第2話 続凶悪事件
そして、平成の初期には、
「それまで神話といわれていたものが、次々に崩壊していった」
ということであった。
まずは、
「バブルの崩壊」
ということにより、出てきたものは、それまで言われていた。
「銀行は倒産しない」
ということが神話だったということである。
銀行が潰れそうになると、
「経済対策から、国家が助ける」
ということであるが、ほとんどの銀行が、あれよあれよという間に、破綻していく状態で、国家の対応が遅れるのも無理もない。
そもそも、国家にそこまで力があるわけでもないし、対策が後手後手になるのだから、とても、崩壊する経済というものを支えるだけの行動力があるわけもないのであった。
それだけ、
「甘く見ている」
ということになるのだろう。
そして、もう一つの神話というのは、
「耐震構造というものにかかわる神話」
であった。
昔から、
「日本は火山が多い、島国だ」
ということである。
つまり、火山活動によって、
「地震災害が多い」
というのは、それこそ、
「歴史が証明している」
ということだ。
だから、建物を建てる時、特に鉄筋コンクリートになってからは、
「耐震構造はしっかりしている」
といわれてきた。
しかし、関西を襲った大地震では、いとも簡単に、高速道路やマンションが崩壊してしまった。
「まさか、そんな強い地震は想定していない」
ということであるが、実際には、
「法律の基準にも達していない」
という、
「欠陥住宅がたくさんあった」
ということだ。
あるいは、戦後すぐに建てられたものは、
「老朽化していた」
ということになるかも知れないが、それが言い訳になるというものであろうか。
実際に国家としては、
「基準を設けていて、法律も作っている」
ということなのだろうが、実際に悲惨な状態になったのだから、今度は復興には、
「さらに注意を払う」
ということが当たり前なのに、その数年後に、小規模な地震でも、復興した部分が崩落し、
「さらに、基準に達していない」
ということが判明した。
「実際に被害を見て、欠陥住宅がどのような問題を引き起こすか分かったはずなのに、たった数年で、まったく忘れてしまったかのような状況に、国民はどうすればいいというのだろうか?」
それを考えると、
「国家も、企業も信用できない」
ということになるだろう。
その決定的になったのが、今から十数年前に発生した、
「東北の地震」
である。
この時は、確かに津波がひどかったが、あれだけ、
「絶対に安全だ」
といって建設した原発が、人災によって、神話が崩れ去ったというのは、記憶に新しい。国はそれでも、原発を保持し、さらに、老朽化してもさらに使おうという暴挙に出ている。今は、賛成はと反対派で真っ二つに割れているが、
「果たして。それでいいのだろうか?」
ということになる。
それが日本という国家の政府だというのは、本当にそう言えるのだろうか?
何といっても、政府として、被災地に出かけたソーリが、
「被災住民に喧嘩を売る」
というような暴挙を起こしたことで、せっかく政権交代させたのに、
「たった数年で、また下野する」
ということになったのであった。
前述の、
「関西の大震災」
という頃とほぼ、時を同じくして、かなり大きな事件が勃発した。
こちらも前述のように、
「日本の大都市は、世界一治安が安定していて、安全なところだ」
という神話が崩れた時でもあった。
というのが、
「ある宗教団体による、組織的なテロ事件」
というものがあったことだ。
それは、毒ガスとしても、兵器としても、かなり危険な、
「サリンガス」
というものを、
「自分たちの工場で生成し、それを散布する」
というものであった。
そのガスがばらまかれたのは、まずは、
「信州の松本」
という街であり、どうやら、実験だったということと、何やら捜査のかく乱にあったということであったが、その時は、捜査がある程度、その団体に向けられるという時、今度は、それを、
「東京のメトロ」
つまりは、地下鉄内で同時多発的に撒かれたということであった。
「日本の都市では起こりえない」
というような事件に、世界は衝撃的となったことであろう。
「世界のどこにいっても、安全なところはない」
とでもいうような感じで、その数か月前に起こった、
「関西の大震災」
であっても、
「それは、あの宗教団体が引き起こしたことだ」
といわんばかりだったのだ。
何といっても、震災は、
「都市直下型だった」
ということから、大正時代、つまり、
「今から100年前に発生した、関東大震災」
に匹敵するくらいのものだということであった。
関東大震災の時には、大きなデマが飛び交った。
「朝鮮人が地震を引き起こした」
などというデマによって、横浜などで、虐殺事件が起こったというものだ。
要するに、
「戦争であったり、自然災害のような有事になれば、デマというものは、いつ起こるか分からない」
ということで、それこそ、
「戒厳令というものがなくて、本当にいいのか?」
ということである。
治安が最悪となり、誰にも抑えることができず、都市機能がマヒしてしまうと、それこそ、
「虐殺事件」
であったり、
「強奪事件」
などが蔓延ってしまうということになる。
皆生きるために必死なのだから、それも当然のことであるが、被災民が被災民を襲撃するというものは、地獄絵図でしかなく、
「誰かが強力な力で抑えないと、収拾はいつまで経ってもつくことはない」
ということになるであろう。
それを思えば。
「あの宗教団体が出てきたから、天変地異が起こった」
逆に。
「天変地異は、宗教団体の暴挙の前触れだった」
ともいえるのではないだろうか?
本当に、
「まったく関係ない」
と言い切れるのだろうか?
そんな大震災が起こってから、
「メンタル面」
ということで、その凶悪犯罪の、
「低年齢化」
というものがあった。
これは、
「さかきばら云々」
という名前を使った犯罪で、
「一人の子供が、首を斬られて、放置される」
という事件が発生した。
結局、犯人は、中学生で、その少年が、
「小説をテーマに事件を起こした」
ということが評判になったりした。
こういうのは、実は昭和の頃からあった。
ある連続殺人で、犯人であった人物を家宅捜索すると、部屋の中から、
「幼児趣味」
であったり、
「猟奇殺人を思わせるようなもの」
が置いてあったりした。
つまりは、
「何かの犯行に至るまでに、悪影響を与えるものが存在する」
というのは、
「古今東西言われていることだ」
ということで、今の時代は、確かに、
「表現の自由」
というものが、保障されているので、簡単に規制はできないが、さすがに、
「凶悪犯に繋がる」
というものは、
「そう簡単に出版できない」
ということになるであろう。
また逆に、
「事件が起こったことで、それまでは安全だと言われてきた神話が崩れたことで、事件を未然に防ぐ」
ということで、いろいろな商品に細工が施されたりすることもあった。
前述の。
「食品メーカーへの驚愕事件」
ということで、
「青酸カリが食品に添付される」
ということで、穴をあけたかどうかわかるように、
「箱に入っている商品などは、ラップをするようにしたりする」
という細工が施されたり、
「サリン噴霧事件」
においては、
「駅や公園、スーパーや百貨店などの公共施設などから、ごみ箱というものが撤去される」
ということになった。
これはあくまでも、
「テロ行為全般」
ということで、
「サリン噴霧」
だけでなく、
「爆弾を仕掛ける」
などという場合に、備えるということから、ごみ箱が撤去されるということになったのだ。
つまりは、
「事件が起こるごとに、世の中から便利さが少しずつ消えていく」
ということになったのだ。
これも、昭和から平成にかけてのことであるのだった。
また、凶悪事件の中には、
「遺産目当てに、結婚し、保険を掛けておいて、少しずつヒ素などを服用させ、死に至らしめる」
というような事件もあったりした。
これも、一種の
「凶悪犯」
といえるだろう。
恨みや復讐であれば、
「殺し方がセンセーショナルなもの」
ということで、
「耽美主義」
というものだったりするという、
「猟奇殺人」
というものもあるが、
このように、陰湿で、さらに、目立たず静かに殺すというやり方は、動機に、
「わがままなところがある」
ということで、ある意味、
「凶悪犯」
といえるだろう。
動機が自分本位であることから、裁判になっても、情状酌量というものは薄く、
「執行猶予がつかない実刑判決」
というだけではなく、その陰湿さから、刑が重くなり、下手をすれば、
「無期懲役」
それどころか、
「死刑案件」
ということもあるだろう。
動機に一切の、正当性はなく、それよりも、
「犯行に、同情の余地がない」
とみなされることだろう。
それは当たり前のことであり、
「人間は、おのれの欲のために同胞を殺す」
という唯一の動物である。
といわれているではないか。
しかも、そういう犯人に限って。
「自分は、この事件から無関係なんだ」
ということを演出するかのように、自ら、
「善意の第三者」
を装って、
「マスゴミの前に、平気で出てくる」
ということを行う人が多い。
普通であれば、
「人を殺したりすると、早くその場から立ち去りたい」
と思うのは当たり前のことで、もちろん、
「ぼやぼやしていると、警察に捕まる」
ということもあるだろうが、どこか、人を殺したといううしろめたさなのか、それとも、
「犯行を犯したことで、霊に憑りつかれる」
ということなのか、それを考えると、
「殺人などの凶悪犯を、普通の人間が普通の神経ではなかなかできない」
ということになるのだろう。
戦争においての、殺戮もそうであり、それだけ、精神に異常をきたすという人が多いというのもうなずける。
凶悪犯というのは、
「本当に相手を許せないだけの、復讐心に燃えている」
ということなのか、
「最初から、精神に異常をきたしている」
という人物が行うことなのか、どちらにしても、
「本人だけの力ではない何かが働いている」
といってもいいのかも知れない。
それを考えると、
「凶悪犯罪というものに、普通の精神で捜査をするというのは、難しいことではないか?」
と思うと、
「刑事などの警察官は、よく、事件捜査ができるというものだ」
と考えたりする。
「相手は、凶悪犯なのだ」
ということで、
「いつ自分も被害者と同じ目に遭うか?」
ということで、いくら警察としての捜査権であったり、
「場合によっての拳銃所持」
というものが認められているとはいえ、殉職というのは、結構あったりする。
さらに、
「油断していると、犯人に拳銃を奪われるということになり、その拳銃が犯罪に使われたりする」
ということになると、
「警察にいられなくなる」
ということであり、それどころか、
「その拳銃が使われて、人が死ねば、その責任は自分にある」
という思いを一生抱えて生きていく。
ということになり、
「もし、判決でやむを得ない」
ということになり、
「無罪」
ということになっても、果たして。
「精神的に耐えられるだろうか?」
ということになるのだ。
そうなってしまうと、
「警察官だけではなく、人間としても、立ち直れない」
ということになるかも知れない。
果たして、
「耐えられるか?」
ということであるが、正直難しいということになるだろう。
今の時代において、
「すぐに精神が病んでしまう」
ということから、叫ばれるようになった、
「コンプライアンス」
という問題。
つまりは、
「ハラスメント違反」
などということで、
「立場を利用して、相手に優位に立ち、相手を故意に追い詰める」
ということは、
「精神疾患を呼ぶ」
ということで、大きな問題になっている。
「パワハラ」
「セクハラ」
「モラハラ」
などといわれるものがそうであり、会社で、
「精神疾患の人が増えた」
という理由に、この、
「ハラスメント問題」
というのが、浮上してきたということになるのであろう。
実際に、精神異常として、昔からの、
「うつ病」
であったり、昔は躁鬱といわれていた、
「双極性障害」
などという患者が、その症状として、、
「パニック障害」
などというものを引き起こす関係で、
「人込みの中にはいけない」
ということになるのであった。
そんな精神状態は、あの戦時中でも、そこまではならなかった・
「ではなぜ、今の時代には、精神疾患が起こるというのだろうか?」
ということであるが、それは、ある意味、
「分かり切っている」
といってもいいだろう。
戦時中というと、前述のように、
「いつ死んでもおかしくない」
そして、死ぬときには、
「潔く死ぬ」
ということで、
「死ぬという時の死に方まで決められている」
といってもいい。
確かに、
「そういう教育を受けてきた」
といえばいいのだろうが、実際には、そんな簡単なものではない。
実際に、
「カミカゼ特攻隊」
などでは、
「国家や天皇陛下のために死ぬ」
ということが決められているので、
「特攻であっても、怖くはない」
と思っていても、実際に遺書を書いて、それも、潔い内容で、家族に送り、いよいよ出撃ともなると、
「心が寂しくなる」
というのが人間というものであろう。
しかも、その遺書でも、
「自由に書く」
ということは許されない。
戦争に反対であったり、家族が不安に思うようなことであれば、検閲に引っかかってしまい、その遺書ですら、下手をすれば、闇に葬られるというくらいだ。
何といっても、大敗した。
「ミッドウェイ海戦」
において、生き残った将兵は、いわゆる、
「生き証人」
ということになる。
「大本営発表」
において、
「日本は大勝した」
ということで、宣伝してしまったので、そんな生き証人が家に帰って、実際のことを話したりすれば、
「戦争継続が難しい」
ということになるかも知れない。
ということで、生き残りは、
「無人島で隔離」
ということになるか、あるいは、
「戦争の第一線に行かされ、そこで、最初に死ぬように仕向けられ、本当に戦死するまで、同じことを繰り返される」
という状態だったのだ。
これも、一種の、
「カミカゼ特攻隊」
というもので、もし、それでも生き残ってしまえば、最後には、
「毒殺されるかも知れない」
という恐怖が待っている。
そういう意味では人間というのは、実に残酷だといってもいいだろう。
たとえば、戦国時代などでもそうであるが、
「城を作る時の逸話」
に二つほど恐ろしい話がある。
一つは、
「人柱」
の伝説である。
築城に困難を極めたところなどは、人柱として、
「若い女性を生き埋めにして、いけにえを支える」
というものである。
「殺してから埋めるのであれば、まだマシだ」
といえるのかも知れない。
何といっても、
「苦しみなから、動くこともできず。苦しんで死んでいくのを待っているだけ」
という地獄である。
想像を絶するものがあるといえるだろう。
もう一つは、
「築城にかかわった人たち」
という工夫を、
「最後には、毒殺する」
という話である。
もちろん、全員ではないだろうか、特に、
「城の抜け穴であったり、隠れ場所などの工事や設計を請け負った人は、殺されてしまう」
ということである。
これも当然のことながら、
「生かしておけば、せっかく、細工を施しているのが、いつ敵に漏れないとも限らない」
ということで、それこそ、
「群雄割拠の戦国時代」
などでは当たり前で、江戸時代の、天下泰平の時代でも、そんなことが堂々と行われていたということであった。
そもそも、
「城というのが、防衛のためのもの」
ということである。
敵に漏れてしまうと、何のための城なのか、分からなくなるというものである。
城を築いてくれた人は、何も悪いことはしていない。
それは、人柱になった女性たちでもそうだ。
しかし、時代は封建制度
「自分たちの土地を守ってくれる領主のために、戦ったり、城の修理工事にかかわったりするのは当たり前のことであろう。
それこそ、
「ご恩と奉公」
というものであるが、だからといって、簡単に命を奪っていいのかなのかどうか、これは、時代の違いということから、考えさせられることであった。
それを思えば、
「権力を持つと、人間は非人道的といわれることを平気でする」
ということになる。
だが、これも、
「領主と、領民」
という関係がないと成り立たない世界でもある。
だから、その関係や、
「領国を守る」
ということでは、致し方のないことということで、ずっと、
「悲劇の歴史」
というものを繰り返してきたということになるのであろう。
そんな時代から、明治以降は、
「国内ではなく、海外に目が向けられただけ」
ということで、
「悲劇の歴史は繰り返される」
ということになるのだろう。
それをいたちごっこといったりして、その問題は、
「負のスパイラル」
ということで、ずっと繰り返させることになる。
その代表が、今の時代であれば、
「核開発競争」
ということで、長い間、
「抑止力」
として働いていると思われたものだった。
人間社会にも、この、
「いたちごっこ」
そして、
「抑止力」
という均衡が、ずっと息づいてきているのかも知れない。
「負のスパイラル」
という意味で、世の中、不思議なことが多かったりするというではないか?
というのも、例えば、今のソーリということでも、
「今のソーリは最悪だから、今なら誰がなっても、今のソーリよりはましだ」
と思ってしまう。
本来であれば、
「日本というのは、そんな情けない状態の国になってしまったのか?」
ということであるが、実際にそうなのだ。
しかし、実際に、
「今のソーリがあまりにも人気がないので、次の総裁選には出馬しない」
ということになれば、国民のほとんどは、
「やったー」
ということになるだろう。
しかも、それを、
「俺たちの評価が、代表され、内閣支持率として反映されるのだから、俺たちが辞めさせたようなものだ」
ということで、
「政治参加ができた」
ということで喜ぶことだろう。
しかし、実際に選挙ともなると、
「どこの党に入れても同じだ」
ということで、選挙に行かなくなる。
そうなると、選挙というものは、
「投票率が下がると、与党に有利」
ということになるのだ。
というのも、
「そもそも、与党には、組織票というものがあり、ある程度はその組織票で賄える」
つまり、投票率に関係ないのだから、
「分子が同じで分母が減るわけだから、得票率は与党に有利だ」
ということだ。
しかも、投票率が低いと、野党の数が多ければ多いほど、
「票が分散する」
ということで、与党とすれば、
「できればm投票率が低い方がいい」
と思っていることだろう。
ただ、野党というものも、支持率が野党第一党といえども、
「一桁」
ということでは、相手になるわけもない。
しかも、最近の野党は、
「文句や批判をするだけで、代替案というものを出してこない」
ということで、それこそ当てにならないということになるのであった。
しかも、一度だけ、政権交代が、ここ十数年の間くらいであったが、その時は前述のような、
「東北の大震災」
というものがあったのだが、その時の対策のせいで、
「国民からそっぽを向かれてしまった」
ということで、それこそ、
「国民全員を敵に回す」
という暴挙に走ったのであった。
それを考えると、
「野党になどやらせたのが、間違いだった」
とばかりに、
「本当は、幕末の徳川慶喜のようにさせたかったのだが、その代わりとなるものが、まったく形を成していないのだから、どうしようもない」
ということであったのだ。
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