようだ。寒気がしたが、後ろに二宮の気配を信じつつ追いかけることにしたとき、金網ごと屋上から突き落とされた。落ちる。中庭の生徒たちが見え、高浜の体は足を支点に校舎の縁で弧を描いた。暴風で吹き飛ばされて貯水槽に激突した。カマイタチが空を裂いて、影が消えた。

「大丈夫か!」

「くっそ痛いわっ」

 高浜は膝をついた二宮の背後にいくつかの影を見た。振り向きざまに二宮は爪を立てた。

「手応えは?」

「ある」

「三匹いた」

「二匹は別のところにいた。おまえの後ろに。でも消えた」

 二宮はムスッとした。

 高浜は頭を押さえながら雨のやんだ空を見上げた。二宮の腕に抱かれて見下した気配が見えるし、嘲る笑いが聞こえてくる。

「消えたみたいだ」

「うん」

 二宮は急に立ち上がると、冷たい目で見下ろした。下に落ち、一階から数人の教師が屋上へ来た。

「誰かいるのか」

 数人の教師が来て、国語科の中年の中ノ瀬が来た。必死で駆け上がってきたようだが追い越されたらしく肩で荒い息をしていた。続いて学校中の野次馬が押し寄せてきた。

「おまえたち二人」中ノ瀬がベストの下で息を整えた。「こんなところで何をしている。どうやってここに入ったんだ。いや。いったん職員室へ行こうか。話は後だ」

 高浜は言葉を聞きながら野次馬たちを見ていた。一人の生徒が背を向けるのを見逃さなかった。

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