第8話 幼馴染は元彼女
階段を上がり、一つ上の学年の生徒たちがいる二階の廊下を歩く。一階に比べるとこちらを見てくる視線の数がやや少ない。それでも俺が通り過ぎるたびにひそひそと声が聞こえてくるので着実に噂は広がっているのだろう。
なぜ俺が二階に来たのか。月ヶ瀬先輩に「集められませんでした! ごめんなさい」と謝罪しに行く……わけではなく、月ヶ瀬先輩以外で唯一、接点のある人に会いに来たからである。
「あ、あのー、すみません、黒崎先輩いますか?」
おそるおそる俺は目的の教室の扉の前で近くにいた二年生に声をかける。
最初は普通に接してくれたが、別の生徒が近づいて何かを吹き込むと話しかけた生徒は俺から急に距離を取った。いくらなんでもその反応を目の前でやられると傷つくなぁ……
教室内の生徒たちが俺をみてざわざわとし始める。当初の目的である人物がいないか教室内を見渡すと……いた。
「…………」
俺と目が合うと彼女はニヤリと笑い、そして……無視された。
「いや、今絶対俺に気が付いていましたよね、それでスルーをしましたよね?」
「これはこれは、今話題のサイテー人間君じゃないか、一体どうしたんだい?」
彼女は俺の言葉を聞くと立ち上がり、こちらに向かいながら話しかけてくる。当然のように彼女にも俺の噂は耳に入っていたらしい。てかなんだよ、サイテー人間って。
同じクラスの誰かもそう呼んでた気がする。今の俺サイテー人間ってあだ名で浸透しているの?
「ヒロ君とは幼馴染とはいえ、私まで注目されるのは勘弁だ。 場所を変えようか」
「それ俺が女の子を連れ去るって噂の信憑性が増しません?」
「おや、君は私も襲うのかい?」
「これ以上誤解を招く発言はやめて……」
俺が泣きそうになると彼女は上機嫌に笑った。この人は昔から俺をいじって楽しそうだなぁ。
彼女の名前は
「この時間の自転車置き場なら人もいない、そこに行こうじゃないか」
黒崎先輩に連れられて俺は二年生が駐輪している自転車置き場にたどり着く。俺たち一年生の自転車置き場はここから更に距離があるのでスリッパから靴に履き替えないといけないが、二年生専用の場所は近くなのもあってそのままやってきた。
「それで、私になんのようだい?」
「黒崎先輩、実はお願いがありまして……」
「私の事は綾乃と呼べと言っただろう?」
「いや、今はそういうわけにもいきませんよ」
「昔の君はあやのあやのー! って呼び捨てしていたじゃないか」
「それは小学校の頃ですね……」
子供の頃は年上だろうが女子だろうが誰でも呼び捨てで呼んでいた。高校生ともなると気軽に異性を名前呼びするのは恥ずかしい。
幼い頃から髪型は一貫して肩にかからない程度のショートヘア。目線を合わせるとその特徴的な長いまつ毛と吸い込まれそうな漆黒の瞳がこちらを見つめ返してくる。
「中学の頃だって呼び捨てだったじゃないか、元彼氏のヒロ君?」
「ぬっ……ごほっごほっ!」
反射的に変な声が出てむせてしまう。そんな俺の様子を見て黒崎先輩はまた笑った。
そう、今俺が会話している黒崎綾乃、黒崎先輩は俺の幼馴染であり、そして……元彼女だった。
黒崎先輩とは中学の頃、二週間ほど付き合っていた。
でもそれには事情があった。とてもくだらない、最低な理由。
わずか二週間足らずで俺と先輩の関係は自然に解消されて、その後も俺と黒崎先輩はこうやって普通に接している。
「それで、お願いってのは何かな?」
「えっとですね、先輩、部活に入ってもらえませんか?」
「部活? 悪いけど、私は放課後バイト尽くしでね……ヒロ君も知っているだろ?」
勿論知っている。先輩は高校生になってからたくさんのバイトを掛け持ちしていた。うちの高校は進学校。本来はバイトをするのは許されていないが、家庭の事情などが絡む場合に限り、申請を出せば許可されている。
黒崎先輩は幼い頃からシングルマザーで育っている。学費を稼ぐという名目で働いていると以前先輩から聞いていた。
「実は今、俺が入っている部活が存続の危機で、継続するには部員が足りてない状況で……えっと、無理に部室に来なくてもいいんです」
「つまりは形だけでも人が必要で、誰でも良いってわけだ」
「……そうなりますね」
「学業に加えて勤労に励む私に対して、ヒロ君は遊ぶ目的で名前だけを借りようとしている……客観的に見たらどう思う?」
「最低な人間ですね」
サイテー人間とは的を射ている。今の俺は擁護のしようがない屑野郎だ。
「それでも君は私を頼ってきた。 こう言われるのも想定しているのに? どうして?」
「……それは、黒崎先輩以外に頼れる人がいないから……です」
羞恥なのは承知の上だ。高校に入ってからまともに人とコミュニケーションを取ってこなかった俺が悪い。幼馴染、理由があるとはいえ元彼女の黒崎先輩にすがるのは間違っている。
「私以外に頼る人がいない……か。 いいよ、私もその部活に入ろう」
「え、良いんですか?」
先輩はあっさりと承諾した。
「ヒロ君に高校に入って頼りにされたのはこれが初めてだからね」
黒崎先輩は「これは貸しだね」 と笑って自転車から降りた。彼女に対して返せそうなものなんて……最近当てたレアカードを売ればいくらかまともな金額になるだろうか?
「いっておくけど、お金は認めないよ。 別に私はお金に困っていないし」
なぜ俺の周囲の人間は息を吸うように俺の心を読むのだろう。
「先輩お金に困っていないのにアルバイトしてたんすか?」
「うん、趣味。 ヒロ君も知ってると思うけど、私の母親はバリバリのキャリアウーマンだからね」
けろりとした顔で黒崎先輩は話す。それを聞いて俺は彼女を部活に誘った事に対する罪悪感が少しだけ軽くなる。
「放課後に部室にいけばいいのかい? そういえばなんて部活に所属しているのかな?」
「カードゲーム部です。 月ヶ瀬先輩ってご存じですか?」
「この学校で彼女の名前を知らないのはおそらく一年生だけだ。 あの超天才優等生がどうかしたのかい?」
それほどまでに月ヶ瀬先輩は有名人だったのかと俺は少し驚く。
「部活の部長がその人です」
「……ほーう」
先輩は目を細めて口角を少し上げた。
「なるほどなるほど……三月の頃から印象が変わったと思ったが、そういう事か」
「?」
何を言っているのかよくわからない俺は首をかしげる。先輩は「気にしないで」と言うと前を歩き始めた。
「もうすぐ昼休憩も終わる。 放課後、君の教室に行くから部室までつれていってくれ」
「先輩に迷惑をかけてしまうかもしれないので、二階の渡り廊下待ち合わせでどうですか?」
悪目立ちしている俺に近づいたら先輩まで噂の被害者になりかねない。それは良くない。
「教室を出る時は適当に言ったけど、私は君以外の人にどう思われようと構わないよ」
先輩はこちらを向くと優しく微笑んだ。
彼女は時折、人によっては誤解を招きかねない発言をする。そんな台詞を言われたら普通の男子は恋に落ちてしまうだろう。
「それじゃ、放課後よろしくお願いしますね」
先輩にお礼を言って別れる頃には昼休憩も終わろうとしていた。
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