第十一章 pet bottle.

第56話

「……え、いつからそこにいんの?」


 足を抱えて三角に座り込む早夕里が、震える指に白い息を吐き出して真舞の部屋のドアの前にいるから驚いた。ダウンコートのフードを深々かぶって、大判のマフラーを膝に掛けているけど、隙間から出ている素肌は寒さで赤くなっている。


「……十六時、くらいから?」


 指折り数えながら早夕里が答えるのを聞いて、俺はスマホを開いた。表示されている時刻は二十一時。


「は? ヤバくない? 真舞起きねーの?」

「さっきから何回も電話してるんだけど、寝てるのか、知らない番号だからか、全然出てくれない」

「……ったく」


 呆れてため息を吐き出して家の鍵を開けると、玄関の電気を付けてドアを大きく開いた。


「とりあえず、うち上がって? たぶんあと三十分もすれば真舞も来るから」

「……いや、まどかに悪いし。大丈夫」

「は? まどかちゃんに悪いってなに? そんな冷えて、ここで倒れられた方が困るんだけど」


 面倒なことはごめんだと表情に出して入るのを待っていると、早夕里は「ごもっとも」と、小さく呟いてから腰を上げた。

 震える体を両手で摩りながら、「……ごめん」と玄関に足を踏み入れた。


「とりあえず部屋あったまるまでこれに包まっといて。今あったかいの淹れるから」


 普段倫也や真舞にしているように世話を焼いていると、早夕里が感心するように見ながら、渡したふわふわの毛布を体に巻き付けた。


「まどかと出掛けてきたの?」

「うん、デートしてきた」

「は? え、もしかして付き合う……」


 〝ことになった?〟と聞こうとしたのか、怪訝な顔をした後で早夕里は首を振る。


「いや、なんでもない」


 ケトルから急須にお湯を注ぎ、湯飲み三つに入れる。落ち着かなそうにしている早夕里の前に座って、思わずため息が出てしまう。

 まどかちゃんと付き合うとか、そう言うのは考えたことはない。だけど。


「……俺は、まどかちゃんとずっと一緒にいたいんだけどね。なかなか、順平が消えてくれなくて」


 湯呑みを差し出すと、早夕里も困ったように眉を下げた。瞬間、ガチャっとリビングのドアが開いた。


「また玄関鍵、開いてたぞ……」


 のっそりと冬眠から目覚めたクマの様に背中を丸めて、目を擦りながら現れた真舞。体を温めるために小さくなっていた早夕里がすぐに反応して立ち上がった。


「真舞くんっ! おはようっ」


 元気な大きい声に、真舞は一気に眠気が吹っ飛んだみたいに目を見開いた。


「……まだいたの?」

「もぉー! 一回帰ってまた来たの! ピンポン押しても全然出ないし、真舞くんに何回も電話したんだよ! それ、あたしの番号だから、次からは絶対、何があっても、か・な・ら・ず! 出て!」


 早夕里の勢いに驚いて声も出ない真舞は、詰め寄る早夕里の顔をじっと見つめている。先ほどよりはましになったけれど、まだ鼻と頬が赤く色づいている。


「……もしかして……ずっと、外で待ってて、くれた?」

「そーだよっ! ずーっと!」


 怒ってますます迫ってくる早夕里から少し離れて、真舞は座った。


「……なんか物音するな、とは思ってたけど」

「なにそれ! 気づいてたんかいっ!」


 呑気に湯飲みを手にして啜り出す真舞に切れのいい突っ込みが入った。


「まぁ、あと数分で真舞出てきてただろうけど、先にうちに入れといて良かった。またあそこで騒がれても周りに迷惑だったし」


 二人のやり取りに呆れながらも笑ってしまう。ビニール袋からピンタを取り出してソファーに置いた。


「あ! ピンタじゃんっ、どーしたのそれ?」

「クレーンゲームで取った」

「まじ? すごーっ!」


 やっぱり知っているのか、すぐに早夕里が反応する。当たり前のように真舞のすぐ隣に座って湯呑みを両手で持ちながら続けた。


「まどかは? 帰ったの?」

「あー、うん」

「……なに、その腑に落ちない返事」

「……いや、家までは送ってないから」


 本当は送ってあげたかったんだけど。追いかけるのもなんとなく違う気がした。なんの通知もないスマホに目を落とすと、少し寂しくなる。


「え? ケンカ?」

「いや? すごい喜んで帰ってはくれたけど……」


 今日が楽しかったから、もう少し一緒にいたかった。


「もう、会いたい……」


 ピンタを手に取り今日のことを思い出していると、急激に眠気に襲われる。


「ねぇ、片瀬成海って、まどかのこと本気なの?」

「……え? 知らない、けど」


 真舞の答えに、早夕里は「だよね」と、返答が分かっていたかの様に頷いている。


「……俺、これからバイトなんだけど……」

「鍵! ちょうだい。あたし真舞くんが帰って来るまでに部屋ん中片付けとくから」


 手のひらを向けられた真舞は、目を見開いて驚く。


「は? ……今?」

「そう! い、ま!」


 眠気で虚ろになっていく。二人の会話を耳にしながらも見守り、最後はゆっくり目を閉じてソファーに倒れ込んでしまった。


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