第12話

 紅月の報告を聞いた凌雲は呆けたような顔で彼女を見つめた。


「それでは……その猫鬼とやらを祓ったと申すのか」


「いえ、正確には動きを止めたというのが正確でしょうか」


 夜になって皇帝の寝室に訪れた紅月は昼間にあった猫鬼とのやり取りを、すべて凌雲に報告していた。


「本当に祓うなら、呪殺を企てた蠱師を見つけなければなりません」


「そうではない」


 凌雲が少しいらだったような声を出した。


「それは危なくはないのか。そなたの身は大丈夫なのか」


「えー……と、とりあえずは」


 魔の物と関わって無事かどうかはわからない。後々何か起こるかもしれないが、紅月はそう答えるしかなかった。


「なぜなのだ。どうしてそなたは……」


「凌雲様が呪い殺されるのは間違っていると思ったからです」


「私にそんな価値などない」


 凌雲は吐き捨てるように言って、顔を背けた。


「皇帝は最も貴いお方ではありませんか」


「だからと言って何度も身を投げ出す者があるか!」


 凌雲に肩を掴まれ、そこで初めて彼の目が潤んでいることに気づく。それほどまでに心配をさせてしまったのだ、と紅月は申し訳なく思った。


「凌雲様……」


「すまない」


「いえ。これも天命なのでしょう。後宮ここに来る前もそのような卦が出ました。困難に立ち向かえと」


 それは紅月が想像したような困難とはかけ離れていたけれども、逃げ出すのは嫌だった。


「……縁があって私はここにいるのですから」


 紅月が猫になったのも、凌雲が猫を求めたのも、奇妙な縁だ。人はそれを運命と呼ぶのかもしれない。父と母のような燃えるような恋とは違うが。


「そなたは……変わっている」


「そうですね。どこを探しても猫になる妃はおりませんよ」


「違う。そういうことではない。私は……」


 そこまで言って凌雲は口をつぐんだ。何かを言いたげではあるが、どこか迷っているようだった。


「凌雲様。そろそろ床に就きましょう。明日が辛くなります」


 紅月は無理に聞き出さなかった。少し、何を言われるか怖かったのもある。彼女は話を逸らしながら窓を開け、月光を浴びて猫の姿になろうとした。


「――あれ?」


 月の光は届いているはずなのに、あのギシギシと体のきしむ感じがしない。


「あら? あら?」


 ぺたぺたと頬に触れてみるがなんの変化もない。


「どうした?」


「どうしましょう……猫になりません」


 紅月は焦って凌雲を振り返った。凌雲が周りに誤解されてでも紅月を呼ぶのは、あの白い猫に会うためなのに。


「猫鬼と会って呪いが解けたのではないか?」


「そうなんでしょうか。でも……」


 困る。そんな風に思っている自分に、紅月は動揺した。猫にならなければ、凌雲にとっての自分の価値など何もない。もうこんな風に会うこともないのだと思うと、急に胸がぽっかりと空いたような気持ちになる。その胸に抱かれて過ごす夜も、呆れたような凌雲の笑顔も以前のようにずっと遠くに行ってしまう。


「申し訳ございません……」


 紅月はそう言って俯くしかなかった。


「かまわん。こっちへ来い」


 だが、その声に紅月は弾かれるように顔を上げた。


「でも……猫じゃないのですが」


「いいから来い」


 凌雲は寝台に腰かけて、両手を広げている。このままで、人の身の紅月のままでそこに行けというのか。紅月はかあっと頬が熱くなるのを感じた。


「し、失礼します」


 酒でもあったら良かったのに、と紅月は思ったが、皇帝をそのまま待たせておく訳にもいかない。おずおずと近づくと、そっと紅月は凌雲の隣に座った。


「……あの」


 緊張のせいか声がひどく掠れている。猫の姿だったらぴょんとその腕の中に飛び込んでいたはずなのに、紅月はどうしていいか分からなかった。


「紅月、もっと近くに」


「は、はい」


 凌雲の腕が紅月の背に回り、ぎゅっと抱き締める。紅月の心の臓がドクドクと早鐘を打ち始めた。


「さ、休もう。紅月。案ずることはない。猫の変化が解けたなら、それはいいことなのだ」


 優しくそう言い聞かせながら、凌雲は紅月の頭を撫でる。それは猫の身の時とまったく同じ手つきだ。


「凌雲様……」


 そのまま二人は寝台に横たわった。凌雲は紅月を抱きかかえ、紅月はその胸に顔を埋めた。


(こんなの……眠れる訳ない……)


 凌雲の体温に紅月は体を固くしながら、ただただじっとするしかない。うまく寝付けないまま、紅月は朝を迎えた。


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