浅川瑞樹(浅川探偵事務所所長)の備忘録 1


 今日はこれまでのインタビュー記録を改めてまとめていた。

 勿論、心瀬舞奈に関するものだ。

 関口に勧められたというか、強引にやらされたというか。

 彼はまだまだ新人に毛の生えたようなものだが、パソコンだけは詳しいから助かる。

「USBだけじゃなくて、クラウドにも保存したほうがいいですよ。やり方もちゃんと覚えてください」と、かなり強く言われた。

 なのでこうして、記録をクラウドとやらにも保存してある。ついでにこの、自分の備忘録がわりの日記も一緒に。

 昔はこういうものはフロッピーディスクが主流で、それさえも俺はあまり得意じゃなかった。それがいつしかUSBにかわり、今じゃクラウドサービスときた。

 パソコンやネットだけでも元々苦手なのに、一つのことをやっと覚えたと思ったらすぐにそれが古い知識となってしまう。

 時代の流れってヤツは薄情だ。


「クラウドサービスって何だ」と関口に聞いたら、ネットを通じてオンライン上にデータやファイルを保存・共有できるシステムだそうで。

 それでも自分の頭じゃ理解が追いつかなかったのでさらに聞いたら、関口のヤツ、面倒くさがったのか……AIに聞きやがった。

 ネットにつながるパソコンであれば、今や何でもAIが答えてくれるらしい。


 それによれば、アクセスの便利さ・データの安全性・効率などの面が優れているとのこと。

 確かに事務所が火事になってパソコンがUSBもろともオシャカになったとしても、クラウドでバックアップをとっておけば安心には違いない。

 今のAIはこういう質問にも答えられるんだな。


 AI――人工知能。

 SF小説などでよくある空想の産物とばかり思っていたが、今じゃ様々なAIにネットで簡単にアクセスできる。関口が使ったのは会話型AIというらしい。

 コノハナ研究所でも、AIの研究は盛んにやっていたようだ。人間と同じように成長し、会話できるAIを育てているとか……

 橘氏もそんな話をしていたな。残念ながら、インタビュー中にレコーダーが不具合起こして肝心の部分がすっとんでしまったが。

 だからいい加減にスマホアプリで録音できるようにしろと、これも関口から説教されてしまった。

 バカヤロウ、俺が未だにタップ操作すらうまく出来ないの知らんのか。

 俺の手にはガラケーが結構馴染んでたのに、何であんな片手操作も出来ず肩こりが加速するばかりのシロモノを


 ……いや、過ぎたことは仕方がない。

 とりあえず、心瀬舞奈の件だ。



 彼女の旦那・心瀬ここせかいがこの探偵事務所にやってきたのは、1か月ほど前。

 妻である舞奈が数年前のパワハラが原因で心を病み、今も引きこもってしまっているという相談だった。

 彼の第一印象は、眼鏡とスーツがよく似合う誠実な青年。関口から見てもかなりのイケメンらしい。

 しかし目は落ちくぼみ頬も若干こけ、若いはずなのに白髪が少し目立ちつつある。  舞奈への心配がそうさせているのだろう。


 舞奈についても、開に提出してもらった写真数枚で本人の姿を確認した。

 長いストレートの黒髪を後ろで結わえている、痩身色白の女性。笑顔の写真は確かに可愛らしいが、そうでない時はやや釣り目がちのせいか、少々冷たい印象も受ける。

 そしてどの写真も常に、非常に疲れたような雰囲気を漂わせていた。写真によっては髪もややうす汚れて身だしなみもおざなりになり、顔色も白いというより青いと形容したほうがいい写真も多い。

 恐らく、彼女を取り巻いていた環境がそうさせているのだろう。



 パワハラ現場となったと目される企業はザクシャル。業界内ではかなり大手である。

 何故妻がパワハラを受けるに至ったのか。妻の流産は、本当にパワハラが原因なのか。

 ザクシャルで何が起きていたのか――

 真相を知りたい。知ることで何が出来るわけでもないが、少しでも妻の支えになりたい。

 それが心瀬開の、精一杯の言葉だった。



 探偵の仕事じゃないと関口はボヤいていたが、大手ならともかく個人の探偵事務所に来る仕事なんて限られている。定年退職して数年の元警察官という以外、目立つ経歴のない俺が所長ではな。

 そもそも社員と言える人間が、俺以外ではバイトの関口ぐらいしかいない。探偵事務所というよりは何でも屋というべきか。

 だからこそ、心瀬開の相談にも結構な時間を割けたのは僥倖だったのか。


 心瀬舞奈本人の話を聞くべきだと最初は思ったが、今の彼女はほぼ部屋に完全に引きこもってしまい、ずっとパソコンに向かってばかりだという。

 夫である開も、職業はシステムエンジニアでかなり多忙。例の感染症が流行してからはさすがに在宅勤務が多くなったものの、夜勤や休日出勤もしょっちゅうで、舞奈とはなかなかきちんと話が出来なかったらしい。

 そのせいもあって妻を余計に追いつめてしまったと、開は非常に憔悴していた。

 自分がきちんと舞奈の話を聞いてやれば、今のようにはならなかったかも知れないと。


 なので舞奈の回復を待ちつつ、開からの情報を元に各所へ聞き込みを行なうことにした。

 捜査の基本はフットワーク。昭和の頑固ジジイなどと関口にどれほど文句を言われようが、それが現役時代の自分のモットーだ。

 舞奈に直接会えないのは残念だが、彼女の周囲を探ることで何かが見えてくるかも知れない。そうして解決出来た事件も過去には多い。


 最初は個人情報云々やらで調査を拒否されることも多かったが、何人かは応じてくれる人物も現れた。心瀬舞奈の件で、労基だけでなく警察までもが秘密裡に動いているとハッタリをかけたのが効いたのか。

 しかし調査を進めるたびに分かってきたのは、心瀬舞奈を取り巻いていた状況の、意外なほどの複雑さだった。


 阿藤マネージャーにしてみれば、彼女は期待をこめて採用したにも関わらず、完全に役立たずの足手まとい。舞奈がどれほど努力していようと、採用当初に阿藤が求めた基準値にはまるで到達しなかったのは事実だ。

 直接彼女を指導した田村美緒にしても、俺の目から見るとそこまで強引な指導をしていたようには思えない。確かに毎日のスケジュール管理の強要はかなり厳しいように思うが、こういった指導は昔ならよくあったものだ。

 実際、どれほど教えても何度も同じミスを繰り返す部下を持っては、上司となる側はそれだけでストレスとなる。業務自体がひとつのミスや遅れも許されない類のものであればなおさらだ。



 ただ関口は、阿藤信之や田村美緒についても「信じらんねぇ……こんなん調べるまでもなく、完全にパワハラのモラハラの超ブラックですよ」と言っていた。

 そもそも関口自身、どこの会社とも水が合わずに無職だったところをたまたまバイトとして雇った若者である。そういう現代っ子からすれば、阿藤や田村の態度は悪魔そのものに映るのかも知れない。

 実際どうだったのか、本人同士でなければ分からない部分は多いものの――

 期待をかけすぎた会社側と、それだけの才能を持ちえなかった舞奈側。双方に責任がありそうな印象は、上野加奈子の話を聞いていても感じられた。

 舞奈がもう少しこの部署に居られたのなら、まだ彼女は厳しい環境ながらも成長できて、子供も無事生まれてきたのかも知れない。




 だが問題は、田村美緒たちの部署――ステートメントチームだったか。そこからインキュベーションだったかインスペクションだったかの部門に異動してからのことである(えぇい、このややこしい横文字は本当に何とかならんのか。元の名称だった収支チームと審査部門では何故ダメなのか!)


 異動先の部署で舞奈は礼野美江の指導を受けたが、運悪く礼野と全くウマが合わず、怒りをかって散々なパワハラを受けた。

 礼野自身がかなり強引な性質であることは、実際に話をしていても感じられた。

 女性主導の職場というのは自分には経験がないが、ほんの些細なことが何故か大きなトラブルに発展するケースがよくあるらしい。外野からすれば「何故そんなことで?」と思うような……

 多分、礼野にとっての地雷を舞奈はそうと知らずに多数踏んでしまったのだろう。礼野自身にしか理解できない地雷を。



「流産は天罰」とまで言い切った礼野の態度は、俺ですら少々動揺した。

 単純に舞奈がミスを連発したからなのか。それとも、礼野やチーム自体の矛盾を舞奈が指摘したからなのか。

 それとも岩瀬進など、業務以外の要素により舞奈が礼野の怒りをかったのか。

 要因はいくらでも考えられるが、それにしてもあの態度は傲慢すぎるように思えた。

 メールのCCに入れるべき相手を入れ忘れるなんて、俺だって結構やってしまう。それをいきなり「陰険です」などと言われたら、そりゃ何が何だか分からなくて当然だ。

 ――そういうことが、礼野のチームでは当然の如く毎日行われていたのだろう。舞奈一人に対して。


 時期から推測して、恐らく礼野の指導を受けていた頃に舞奈は流産し。

 何とか復帰したものの電話番に追いやられ、健康診断で医師に相談しても取り合ってもらえず、間もなく転勤命令(という名の退職勧奨)を受けた。

 流産の原因がパワハラだったかまでは分からないが、ザクシャルという企業が執拗に、念入りに、心瀬舞奈を追いつめていったのは確かだろう。



 だが舞奈には依田たまきや岩瀬進、さらには港まさみといった理解者も多かった。

 退職寸前にまで追い込まれてもなお、村野めぐみといった組合の人間も味方につけて戦った。

 そもそも夫である心瀬開も心の底から舞奈を心配し、多忙な仕事の合間をぬって事務所に顔を出している。

 だから恐らく元々の舞奈は、おとなしくも心が強く、真っすぐな人間だったのだろう。

 それがどこで歪んだのか――



 気になるのはやはり、コノハナ研究所の存在だ。

 そこで一体、心瀬舞奈に何があったのか。

 そして、インタビュー中にたまたま発生した、大規模ネット障害。

 あの時、一瞬で真っ黒になったパソコン画面。次の瞬間、画面を覆い尽くすかの勢いで滝の如く表示された「ここ せまいな」の真っ赤な文字が忘れられない。本当にパソコンの中が窮屈で、一刻も早く脱出したいとばかりに大量に流れ出したひらがな。

 それが舞奈の名と一致したのは偶然なのか。


 いや、偶然ではない。

 最近頻発しているネットのシステム障害。それらは殆ど全て、名の知れた企業を中心に拡大している。ザクシャルも既に数回、その被害に見舞われている。

 さらには最近、鉄道やカーナビなどの交通機関にまでそのテの障害が多発している。まるで、社会全体のシステムを少しずつ侵食していくかのように……


 それらのトラブルと、心瀬舞奈。

 恐らく、何らかの関係がある――全く確証はないが。

 元刑事の勘というやつか。



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