異世界転職エージェント

@nokotakke

第1話 戦士に転生 佐藤の場合①

 剣と魔法の世界が大好きだった。

 幼いころから、ゲームは一日何十時間プレイしても飽きない。学生時代には読書が趣味と謳ってラノベを読み漁っていた。


 子供のころから、主人公に憧れている、俺――佐藤泰輔はそんな男の子だった。



「また商品の場所を間違えてたよ、何年やったら仕事を覚えるんだろうね。あの子は。」

「シフトを作るセンスが無いよ。あの子が昇進してからシフトがぐちゃぐちゃで嫌になるよ。」


 そんな女性たちの声が今日も聞こえる。大学を出た後に就職失敗をした俺は、地元のスーパーに就職をしパートの人たちにヘコヘコしながら今日も一日を終える。失望をされすぎて、心が病むなんて事はもう無くなった。パートの人から怒られ、安くなった総菜を買って、一日を終える。


自分は何がしたかったんだっけ。自分は何が好きだったんだっけ。そんな気持ちを抱えながら、趣味など何も出来ず今日もパックご飯を温め、ただ風呂に入り布団で眠るだけの6畳の家に帰る。掃除何て何カ月もしていないから、飲んだ缶やごみが散らばっている。片付けってどうやったけ。



 新卒で入社した時は良かった。みんな優しく教えてくれる。自分が期待をされている、まさに主人公のような気分だった。


「君は覚えが良いし、頭も悪くない。人のことを思いやる事が出来るからきっと出世するよ」


 当時の上司がそんなことを言ってたっけ。その上司はその後、仕事が嫌になって辞めた。理由は仕事を抱えすぎて鬱になってしまった為だ。良い人こそ人に頼れずにダメな思いやりをして心を病んですぐにやめていってしまう。そんな職場。


 けれどまだ一年目。鬱になる事は自分は無い。そんな事を思いながら働いていると、上司がしていた業務が丸々自分にのしかかった。


 「自分は何がしたかったんだっけ…」


 一人、汚い部屋の中で気付いたらそう呟いていた。学生の頃はプロゲーマーになりたいなんて言いながら色んなゲーム仲間とオンラインゲームをしていたっけな。そんな事を思いながら今日も面白くもない動画サイトを見て寝ようとしていた。


 『現世が辛いあなたに!異世界に転生してみない?異世界転職エージェント!』


 コミカルな音楽と共にそんな広告が流れてきた。異世界転職エージェント?なんだその嘘くさいエージェントは。バスで轢きに来たりオンラインゲームの世界に飛ばしたりするのかな。


 その時は興味本位だった。気付いたら自分はエージェントに登録をしていた。なりたい理想の姿を書き、登録をしてみる。


「そんな上手い話なんて無いよなぁ…」


 そう呟いていた。当たり前だ。どうせ詐欺だ。こんなのに騙されてしまう自分が嫌になる。


 静寂の中、電話が鳴った。宛名は異世界転職エージェント。


『佐藤泰輔様ですか?私、異世界転職エージェントの小林と申します。今回はご登録ありがとうございます。登録していただいたあなたの情報を元にしたところ、異世界で戦士になる事をお勧めしております。主人公みたいに勇敢な心が手に入りますよ』


 若い男性の声だ。異世界で戦士に転職?そう聞こえた。本当になれるのか?現代から遠ざかって夢の異世界生活が出来るのだろうか。


 「本当に異世界に行けるんですか?申し訳ないんですけど全然信じられなくて」


 『はい、勿論行けますよ。また、転職後3日以内であれば現代に戻ってくることも出来ます。』


 自信満々な若い男の声。しかも現代に戻ってくる術もあるなら行かない選択肢はあるのか?自問自答をし、興味本位で自分はそう呟いてしまっていた。


 「異世界、行きたいです。こんな現代とはおさらばしたいです」


 『では、異世界転職キットが10分後に郵便で届くと思いますのでそちらに入っている果物を食べてくださいね。それでは良き異世界ライフを!』


 元気な声でそう言い残し、電話が切られた。


 10分後?そんな急に郵便なんて届くのか?まず住所なんて登録した記憶がないぞ?


 騙されたと思い、またふと別の動画を見る事にした。

 

 ピンポーン。音が鳴った。


 「郵便でーす。異世界転職エージェント?から生鮮食品で届いてるんですけど印鑑良いっすかー?」


 本当に郵便が届いた。あり得ない。あり得ないと思いながらも好奇心で開けてしまう。


 リンゴのような、謎の赤い果物が1つ入っている。決して美味しそうとは思えない。


 その日はその果物を冷蔵庫に入れ、次の日の仕事に支障が出ないように早くに寝る事にした。


 朝になって冷蔵庫を見てみた。謎の果物はまだ存在する。夢じゃなかったんだ…という気持ちのまま、仕事場に向かう。今日はボーナスの査定が出る評価返却があるため、少しでも心象を良くしようといつもより少し早めに着くようにした。


 一人、また一人と評価返却をされ、落ち込んでいる者や嬉しそうにしている者。様々だった。そして自分の番になる。


 開口一番、上司から言われた事は悲惨なものだった。


 「評価返却をしたいんだけど、佐藤君さぁ…自分で何か成果を上げたいという気が見受けられないんだよね。パートで雇ってる訳じゃないんだから。パートの人にヘコヘコヘコヘコして。嫌にならない?仕事も覚える訳でもない、勉強で資格を取ってるわけでもない。何が楽しくて何を目指して生きてるの?」


 そんな事を言われていた。後はあまり覚えていない。評価は散々な物で、ボーナスも少ない。気が付いたら仕事が終わる時間になっていた。家に帰るまでも記憶があまりない。それくらいショックだったのだろう。


 「何が楽しくて何を目指して生きてるの?」


 上司のそんな言葉がリフレインする。俺だって何が楽しくて生きてるかなんて分からねぇよ…。そんな気持ちの中でエージェントからの言葉が浮かんできた。


 『主人公みたいに勇敢な心が手に入りますよ』


 主人公みたいな、勇敢な心か。俺は人生の主人公になりたかったのかもな。もし、もしまだなれるなら。試してみるのもアリな気がしてきた。


 冷蔵庫を開け、謎の果実をにかぶりついた。味はとんでもなく不味く、めまいがして倒れた。絶対に騙されたのだと薄れゆく意識の中で自分を恨んだ。




 ガラガラと馬車の音、草木の匂いがする。俺は家にいたはずだ。家にいて、謎の果実を食べて、倒れて…ここは天国なのか…?


 『異世界にようこそ。あなたは戦士として役割を全うします。頑張ってくださいね』


 そんな声が聞こえた。若い男の声。あのエージェント小林の声だった。






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