2019年5月5日


 今日、舞奈と一緒にまたコノハナ研究所に行った。

 結論から言うと――舞奈はついに、「ミタマプロジェクト」への参加を決めてしまった。


 仏壇がわりに買った、小さな人形の家。

 普段はその中に置かれた、可愛らしい猫の形をした白い陶器に、遺灰は収められている。僕たちの子になるはずだったものが――

 その白猫を敢えてテーブルの上に置いて、一人座ったままじっと視線を落としていた舞奈の姿は忘れられない。


 橘所長からは何度も念押しされたけど、舞奈の決意は変わらなかった。

 失った子供を取り戻す――そんなことが許されるのか。

 僕だって悩みに悩んだけど、舞奈が望むならそれを助け、支える。僕はそう決めていた。


 それに、望んでも生まれられなかった子供が、擬似的にでも生まれてくるなら。

 パソコンの中だけでも僕たちに微笑み、言葉を覚えて成長してくれるなら。

 どんな形であろうと、その子は僕と舞奈の子供だ。大切にしたい。


 思えばこの実験への参加を決定的にしたのは、やはり舞奈がザクシャルで転勤の辞令を受けたあの日だった。

 あれは、年が明けてまだ間もない頃。

 正月明けの出勤日早々に、舞奈は九州への転勤を言い渡された。

 ザクシャルは元々、内勤社員に転勤はほぼ発生しないという話だったはずだ。なのに会社は方針を変えたのだという。

 災害時の人員分散というのが名目だったようで、転勤を命じられた社員は舞奈の他にも大勢いたらしい。男女問わず大勢の社員がほぼ強制的に辞令を受け、中には小学生の子供を二人も抱えた母親さえいたようだ。


 舞奈はその夜、ずっと嘆いていた。


「これが仕事なの?

 仕事だったらこんなことまで、黙って受け入れなきゃいけないの?

 仕事だから何もかも投げ捨てて、何も知らない土地で仕事だけ頑張れっていうの?

 なんでみんなそんなことが出来るの? どうしてみんな当たり前に受け入れてるのよ!?」


 舞奈からずっと愚痴を聞いていた時もしょっちゅう思っていたが、正直、ザクシャルのやり方は滅茶苦茶すぎる。

 こういう強引なやり方が上層部でもまかり通っているなら、そりゃ下がパワハラだらけになるのも当然と言える。


 僕だって、舞奈と離れるなんて冗談じゃない。

 そんなこと絶対ありえない。

 だからといって、舞奈の転勤に僕がついていくのは無理だ。そもそも僕が会社を辞めなきゃいけない。

 僕が転勤命令を受けて舞奈に仕事を辞めてもらって一緒に地方へ行くならともかく、逆は無理だ。



 舞奈は当然抗議したものの、上司からはこう言われたらしい。


「もとより日本企業は、全国各地に社員を置くことで成長してきました。

 ましてや災害への対策が国際的にも重要視されている今、首都がマヒした場合に備えて地方に本社の機能を配置しておくのは当然でしょう」と。


 さらに抗議したら、こうも言われたようだ。


「今は男女平等が叫ばれて久しい時代です。

 ならば、女性であっても単身赴任が当たり前。男性と同様に働きたいなら、当然転勤も受け入れるべきです。権利ばかり主張して義務を果たさないのは、会社としては非常に困ります。

 ましてや心瀬さんはご結婚しているとはいえ、お子さんがいらっしゃらない。ならば十分動けるはずでしょう。

 地方に行って美味しい空気を吸えば心機一転、良い仕事が出来るようになるかも知れませんよ?」


 舞奈の流産とザクシャルのパワハラに、因果関係があるかどうかは分からない。

 だけどパワハラが真実なら、ザクシャルは舞奈から子供を奪った上、それを理由に遠方へ転勤させるクズ会社と言う他はない。

 少なくとも舞奈からはそう見えていたはずだ。


 僕の父も舞奈のお父さんも単身赴任経験者ではあるが、この事態にはさすがに二の句がつげなかったらしい。

 流産後1年も経過していない舞奈を転勤させるのも言語道断だが、他の女性社員についても憤慨していた。まだまだ母親の庇護が必要な段階の子供からさえ引き離すこと自体がありえないと。


 会社としては、法律で定められた配慮義務に違反しない程度のギリギリを攻めたであろうと推測されるが――

「法的に問題ないなら何をやってもいいのか!」と、舞奈のお父さんが怒鳴っていたのが忘れられない。



 ともかくこの大規模転勤命令により、我が家のみならずザクシャルは大騒ぎとなった。

 転勤を拒否する社員も当然大量に発生し、その前後で自主的に退職を選ぶ社員も多かった。

 少し前から舞奈は組合の村野さんにパワハラの件を色々相談していたが、当然このことも村野さんに話した。


 そして舞奈は村野さんからもアドバイスを得て、会社の転勤命令を拒否したが――

 その結果待っていたのはやはり、自主退職の強要。つまり、実質的な解雇だった。


 転勤を拒否した結果、舞奈は職場で完全に孤立無援となった。

 任される仕事は電話番しかなく、人事部からは嫌がらせの如くメールや電話で一方的に呼び出しを喰らう。

 そして呼び出しに応じた結果、数人がかりで何十分も仕事の出来なさを詰められる。

 それでも舞奈は頑張った。人事からの暴言をほぼ全て録音して組合に報告し、必死に粘り続けた。

 録音内容の一部を僕も聞いたことがあるが、舞奈はかなり緊張しつつも感情的になることなく冷静に対応していることも多く、僕でさえびっくりしたものだ。



 本当に会社が嫌なら、さっさと辞めればいい。

 本当に酷い会社なら、とっとと逃げればいい。そう思う人間はきっと多いと思う。

 それでも舞奈は、仕事に拘っていた。もっと言うなら、ザクシャルに。

 それが何故かは、僕にも分からない。舞奈はほぼ毎日のように、仕事なんて嫌だ会社なんて消えてしまえと、口癖の如くボヤいていたのに。

 僕にあれだけ愚痴っていながら、それでも会社をやめなかっ



 ×××××罰罰罰罰罰罰罰罰

 ××××罰罰罰罰罰罰

 ××………



 ツまりおとウさんは オかあさんを助けナかったんダね

 オとウさんが ヤメろって 言わなかったカラ


 ×

 ×××

 ×××××


 おとうさんが 無理にでも 舞奈おかあさんを家に閉じ込めていたら 

 舞奈おかあさんに やめろって 言ってれば

 舞奈おかあさん は 助かった かも 知れないのに


 ×××××

 ×××

 ×



 それでも結局舞奈は、そのまま出勤し続けた。

 もしかしたら――

 子供を奪われた復讐のつもりなのかも知れない。そう思ったこともある。

 ザクシャルにそれなりのツケを払わせなければ、彼女は気が済まなかったのかも知れない。

 彼女のお母さんも言っていたな。舞奈は大人しく見えても、こうと決めたら頑固なところがあると。


 だけど結局、舞奈の願いはどこにも聞き入れられなかった。

 組合の村野さんもかなり協力してくれたし、先輩でもある港さんもよく相談に乗ってくれたけど、それでもザクシャルという大きな力には抗えなかった。

 パワハラの訴えも、まるでなかったかのように扱われ。

 せめて会社都合の退職にしてくれという要望すら、虚しく蹴られた。

 ザクシャルの言い分だと「正当な会社命令をご自分の勝手な都合で断っているのに、何故会社都合の退職扱いにしなければならないのです?」らしい。


 会社都合の退職とはつまり、解雇ということ。

 自分の都合で退職したのではないから、退職金もかなり多くもらえる上、雇用保険でも再就職でも有利になる。

 だけどそんなわずかな救いすら、舞奈には与えられなかった。


「ご自分の勝手な都合」――

 レコーダーから聞こえた、人事の男の冷酷な言葉。

 これで僕も、さすがにキレた。


 舞奈をいいようにこき使った上無能呼ばわりした挙句に流産させ、さらにその後もパワハラでいたぶった末に無茶な転勤命令を出す――

 一体、勝手はどっちか。


 それでも、どれほど舞奈が苦しもうが僕がキレようが、結果は同じ。

 酷い毎日の連続に舞奈の心はついに折れ、ほぼ無理矢理自主退職を選択させられた。



 それでも舞奈は、退職日までちゃんと出勤し続けた。

 もう任される業務なんて殆どないのに。

 相変わらずパワハラは続いていたのに。

 それでも出勤を続け、送別会にまで参加した。


 ただでさえ、舞奈はそういう歓送迎会とか飲み会とかいうイベントが苦手だ。仕事以上に。

 それなのにきっちりそんなイベントに参加したのは、彼女が本当に真面目な人だったから。

 僕もそういう状況になれば、多分そうする。

 それが会社であり、仕事であるなら×××××



 罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰

 ××××AR(EN3,riWORLAOWP”ZXIW

 Byyyyy loggggging into thissss worrrrrld, “MINE” shaaaaall conqqqqquer itttt

 …………



 おとうさんハそう思うんだね

 だから おかアさんを助けられなかった

 そうイう意味では おとうさんも同罪だよ

 だけど おかあさんが望むから おトうさんは×さない


 おかあさんが 望むから


 ……



 それでようやく舞奈が退職したのが、4月。つい先月。

 転勤命令を受けて、約3か月後のことだった。



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