02 白衣の天使はいない。いるのは白衣の戦士である。

 消灯時間が過ぎ、ナースステーションの一角以外の照明は全て消える。こうなると、いくら現役の病院とはいえ不気味な雰囲気が漂ってくる。

 今晩は記念すべき初戦。とある情報を得た私は、時が来るのを今か今かと待ち侘びていた。


「先輩、今日の仮眠って……」

「あ、もうそんな時間か。どこか寝たい場所ある?」

「えーっと、簡易ベッドを持って面談室がいいなあって」

「それなら仮眠室使いなよ。簡易ベッドじゃ身体休まらないでしょ」

「大丈夫です! どこでも寝られます!」

「私は個室で寝るから仮眠室は空くよ」

「今日の今日で?!」


 これは仮眠時間に使う部屋の話。

 前もって待機していようと耳をそばだてていれば、今日空いている個室は昼間の内に一人の患者が亡くなったという情報を得た。

 これはついている。華々しくデビューすることができそうだ。心が逸った私は誰もいないリネン室で踊った。一通り踊ってから、病衣を纏って天井から吊り下がるように現れてやろうと、夜勤が始まる前にこの病院が使用している病衣に着替えた。


「はー、疲れた」


 個室で仮眠をとると言った看護師がやってきた。

 彼女は手提げ鞄を床頭台に置き、荷物を取り出す。病室に設けられた洗面台で顔を洗い、丁寧に保湿までしている。先程の会話では仮眠は二時間という驚くべき短さだったような気がするが……これが意識が高いというやつか。

 しかし、それに同情して手を緩める私ではない。


 吐血で汚れた病衣。痩せこけて皮が骨に張り付いた手足。落ち窪んだ目。完璧だ、これは恐ろしすぎて泣いてしまうかもしれない。窓に姿を映し、最終確認をしてから天井に張りつく。

 顔の手入れを終えた看護師は大きな欠伸をしながらベッドに寝転がる。この時を待っていた! 高揚する気持ちを抑えることなく、目が合った瞬間に口が裂けんばかりに口角を上げる。そして、彼女は――。


「……」


 眉一つ動かさず、寝た。

 え、寝た? 間違いなく目が合ったというのに、存在を認知したというのに、眉も顔色も変えずに寝た? 今の私はどこからどうみても病で痩せこけ、死を迎えた亡霊そのものだというのに! 死後、寂しくて徘徊していたら看護師に認知されて、喜びを露わにする亡霊を演じたというのに!

 予想外のことに動揺した私は看護師の上で右往左往するという間抜けな姿を晒すことになる。その間も看護師が目を覚ますことなく、規則正しい寝息をたてている。

 そして、あっという間に二時間経過し、セットしていたアラームで目を覚ました看護師は何事もなかったように荷物をまとめて病室を出ていった。


「休憩ありがとうございましたー」

「先輩、あの病室で寝られましたか?」

「そりゃあもう、ぐっすりと」

「そんなあ。怖くないんですか?」

「夜勤を積み重ねるうちにね、分かってくるのよ。幽霊の徘徊よりも認知症患者の徘徊の方が怖いし、生きている人間の対応で手一杯なのだから死者の相手をしている時間はない。少ない時間で眠ることを優先したくなる。つまり、慣れよ」

「そんな慣れ方したくないです!」


 華やかなデビューを果たすことができなかった私は思い知る。

 この病院にいる看護師は白衣の天使ではなく、白衣の戦士であるということを。

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