第28話

 その知らせに、宮廷は大騒ぎとなった。外出禁止命令が出て、宦官たちも武装して後宮を警護することとなった。


「大変なことになったわ……」


 あれから紅月は昼間も夜もずっと玄牙を呼び出している。


 すっかり夜も更けた頃、玄牙はまるで部屋の主のような顔をして長椅子に寝そべっていた。


『蠱師はお前が狙いではなかったのだな』


「まさか見ず知らずの妃が犠牲になるとは思わなかったわ……気の毒に」


『目的はなんだ? この後宮を滅ぼすつもりか?』


「怖いこと言わないでよ……」


 玄牙を操っていた蠱師が、また本格的に動いたということなのだろうか。皇帝を殺し、妃を殺す。玄牙の言う通り後宮への悪意を感じる。


 と、なると心配なのは凌雲だ。先ほど王安がやってきて、しばらく天穹殿には来ないようにと伝言があった。側に居れば玄牙の目で蠱毒の呪いを捕らえることも出来るのに。


「護符……ちゃんと役立つといいんだけど……」


 紅月の術はきちんと修行をしたものではない。手練れの術士ならばそれを打ち破ることもたやすいだろう。そんなものに頼ることはなく、宮廷の術士がきちんと凌雲を守ってくれれば良い。紅月はそう自分に言い聞かすのだが、もし、その術士の中に例の蠱師が紛れていたら……そんな考えに胸がざわつく。


「誰が信用できるのか……」


 凌雲もこんな気持ちで政をしているのだろうか。なんと不安で心もとないことだろうか。だから凌雲は眠れなくなってしまったのだ。


『紅月、もう寝ろ。考え事ばかりしてもどうにもならん』


 玄牙は紅月をひょいっと持ち上げると、寝台の上にぽいと放り投げた。


「何するのよ!」


『寝ろ』


「……わかったわ」


 紅月が目をつむると、玄牙が横に寝そべってきた。守ってくれているつもりなのだろうか。


「ありがとう」


 その日、深夜になってようやく紅月は眠ることができた。




 とは言え日を追うごとに心配は募っていく。紅月が目に見えて元気を無くしているのを見て、雪香は花を生けたり、香を焚いたりして気分を変えようとしてくれていた。それでも紅月の心は暗く沈むばかりである。


「紅月様、たまにはご酒を召されてはどうです?」


 夜に寝付けていないことを察してか、夜には寝酒を持って来た。


「良い月だものね。いただくわ」


 紅月は酒を受け取り、雪香を返した。


「玄牙、一応これも見てちょうだい」


 紅月は杯に注いだ酒を玄牙の前に突き出した。


『ふん……』


 玄牙は顔を突き出してふんふんと酒の匂いを嗅いだ。玄牙の顔が真顔になる。


「どうしたの? なにかあった?」


『飲んでもいいか?』


「ええ、いいけど……」


 紅月がそう答えると、玄牙は紅月の手から杯をひったくって酒を飲み干した。


『う……う……』


「大丈夫?」


 なんだか様子のおかしい玄牙を見て、紅月は心配そうに声をかける。だが、次の瞬間、玄牙はにんまりと笑みを浮かべた。


『うまい! なんだこれは』


「お酒よ。きびとか麦を発酵させて作るの」


『これはいいものだ。もっとくれ』


 玄牙は酒が大層気に入ったようだ。紅月はだったら全部どうぞ、と玄牙に酒瓶ごと渡して、自分は窓辺の椅子に腰かけた。空には明るい月が煌々と照っている。凌雲と何度もこうして月を見たな、と思い出す。


「こんなときに凌雲様に会えないなんて……」


『会えばいいではないか』


「簡単に言わないで! 外は見回りがいっぱいなんだから」


『猫の姿なら行けるだろう』


「……あっ」


 紅月がハッとした顔をすると、玄牙は牙を剥きだしにしてニヤッと笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る