第2話

 しばらくして父の使いから生活費が届いた。その為、紅月は占いをしに市場や廓に行くことは控えた。それでも噂を聞きつけた人が家に来て、運勢を知りたがったり護符を求めたりする。


「お願いです。子宝の護符をいただけませんか」


「うーん、ちゃんとしたお寺にいかれては?」


「いいえ、ここのがいいんです。うちの隣もその三軒隣も効いたって評判なんですから!」


 そんなことになっているのか、と少々紅月はたじろいだ。だが、頼まれれば悪い気はしない。無碍にすることも出来ずに、紅月はそれらに応じた。


 そんなことをしているうちに、とうとう家の前に列が出来るようになってしまった。


「お待たせしました、次の方」


 前の客が帰ったので、紅月が扉を開けると、そこには父が立っていた。


「……繁盛しているようでなにより」


「申し訳ありません……」


「ま、いい。説教しに来た訳ではない」


「はい……」


 紅月は気まずさを噛みしめながら茶を淹れ、父に出した。


「紅月よ。お前の嫁ぎ先を探してきた」


「えっ⁉」


 紅月は呆然として、茶碗を取り落としそうになった。


「お義母様は承知で?」


 父はそれには答えなかった。心なしか顔色も悪い。


「……先帝が急遽身罷られ、新しい皇帝陛下が即位されたのはお前も知っておろう」


「はい……臣民はすべて喪に服すべしとお触れが出ましたよね。それが何か」


「その時に後宮も一新された。だがまだまだ妃が足りないと……宮女の募集があった」


「お父様まさか、私に後宮に入れとおっしゃるのですか」


「……そのように、県令も望んでおられる」


 ひどい話だ。とまず紅月は思った。県令は麗珍の実父である。宮女募集の話を聞いて、紅月を後宮に入れてしまえば、煩わしいものが目の前が消え去る、とでも考えたか。


「紅月、これは考えようによっては妃として安寧に暮らせるとも言えるし、皇帝陛下の目に止まりご寵愛を受けたりなどすれば大出世だ……」


 父の言うことは自分を慰める夢物語だ。紅月はふうとため息をついて、椅子に座った。


「私などが……」


「何を言う。お前は器量良しだ。私に似て、な」


 確かに紅月は父と良く似ていた。意思の強そうな大きな瞳と高い鼻筋がとくに似ていると、母はよく紅月の身支度を手伝いながら言っていたものだ。


「だが、どうしても嫌ならばよい。その時は瑞州の私の遠縁の家に預けよう」


 それは随分と遠い。最早このあたりには置いておけない。そうまでして匿わねば、と父は考えているようだった。


「……少しお待ちください」


 紅月は奥に行き、筮竹を持って戻った。


「こんな時まで占いか」


「こんな時だからこそですよ」


 じゃらり、五十本の棒を手でさばき、額に当て、今後のことを思い浮かべる。後宮に入るべきか。それとも瑞州まで逃れるか。


「出ました」


「どう出た」


「運気は上昇し成功すると。ただ成功までは苦難がある。己から積極的に動き、困難に立ち向かうこと……」


 紅月はさらに三日月型の木片、卜杯を取り出し投げた。何度か繰り返し、紅月はふうと息をついた。


「……決まりました。私は後宮へ参ります」


「占いの結果がそう出たのか」


「占いは半分。もう半分は私の意思です。同じく遠くにやられてお父様に会えないのならば……後宮の方がお父様のお役にも立てると思います」


 紅月がはっきりとそう述べると、父は黙って俯いた。


「翠玲にも先立たれ、お前まで居なくなる。私の人生はなんなのか」


「お父様、そんなこと言っちゃいけません。お父様はお役目をきちんと果たしておられるではないですか。お手紙を書きます。離れていてもお父様のことを忘れたりしません」


「ああ……」


 紅月の目から一筋涙がこぼれた。




 三月が流れた。その間に紅月は元の家に戻され、服や身の回りの調度などが新しく仕立てられている。職人や商人が出入りする一方で、麗珍とその子供たち、兄たちも姉も紅月の房を訪れることは無く、妙に静かであった。その代わりに父が毎日のように来て、母の思い出話やそれぞれの好きなことを語り、残り短い親子の時間を過ごしていった。


「そなたが恵照の県丞の娘、夏紅月か」


 この地で過ごす最後の日。迎えに来たのは年老いた宦官だった。のっぺりとした顔で髭もなく、表情が読み取れない。


「燕禹と言う」


 燕禹はじろじろと紅月の顔を見た後、くるりと後ろに回った。


「口が少々大きいが良いでしょう。化粧でなんとでもなるんでね。腰回りもハリがあってよろしい」


 無礼な言い方に紅月は口をあんぐり開けてしまったが、父はそんな宦官の燕禹に大層贈り物を用意していた。この金銀や錦はこの宦官の懐に入るのだろう。


「あんな物……」


 麗珍の苦々しい呟きを無視して、父は燕禹にそれらを渡した。


「大変、美しいお嬢さんで。陛下も喜ばれましょう」


 あまりにもわかりやすく燕禹はころりと態度を変えた。


「では参りましょうぞ」


「はい……」


 紅月はその後ろについて行きながら、生まれ育った家を振り返った。もうここに二度と戻ることはない。父の目が赤く潤んでいる。泣かないと決めたのに紅月の目からは涙が溢れる。足を止めてしまった紅月を、燕禹は追い立てるようにして馬車に乗せる。


 こうして、紅月は後宮の妃となるために都へと向かった。


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