第57話 朱色のプロローグー2

 叫びと共に魔力の濁流。


 ゼフィロスが更地に変えた一帯のさらに向こうまで消し飛んだ。

 しかしアラートはならない。

 なぜなら千代子がこのために切っていたから。

 映像もない。

 この戦いを知る者は事前に千代子が話を通していたものだけだ。


 国民は知る必要はない。

 今日起きた出来事は夜虎の勝利、それだけでいい。

 今から起きるのは殺戮だ。


 そんなことを国民が知る必要なんかない。


「夜虎と戦いにきたんだろ? 紫電に……殺して欲しかったんだろう。虎太郎様が、あたしの孫が、命を賭してお前の憤怒を受け止めてやったって言うのに……もう我慢の限界かい。ってことはあたしの勘の通り、遅かれ早かれ爆発してただろうね」


 その鬼は右手に魔力を纏い、そして殴る。



 ドン!!



 その直線状のすべてが消し飛んだ。

 存在すら許さない魔力の塊。

 それでいて全力でもなく、魔力の消耗もほとんどない。

 

 しかし千代子は躱していた。

 その身に雷を纏い、高速で移動する。


「でも仕方ないね。あんたは人間の怒りの集合体だ。私たち人類の大罪だ。憎くて仕方ないが……それでも恨む気にはどうしてもなれない。あんたを産んだのも、あたしたち人間なんだから。だからほんとはあたしがあんたの怒りを受け止めてやりたいが、残念ながら力不足ってやつだ」


 千代子はこぶしを握り、そして魂を纏った。

 それは魂装――魔術師の到達点。

 100年生きる最長の魔術師は、むろんその到達点などとうの昔に達している。


「でも安心しな……夜虎は、きっとあんたを殺してくれるよ。今はまだ届かなくてもあの子はここからまだまだ伸びる。魔術の基礎はもう完璧に叩き込んだ。精神は成熟し、体も出来上がった。紫電も今日解禁した。だから……きっとあの子は最速で到達するさ。あんたを殺せる本当の世界最強の魔術師に」

 

 そして千代子は怒りで我を忘れた最強の鬼――酒吞童子と戦った。

 勝つことなどできないことはわかっている。

 この鬼はシンというより、もはや世界の怒りそのものだ。


 何千年もの人類が紡いできた歴史が生み出した憤怒の結晶――概念ともいえる最強の鬼。

 それこそが――朱色の鬼、朱点童子、あるいは酒吞童子。


 殺すことなどできないし、殺されるのはわかっている。

 それでも戦う理由は一つだけ。


 夜虎が思う存分紫電を使って成長できるように。

 この災厄がまだ花開く前の若い芽を摘み取ってしまわぬように。

 暴発して、世界を壊す……その前に。


 その怒りをほんの少しでも鎮めなければならない。

 だから今日、この日を待っていた。

 




 戦いは苛烈を極め、しかし一刻もすれば終わってしまった。

 

 勝者を語る必要はない。

 なぜなら千代子はすでに勝利している。

 すべては計画通りなのだから。


 夜虎が紫電を発動させた10年前から、千代子はこの日がくることがわかっていた。


 いずれ夜虎は誰かのために、紫電を使う。


 だからこの日のために、積み上げた。

 だからこそ、その灯が消えるとき千代子は笑っていた。


「楽しみに…………待ってな。酒吞童子……いや、源頼光様。あの子は、きっと……あなたが封じたその憤怒ごと祓ってくれます」



 その朱色な鬼は、それを見て怒りが収まったように体が小さく縮んでいく。

 気づけば成人男性ほどの大きさ。

 真っ赤な腰まで伸びた髪、見た目はまだ20代ほどの若く端正な顔をした男になっていた。


『紫電千代子…………よくぞそこまで積み上げた。お前は紫電のまがいものではあったが、魔術師としては確かに本物だった。さすがあいつの子孫だ。誇れ、お前はかつての陰陽師たちに比べても一級であった』


 男は、倒れた千代子の目の前に立ち、そして力尽きた千代子の目を優しく閉じた。


『ならばこそその絶え間ぬ魔術の研鑽を信じ、俺ももう少し粘ってみよう。だが、長くはもたんぞ……白虎夜虎。だから最速で最強になれ』


 そして背を向け、その国を去る。


『この抑えきれぬ憤怒が世界を壊してしまう前に』




◇三日後。


 俺は泣いていた。


 千代子婆ちゃんが俺に残してくれた手紙を読みながら、すべてが終わった三日後の早朝に全て聞かされて俺は泣いていた。


 千代子婆ちゃんは全て知っていたんだ。

 俺が魔力を全力解放することも。

 そしてそのまま紫電を使ったのなら、最強の鬼がやってくることも。


 まだ俺では勝てないことも。

 全部わかっていたんだ。

 でもそれを俺に隠して……俺が紫電を思いっきり使えるように。


「あぁぁぁぁ!!」


 俺は叫びながらこぶしを握った。

 何が最強だ。何が最速だ!

 また俺は守られている。もう誰も死なさないように、必死に努力したのに、俺は!!


 

 すると俺は優しく抱きしめられた。

 それは静香お姉ちゃんだった。

 俺に千代子婆ちゃんの遺書である手紙を届けるために、俺の病室にきていた。


「あなたは何も悪くない。全部……予定通りだったの。私も……関係者には聞かされていた。あなただけ……秘密にされてたの。だからあなたは悪くない」

「違う!! 俺が弱かったから……俺が弱いから!! こうするしかなかったんだ! だから千代子婆ちゃんは俺の身代わりに死んだんだ!! 俺の!!」


 バシッ!!


 俺は頬を叩かれた。


「それはおばあ様の覚悟を否定する言葉よ。夜虎」


 そしてやっぱりまたぎゅっと優しく抱きしめられた。


「おばあ様は……末期のガンだった。余命いくばくもなかったの。本当はもう……医者に言われた余命は超えていた。生きていることが奇跡のような状態だった」

「え?」

「でもおばあ様は耐えたのよ。すべてはこの日のために。多分……余命を宣告されたとき、いや……きっとあなたが紫電に目覚めた10年前から……おばあ様はこうする気だったはずよ。形はどうあれ……あなたに紫電を使わせること。そしてゼフィロスさんにもう一度心を取り戻させるために。その舞台として五大覇祭を提案したのもおばあ様なんだから」


 俺はもう一枚ある手紙の続きを読んだ。

 

『まずこのことであんたが気に病むことはない。静香はもう言ったかい? あたしはもう長くない。このまま静かに朽ちていくのは……魔術師として無念だった。だからむしろ感謝してるんだ。最高の死に場所をくれてね。酒呑童子は、憤怒の結晶体だ。だから時の最強の魔術師が、あいつの怒りを受け止め、その怒りを抑えてきた。虎太郎様もそうだったんだよ。次はあたしだった……まぁ最強というには、力不足だがね。それでも少しばかり世界の時間……そしてあんたの時間を稼がせてもらった』


「千代子婆ちゃん…………」


『といってもあんたは気にするんだろうね。だから……もっと強くなりな。でもね、修行だけじゃだめだよ。しっかり学生もやって……友達も作って……恋愛もして……青春を謳歌することを約束しな。魔力は強き意思に宿る。そして往々にして……それは誰かを守りたいときだ。技術だけじゃダメなんだよ、ただ修行だけの木偶の坊じゃあダメだ。心も成長させなきゃね。出会って別れて、愛して愛されて、悔しさも悲しさも喜びも怒りも……全てがあんたの糧になる。失恋だって経験してほしいぐらいだが……まぁあんたを振るような女がいるかは怪しいがね。ははは!』


 俺は少し笑った。

 まるでそこで千代子婆ちゃんがいつものように高笑いしているようだ。

 ははは! っと楽しそうに笑う姿が今でも鮮明に思い出せる。


 それからもたくさん千代子婆ちゃんは語ってくれた。

 思わず笑ってしまうのは、やっぱり千代子婆ちゃんの明るい性格のせいなのだろう。


『まぁ長くなったがね……青春を謳歌すること。人生の大事な経験はその年に詰まってるもんだ。あたしなんか初めては14の時だよ。食い荒らしたねぇ、村中のイケメンを』

「はは、時代が違いすぎるよ。千代子婆ちゃん……それにすっげぇ肉食そうだもんな」

『じゃあ、最後になるがこれで締めることにする』


 まるで俺は頭に手を乗せられたような感覚がして上を向いた。

 そこには。


『あんたなら……できる。あたしはそう信じてる。がんばんな、夜虎』


 千代子婆ちゃんが本当にいていつものように笑っているように見えた。

 だから俺は泣きながら……それでもニコっとうんと頷いた。


「頑張るよ。だから後は任せてくれ」






「もう大丈夫みたいね。国葬は明日よ。それと今日から私が紫電家当主、わかったわね」

「そっか……わかった」

「じゃあ私はいくわ。それと……五大覇祭。おめでとう……それとありがとう。今は少し休みなさい」

「うん……」


 そして静香お姉ちゃんは言ってしまった。

 今日から当主なんてすごく忙しいだろうな。


 すると俺は手紙の裏にまだ何か書かれていることがあることに気づく。


『追伸。もう一つだけあたしの願いを聞いてくれるかい。大事な大事なお願いなんだ』

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