第55話

 絵里子は順平のことが好きだった。あたしは、それを知っていた。

 だけど、どこまで本気なのかは、あたしが順平のことを気になり出してからは、曖昧な返答をする様になっていて、もう、あの頃の絵里子の言葉なんてあたしの頭の中から消えていた。

 順平しか、見えていなかった。ひたすらに、順平に優しくしてほしくて、あたしを見て欲しくて、周りなんて見えていなかった。

『あたし、まどかのこと嫌いだったんだよね』

 さっき、冷たく言い放たれた絵里子の言葉を思い出して、一気に感情が込み上げてくる。

 泣き出したいのを堪えて、人混みに紛れる。

 信号が赤から青に変わって、歩き始めた瞬間、名前を呼ばれた。


「……まどか?」


 向こう側から渡ってきたのは、順平だった。


「やっぱり……どうした?」


 涙を堪えていたあたしの目の前に現れた順平は、戸惑う様に笑って聞いてくれる。

 だけど、そんな優しさは要らない。もう、現れてなんてくれなくて良かったのに。どうしてこのタイミングで会ってしまうんだろう。


「とりあえず、ここ、横断歩道の真ん中だからそっちまで歩こう?」


 あたしが向かう方向へと、点滅し始めた歩行者用の信号に慌てて順平はあたしの肩に手を回して来た方向に戻るように横断歩道を渡り切った。

 触れられた肩がじんわり熱く感じる。やっぱり、あたしは順平のことをまだこんなに想ってしまっている。


「今からバイトなんだけど、久しぶりにまどかも食べに来る? 最近新メニュー出来たんだよ」

「……え、」

「なんか、そんな顔させてるのって、俺のせいなんじゃないかと思って……俺、許してもらおうとかは思ってないから。自分のしたことは本気でまずいことだって分かってるし、それでまどかのことすごく傷付けたって、自覚してる。だから、許してくれとは絶対に言わない。だけどさ、まどかには笑っていてもらいたいんだよ」


 なんでだろう。あたしのこと、この前しっかり突き放したくせに、なんでまたこんな風に言ってくれるんだろう。

 また、順平に触れたくなってしまう。だけど、そんなことは絶対にダメだ。あたしが順平のことを忘れられないと、また成海くんに迷惑をかけてしまう。


「奢るよ、行こう?」


 そう言って歩き出す順平に、あたしは立ち止まったままで、どうしていいのか分からずに戸惑う。そんなあたしに、振り返った順平は困った様に笑った。


「……行かない、か。だよね、もう、俺のことなんて顔も見たくないって、この前言ってたもんね。ごめん、無神経なことして。じゃあね」


 無言のあたしに、順平はすぐにそう言うと人混みの中へと消えていった。

 たった数分。会って話して、肩に触れられて。それだけなのに、あたしはまだこんなに順平のことが好きだと再確認してしまった。

 忘れかけていたのに、今日一日、順平のことを考える時間は確実に減っていたのに。それなのに、今の事であたしの頭の中は、また順平のことでいっぱいに埋め尽くされてしまった。

 こんな自分に、呆れて涙も出てこない。

 ため息を吐き出して、ようやくあたしはアパートへと足を向けた。

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