第22話
一方その頃、紅月は玄牙を連れて後宮内を歩いていた。この後宮のどこかにいる、呪いを命じた者を探すためである。身近で後宮の暮らしが最も長い白瑛に人の多いところを聞いて、そこを目指しているのだ。
『そんなにチラチラ見るな。目立つぞ』
「だって……分かっていても気になるのよ」
玄牙の姿は並の人間には見ることが出来ない。そう説明されたとて、透けたりぼやけたりすることもなくそこにいる玄牙を、居ないものとして扱うのはなかなか難しかった。
『口で話すと周りに聞こえるぞ』
「じゃあ、どうしろって言うのよ」
『初めに会った時のようにあやかしの言葉で話せ』
紅月はあの時のことを思い出して、なんとかあの声を出そうとしたが、やろうと思って出来るものではない。
「う~ん」
『仕方ないな、ほれ』
玄牙は紅月に向かって手を差し出した。握れ、と言うことなのだろうか。だが、伴侶のいる身で男の手を握ることに紅月は躊躇した。厳密に言えば玄牙はあやかしで、男だとか女だとかの区別は無いのかもしれないが、形は男である。
紅月はしばらく考えあぐねた後、その横でゆらゆらしていた尻尾を掴んだ。
『はひゅっ⁉』
いきなり尻尾を掴まれた玄牙は変な声を出した。
『お前! 何するんだ!』
『ごめん、嫌だった? ……あ、声が出る』
『まあいい。引っ張ったりするなよ……。あ、あそこだな』
玄牙の視線の先には庭園がある。ここは宴を催したりもする立派で大きな庭があり、山河を模した築山や人工の川などがある。今は紅葉や菊や牡丹が見頃となっており、暇を持て余した妃たちが散策しているのであった。
『こいつらに呪の気配がないか見ればいいのだな』
『そうよ。細い糸でも辿れば出所が分かるかもでしょ』
紅月は庭に足を踏み入れた。本当に美しいところだ。ただ紅葉に目を奪われていると、その横の川を小舟が下っていく。舟の上には二人の妃がいて、何やら談笑しているようだ。
『あの二人はどう?』
『何も感じない』
『じゃああっちは?』
『なんにも』
幾人かの妃や宦官を見て見るが、玄牙の鼻が反応することはなかった。
また足を進め、今度は東屋で休息をしている妃たちに近寄る。
『あれは?』
『うーん、もう少し近づきたい』
紅月はそっとその横を通り過ぎようとした。出来れば彼女たちに気づかれたくない。だが、紅月がそう思えば思うほど、足取りはギクシャクとした不自然なものになっていった。
「あら、こんにちは」
彼女たちのうちのひとりがふと顔を上げ、紅月に声をかけてきた。
「こ……こんにちは」
眼中に入って居なかったせいで後宮入りしてから高位の妃のお茶会に呼ばれることもなく、紅月の顔を知っている者はそう多くはない。そして紅月もさほど他の妃を知らない。宴の席で見たことのあるものが少し。そして同時に後宮入りした者が少し、と言った程度だ。
どうか、知り合いではありませんように、と紅月が返事をした途端に、声をかけてきた妃の隣にいた妃が「あら」と声をあげた。
「夏貴妃様」
見ると、一緒に後宮に入った妃のひとりであった。確か高美人と言ったと思う。
「お久しぶりです」
かくれんぼに見つかった気分で、紅月はしぶしぶその妃に挨拶をした。
「まあ、夏貴妃でしたの」
その横で、先ほどの妃は笑顔を浮かべている。が、目は全く笑っていない。
「潘淑妃と申します」
その名には聞き覚えがある。あの香辛料入りの菓子を寄越した妃だ。たっぷりとした黒髪に肉付きの良い体。少し眠そうな垂れ目の柔和な顔立ちではあったが、紅月を見る目は憎しみでギラギラとしていた。
「先日はたいそうなものを、ありがとうございました」
紅月もあれには腹を立てていたので、つい口調がきつくなった。
「まあ、そうですか」
互いに笑顔ではあるが、今にも取っ組み合いが始まりそうである。横から玄牙の小さなため息が聞こえてきた。
「珍しいですね。夏貴妃がこちらまでいらっしゃるなんて」
「ええ……ちょっと気分転換に」
「そうですね。夏貴妃はお忙しいでしょうから……わたくしたちと違って」
潘淑妃は露骨に皇帝の寵愛を受けていることに対する嫉妬を露わにした。
「いえいえそんな」
実際は毎晩ぐっすりですとは言えず、紅月はあいまいに答えた。それが悪かったのだろう、潘淑妃は「そうだ」と手を鳴らして口を開いた。
「昼餐会でもいたしませんこと? みな、夏貴妃とお近づきになりたいと言っているのですよ」
「ちゅ……昼餐会?」
「ええ、我々はともに後宮で暮らす者。親睦を深めましょう」
そんなことはまっぴら御免だと紅月は顔を引きつらせたが、潘淑妃の隣の高美人は「いいですね、是非やりましょう」と盛り上がっている。
「準備はお手伝いしますわ」
「ええ……そうしたらそのうち……」
紅月は逃げ出すようにしてその場を離れた。
『もう! 厄介なことになったわ。ところでどうだった、さっきの二人は』
紅月は十分に離れたところで玄牙に語りかけた。
『あの乳のでかい女は何もなかった。もうひとりの地味な女は何か呪術に手を出している。ま、おまじない程度だろうな。あの気配は』
敵対心を露わにしていた潘淑妃ではなく、高美人の方が呪っていた。女とはなんと因業の深いものなのだろうか。紅月は背中がぞわりとするのを感じた。
『それにしてもいいかもしれないぞ』
『何がよ』
『昼餐会だ。いっぺんに多くの人が集まる』
(やるしかないのね……はあ)
紅月の大きなため息ははあ、と晩秋の空に溶けていった。
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