第20話

義母はは上に会ったそうだな」


 今日も疲れた様子で凌雲は寝室に現れた。


「は、はい」


「どうだった」


 紅月はどう答えたものか口ごもった。そもそも、凌雲はこのことをどう思っているのだろう。


「皇太后様は……お世継ぎのことを心配なさっておいででした」


「は……!」


 凌雲は吐き捨てるように笑うと、卓の上の酒器を手に取った。


「まったくあの方は……」


 凌雲は苦々しい思いを飲み下すように杯の酒を飲み干した。


「時期早々ですとお答えしたのですが」


「それでいい。私はしばらく世継ぎのことなど考えていない。どうせ世継ぎができれば、早速次の皇帝に据えようという魂胆だろう」


 凌雲は皇太后のことを本当に信用していないようだった。十年ばかりを親子として過ごしてきても、二人の間には信頼関係は生まれなかったようである。


「凌雲様、私は妾腹の子です。母を亡くし、正妻からは日々いびられてきました。ここに来たのも正妻が私を遠ざけようとしたからです。ですから凌雲様のお気持ちは少しは分かる、と思っていました」


「何が言いたい?」


「その……少し、言い過ぎかと」


 凌雲はふう、とため息を吐き、また酒を呷った。


「何を言われたのやら。義母はは上は外面が良いのだよ」


 そう言って凌雲はじっと杯の中の揺れる月を見ている。


義母はは上は私のことが邪魔なのだ」


 紅月は凌雲の手に己の手を重ねた。


「しかし、皇太后様が蠱師を抱えている確信は――持てませんでした」


「そんなこと、なぜ分かるのだ」


「あの猫鬼に見て貰いました。私たちは共に呪殺しようとした犯人を探しています」


 凌雲の目が驚きに見開かれる。そして彼は紅月の肩を掴んだ。


「そんなことをして……そなたに何かあればどうする」


 彼の目は真剣だ。心の底から紅月のことを心配してくれているのが分かった。だが紅月は首を振る。


「すでに猫鬼と呪を通じ繋がりを持っているのです。今更です。それに、私は凌雲様を守りたいのです。私は……! 出来ることなら義母と解り合いたい、と思っていました。だけど……義母は私の顔を見る度に殺したいほどの憎しみに苦しんでしまう。だから離れて自分の身を守らねばなりませんでした。その様な関係は不幸です。凌雲様にはそんな目にあって欲しくない」


 紅月は凌雲の首元にすがりついた。この寂しい人の傍らに居たい。すべての不幸から遠ざけたい。あの少し少年じみた微笑みをいつも浮かべて欲しい。そう思いながら。


「紅月……」


 凌雲の手がおずおずと伸ばされて、紅月を抱き締める。


「母は……先帝の訪れの無くなったことを気に病み、狂った。弱り、痩せていく中で、何度も何度も、皇太后への恨みを口にしていた。私は……」


 凌雲の手に力が籠もる。


「だから彼女に決して心許してはならないと、頑なに思い込んでいたのかもしれない」


 凌雲の声は震えていた。紅月は彼を落ち着かせようと、優しくその頭を撫でていた。




 その夜、凌雲は夢を見た。母が亡くなり、先帝に呼ばれて皇后の元に向かった時のことだ。今は亡き父は、凌雲の顔を見て「どうだ、似ているだろう」と隣の皇后に話しかけていた。


「凌雲、これからは私が母なのですよ」


 その時伸ばされた手を、凌雲はどうしても取ることが出来なかった。


(この女が母上を殺したのだ)


 ただ、そう思うことしか出来なかった。


 それから十年ほど、同じ宮殿に住みながら、互いの関係は冷え切っていた。


 凌雲が教師から褒められたりすると、たまに菓子などが差し入れられる。それも父の顔色をうかがってのことだと思っていた。




 目覚めると、目の前に猫の姿の紅月の丸い額が目の前にある。指先で撫でると、紅月はうっすら目を開けてあくびをしながら、凌雲の首元に頭を埋めた。その幸福な柔らかさを感じながら、凌雲は再び眠りについた。


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