第29話

 外はしん、と静まりかえっていた。皆、部屋の中で震えているのだろうか、明かりも少ない。暗い道だが、今紅月は猫の姿なので、見えないということはなかった。


『そんなおっかなびっくり歩いているといつまでも辿り着かないぞ』


『わかっているわよ。……なんだか裸で歩いている気分で落ち着かないの』


 実際は毛皮で包まれているのだが、夜風が吹く度に違和感を覚え、うっかり足を止めてしまう。以前も猫のまま天穹殿から自分の宮まで駆けていったはずだが、あの時は必死だったのだな、と思う。


『で、なんでついて来ているのよ』


 てしてしと小さな足で天穹殿に向かう紅月の横には玄牙がいる。


『うん? お前の旦那を一度見て見たいと思ってな』


『殺そうとしたくせに』


『今はやらん。今はな』


 玄牙を縛る鎖とやらを紅月は感じ取ることはできないが、大丈夫だという確信が玄牙の中にはあるんだろう。


『最初に殺そうとした男だろう。会えばなにかわかるかもしれんし』


『それもそうね。でも本当に手を出さないでよ。もしなんかしたら……』


『しつこいな』


 その時、足音がして紅月はびくりとした。


 剣を下げて武装した宦官が二人、こちらに歩いてくる。紅月は近くの茂みに身を隠し、それをやり過ごした。


『その辺にいる猫など気にも止めないだろうに』


『でも怖いのよ。体がずいぶん小さくなっているし』


 捕まっていたずらされるかもしれない。用心に越したことはないのだ。


『だがこのままでは埒が開かないな』


 玄牙が手を地面についた。黒い靄が全身を包み、玄牙は巨大な猫の姿となった。


『俺の背に乗れ。紅月』


『わ……わかった!』


 紅月は助走を付けると、ぴょーんと玄牙の背に乗った。


『あわわ……早い!』


 走り出した玄牙はまるで矢のような速度で進む。紅月は必死で爪を立て、その背にしがみついた。


『着いたぞ』


『ちょっと……加減してよ』


 ちょっとふらつきながら紅月は玄牙の背から降りる。するとするりと玄牙は人型を取った。


『え、戻るの?』


『何か問題か』


『なんというか……良くないんじゃないかしら。皇帝の寝室に男が行くなんて』


 紅月がもにょもにょと抗議すると、玄牙はハッと笑い飛ばした。


『どうせ俺の姿はお前にしか見えんぞ』


『それでもなんか嫌なのよ』


『浮気相手を連れて行く気分か?』


『そんなんじゃないわ! ……とにかく、こっちよ』


 玄牙は紅月を揶揄うのが好きなようで困る。いつまでも相手にしていられないので、紅月は先に進んだ。この先は凌雲の寝室の窓がある。


「にゃあああお」


 紅月は窓の外から鳴いた。


(お願い開けて。凌雲様……紅月が来ました)


 がたがたっと何かが倒れる音がして、勢いよく窓が開いた。室内の明かりが砂利を照らす。そしてそこには驚いた顔の凌雲が居た。


「にゃああああん!」


「……紅月? 紅月なのか?」


「にゃう」


 紅月が窓に飛び移ると、凌雲は彼女を抱き留めた。


「まさかと思ったが……猫の姿で来るとは」


 凌雲の手が優しく紅月の被毛をかき分ける。首元をくすぐるように撫で、凌雲は頬ずりをした。


「にゃう」


 会いたかったです、そう伝えたいが猫の声ではもどかしい。


「……とにかく、中に入ろう。寒かっただろう」


 凌雲は紅月を抱いて、部屋へと戻った。


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