03 歴戦の勇士だけではない。ここには強力な好敵手もいる。

 大敗の結果を残したデビュー戦。一人で反省会を行い、原因を探った。それはもう真剣に、あの後何も無かったかのように働く看護師の周囲を彷徨いて考えた。

 そして、私は気付いた。ターゲットにした看護師はその日の昼に患者が亡くなった病室で平然と眠れる、そう、いわば歴戦の勇士である。情報収集もろくにせず挑んでいい相手ではなかったのだ。

 ということで、今回はターゲットを変えることにした。まずは初級編。以前挑戦した看護師と共に夜勤をしていた新米看護師だ。泣きべそが似合いそうな顔をしているし、幼さを残す高い声はいい悲鳴を上げそうだ。


「……申し送りは以上です」

「了解。ゆっくり休んでおいで」

「はい。仮眠休憩いただきまーす」


 新米看護師の指導者なのか、出鼻を挫いたあの看護師が今日も夜勤に入っていた。前回と違うところは付きっきりではないようで、仮眠休憩を別々に入るようだ。

 空いている個室に入り、あぶらとり紙で顔を押さえる。それからミスト化粧水を吹きかける。この看護師もまた、短い仮眠時間を削って肌の手入れをしていた。

 これから何が起きるか知らず、なんて呑気なのだろう。この後の反応を想像するだけで笑いが込み上げてくる。


「仮眠が終わったら、巡視と採血とオムツ交換とバイタル測定、それから食事介助……はあ、夜勤しんどい」


 深い溜め息とともに吐き出される嘆きには同情する。しかし、同情したからといって手を緩める私ではない。

 看護師が横になったことを確認してからゆっくりと、軋んだ音を立ててトイレの扉を開ける。隙間から枯れ木のように細い腕を伸ばし、落窪んでぎょろついた目を向ける。ひたりひたりと音を立てて全貌を表す。


「……え」


 音を聞き、看護師は瞑っていた目を開ける。恐る恐ると周囲を確認し、ある一点に釘付けとなる。長い勤務に疲労の色が見えてきたが、それでも血色の良かった顔が真っ青になる。震えた唇から声にならない悲鳴を上げる。

 ひひっ、ひひっ。引き攣るような笑い声を上げ、悪臭を振り撒く。ぼとり、ぼとり。粘液性の塊を落とし、床と壁を汚していく。

 

「い、いやあ!」

 

 看護師は今度こそ悲鳴を上げる。そして、助けを求めるように緊急の二文字が書かれたオレンジ色のボタンを力いっぱい押す。

 慌ただしい足音を立てて、待機している看護師が飛んでくる。そして、惨状を目の当たりにして天を仰ぐ。

 

「せせせせせせせんぱい!」

「落ち着いて、夜勤あるあるよ」

「転倒むしも上肢抑制もしているのにぃ!」

「皆さん、縄抜けの達人だから。転倒していないだけ良かったと思いましょう」


 懐中電灯に照らされて、音の正体が明らかになる。

 ハリを失い、細く縮れた白い髪。シミが点在する肌には皺も多い。そう、看護師が悲鳴を上げたのは私のおぞましい姿を見てではなく、この場にいるはずのない高齢の患者が病室に入ってきたからだ。しかも、病衣だけでなく両手足も茶色の汚物に塗れている。手足が汚れているのだから当然、床と壁もだ。

 人手が少ない夜勤でこの状況。惨状と表現せずにはいられないだろう。


「ここ、片付けておくから簡易ベッドを使って面談室で休みな。休憩時間、延長していいから」

「……はい」


 リベンジ戦まで空回った私は思い知る。

 この病院にいるのは白衣を身に纏った歴戦の勇士だけではない。強力な好敵手がいるということを。

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