69.5「パンチョ:北へ」

 ヴァンの母親は三十年前に亡くなったんだったな。

 我が五十七歳の頃。

 確か十二、三ほど歳上だったはずだから七十歳か。

 大往生だな。


 あの熊の獣人の村長、ターと言ったか。


 あの御仁は信用できる。

 彼が言うんだから、幸せな最期だったんであろう。


 ならば良い。

 我の心は平穏である。



 アンセムの街を出て七日、ペリメ村を離れて四日だ。

 ペリメ村から真北、イドの町まで二日程の筈なんだが、依然としてサッパリ見えん。


 まさかとは思うが、方角が少しずれていたのか?

 ははっ、我に限ってそんな事はあるまい。


 我を誰だと思っておる。

 齢十五にして――十六だったか? まあ細かい数字は良い、我が師ファネルを追って世界を旅した男ぞ。

 そんな我が、住み慣れたアンセム領で迷子などと、はっ、笑止な。

 あり得んわ。



 ま、ペリメ村から真北に上がっても海を渡れんからな、イドの町からはやや東寄りに北上する予定であったから、無意識にすでにやや東を向いているのであろう。


 きっとそうであろうよ。




 お、前方に森が見えるな。


 はて、ペリメ村の北には森なんぞ無いはずだが。

 我の知らん間に育ったのか?

 まぁ良い。真っ直ぐに抜ければ良いだけだ。





 ……キィーキィーワンワンうるさいわ!


 なんなんだこの森は!


 我の右手からはキィーキィーキィーキィー、左手からはワンワンワンワン、うるっさくてかなわん!


 『威圧』を発動!


 うむうむ、静かになったわ。

 これは魔法ではない、魔力消費ゼロの、技術だ。


 魔獣を含めた獣との戦いに一番重要なものが何か分かるか?

 魔力? 武力? 武器?


 ちゃんちゃらおかしいわ。


 一等大事なのは、気合いだ!

 我は貴様よりも強い! 我に従え! そういう気持ちが一等大事なのだ。


 我クラスになるとな、その気合いが『威圧』となるのだ。


 左手から声がする『旅の御仁よ』


 今度は右手からだ『人族最強の御仁よ』


 右手の声はよく分かっているな。

 右手を向いて返事を返そう。


「何用だ! 我の名はパンチョ! 用があるなら姿を見せい!」


 木々の葉が揺れ、三頭の猿の魔獣が姿を見せた。マエンか。


『人族最強の誉れ高きパンチョ殿、頼みを聞いて貰えんだろうか』


 ふむ、見所のあるマエンよ。


「内容による。申せ」

『有り難き幸せ! この森の南側に住むマロウどもに縄張りを侵されて困っている。助けて貰えんだろうか』

「お前がこの群れの長か?」

『そうでございます』


 まさか我の名が魔獣にまで広まっているとはな。長年アンセム領を護り続けた甲斐があるというものよ。


「良かろう。マロウの元へ案内せい」

『え? 我らが案内するんですか?』

「他に誰が案内すると言うのだ! 早ようせい!」


 我の前方に三頭のマエン。

 先ほどの進行方向から左手へ向かっておる。


 ん? 左手?


「おい、マエンの長よ。先ほど、この森の南側のマロウ、と言わんかったか?」

『確かにそう申しました』


 なんたる事だ!

 マロウの森と言えば、ペリメ村の西!

 我は北でもない、北東でもない、北西に進んでおったのか!


「おい、マエンの長よ」

『は』

「ここはペリメ村の西か?」

『西です』

「……そうであろうよ。いや、何でもない。確認しただけだ」



 まぁ、良い。

 久しぶりに海を泳ごう。

 まだ一年ある、いや、書類に梃子摺ったせいでもう四月の頭か、それでも七ヶ月ある。

 少し水に戯れるのも良かろうて。我は自由だからな。


 いざともなれば、泳いで渡ってやるわ。





『マエンよ! 人族に助力を乞うなどと、恥を知れ!』


 先ほどマロウにも声を掛けられた気がするが……。



「マロウの長よ! こちらへ参られい! マエンの長もこちらへ!」


 もちろん『威圧』を声に乗せておる。獣にはとりあえず威圧が一番よ。


「うむ、もそっと近く。マエンの長よ、もう一歩こちらへ。うむ良かろう」


「主らに尋ねる。縄張りとは争わねばならぬものか?」


『マロウどもが縄張りを越えて我等を襲うのです!』

『何を言うマエンの長よ! 我等が木の実など喰わぬのを良い事に、こちらの縄張りへと木の実を取りに来るのが悪いのだ!』


 なるほど。どちらも言い分があるか。


「あい分かった! 裁きを下す!」

『『……さ――裁き?』』


 マエンの長の頭に手刀を、同時にマロウの長の頭にも手刀をくれてやった。


「喧嘩両成敗! 代表して長だけへの手刀としてやる! 双方、文句はないな!」


 マエン、マロウ、共に平伏しておる。

 んむ、良きかな良きかな。

 仲良くせえよ。



 さて、と。


 ペリメ村から北西に真っ直ぐ抜けたようだが、うん、海だな。


 周囲に村も町もないな。もちろん船もない。



 渡ったるわい!

 泳いで渡ったるわい!

 腐ってもパンチョ!

 頭は耄碌しても、体は些かの衰えもない!

 生涯現役じゃい!

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