ゆりかごのうた
@Akanesasu-00
第1話
いつかの記憶は、夢にまで現れる。誰の、感情なのだろう。
薄暗い雲に地面は覆われて、西洋タンポポは綿毛とともに星空のように浮かんでいる。綿毛が散ってしまうかもしれない。子どもたちが履いている長靴が雨をはじく。星空、虹柄の小さな傘そのものが生き物のように揺れる。歩道の隅に咲くアジサイは柔らかな桃色、紫色、水色、が切れ目なく溶けている。葉を手で持ち上げ、葉脈をなでる。ざらりとした手触りがする。かたつむりはゆっくりと顔を出し、緑の絨毯を横切る。白くて大きな顔をしたアジサイは、少し近寄りがたかった。高嶺の花という言葉が似合うだろう。幼い苺は、カタツムリを持ち上げる。カタツムリは顔を引っ込め、動き出そうとしない。「かわいそうだから、返してあげて」と言おうかと思ったが、余計に殻を割るんじゃないかと思って、朝子は何も言わない。けれど、そんなことはならなかった。朝子が逡巡している間に、もうカタツムリは悠々と歩きだす。苺は水たまりの上を飛んでいる。
「これはレアや」突然しゃがみこんだ光喜の汗に濡れた後頭部が光った。「なに?」光喜は一生懸命にありを親指と人差し指で捕まえようとしている。「つぶれちゃうんじゃない?」「大丈夫」その声は自信というより確信に満ちていて、朝子は黙って様子を見ている。「つかまえた」光喜の指の間でうねうねと足をばたつかせる蟻はよく見る蟻よりも一回りほど大きかった。「女王アリ。超レア」「おなかがむちむちしているやろ。人間に害はないけど、蟻が牙を虫につきたてて毒が回ると虫は動けなくなって獲物をとるねん。これ飼っていい?」と矢継ぎ早に聞くがいなや、答えを待たずにどこかへ駆けて行ってしまった。
歩いてくるのは光喜だった。黙って右手をグーの形を上向きにしてこちらへ差し出してきた。目を凝らすと、3ミリほどの白い胴体に薄緑のラインが入っている幼虫が黙々と歩いている。「なぁに、これ」「尺取り虫。窓辺にいた」「へぇー、すごい。蟻はどうしたん?」「逃がした。と、宙と朝子を交互に見ながら話す。朝子は光喜ともっと話がしたいと思った。しかし、光喜は満足したのかくるりと背なかを向けて、入道雲の向こうへ走っていった。
傘についた雨粒を払い、朝子は「ただいま」と玄関のドアを開ける。「おかえり」といつもの声がしない。鍵を開けて小学生には大きすぎる扉を開けるあの日の寂しさを思い出す。鍵を出すために、重たいランドセルを地べたに置くまいと、自転車のサドルに半分載せた。雨で薄暗い部屋の明かりを点けると、青依は地べたに寝転んで本を読んでいた。「いたのね」「おかえり」「何、電気も点けないで」
「どこ行ってたの」青依は朝子に尋ねる。「そこの公園。アジサイがね、きれいだった」
そう言ったところで、朝子はもう回想に耽っていた。アジサイに乗った雨上がりのしずくがいつ落ちるのか見ていたかったけど待っていると意外と落ちなくて目を離したすきに落ちたから人生もそんなものかもしれないとか。アジサイの雌蕊に、4ミリほどの玉虫のような深緑色と金色に光る羽に赤い足の虫が昇ってせわしなく動いていて、「君が世界で1番きれいだよ」と思ったこととか。こうしている間に通りがかった近所の人が座ってじっとアジサイを見ている私のことをどう見るかなとか。そんなこと忘れて太陽が照ってきた晴れ間のあたたかさに集中したこととか。頭の上でかなカナブンのような虫がブンブンと音を立てて飛ぶので「ここは俺の縄張りだから人間はさっさと出て行ってもらおう」と言っているように聞こえたとか。私の髪の毛が二本アジサイの葉の上に落ちていて、蜘蛛の巣がそばにあったのでもっと重たい何かだったら蜘蛛の巣をつぶしていたんじゃないかとか。「きれい」という3文字の間に、そんなことを思っていたのだった。
アジサイを見に外へ出たのは、生きている小さな虫たちがいて、美しく育った花たちがいた。枯れてしまった花や、死んでしまった虫もいて、雨をいきいきと吸い込んでいる生き物がいることの、世界のすばらしさを十分に感じられた。蚊にかまれてしまった苺や光喜という生き物もいた。
青依はカーテンを開けて、雨に打たれるアジサイの花を見つめる。散歩に行き、いつものように世界に触れてきた朝子たちのことを想う。青依は自分の右手を1度握りしめて、爪の圧力を掌に感じながら「うん」と頷いて手のひらを閉じる。そうして、階段を上がる。短い螺旋状のくねっと曲がっているところに来るとあ青依は、「人生って長いなあ」と思う時もある。今日は「蒸し暑いなあ」と思った。子どものころは、幅の広い階段から5段飛ばしで降りるのが好きだった。手すりをしっかりと握って、勢いをつけて。「ほら、全然危なくないよ」と心の中で自慢げに言っていた。
ここのところ、彼女の朝は早かった。朝早く起きることが健康にいいとテレビで見たからだった。朝は6時に起きて、朝食を作る。起きたらまず、カーテンを開けて朝日を体いっぱいに浴びる。布団の上でゆっくりとストレッチをしているうちに、重たい瞼は開いてくる。
朝ご飯を食べたら図書館に向かう。今は夏休みで人の利用が少ないし、人ごみの嫌いな彼女にはうってつけの場所だった。館内はクーラーが程よく効いている。二階は人が多い傾向にあり、そのせいか少し蒸し暑い。三階は専門書の棚が多く、人は少ない。どこかの教授だろうか、またいつもの席に法学書を積み上げた黒縁眼鏡のじいさんが、背中を丸めて座っている。
今日は天気がいい。真夏の風に、7月の葉が揺れている。天気が良いと気分も上がる。眼下に広がる景色には衣笠山、一度も訪れたことのないオブジェがごてごてと外観に並んでいる美術館。校門は京都の市営バスと学生が行き交う。談笑しながら行く者、1人ぽつんと下を向いて歩くもの。背筋を伸ばして歩く女性。この暑さの中制服をきっちり着込んで門のそばに立つ守衛さん。ふと、以前市バスの中で観光客の隙間に揺られていた時に、上 から汗がしたたり落ちてきたことを思い出す。
鯉はまだ、上賀茂神社の周辺の堀を泳いでいるだろうか。馬はまだ、みたらしの池を走っているだろうか。海辺のカフカの考察は、今頃明石の海中を漂っているだろうか。ああ、雨が降るなら今がいい。とにかく今、水の中で暮らしたい。
そんなことを考えていると、左腕の上に温かいものが糸を引いている。いつの間にか心地いい夢の中にいたようだ。こっそりと腰のあたりで拭き上げる。
お腹がすいてきたので、地下の購買で生協のパンとコーヒー牛乳、アイスを買って食べる。日陰を探してベンチに座ると、でかい蟻が登ってくる。どうしてここらの蟻はこんなにもでかいのだろう。カツサンドとエビサンドと迷ったけれど、カツサンドにしてよかった。頭上を見上げると、木漏れ日が揺れている。いつかの本で読んだワンシーンのように、優しくなりたい時に聞く曲のように。チョコレートを口に入れ、ぱきりと割る。中からバニラアイスが出てくる。チョコレートの表面は暑さで水滴がでている。わたしは、ずっとこの夏の中にいたい。子どもの頃でもない、大人になった私でもない。今の感性のまま、夏に溶けていたい。
こたつに足を突っ込んで、苺は昔の記憶を手繰り寄せた。曽祖父の戦争の話を思い出していた。戦地はフィリピンだ。覚えているのは病室での曾祖父勝次の一人語り。
曽祖父と話している時、だんだん孫に話していることを忘れるのか、顔つきが変わっていく。その時間の中へと戻っていく。夜中にコメを川の水で洗って食べた。とてもまずい。変なにおいがする。翌日起きて、その川を見に行くと、死体が浮いていた。もうひとつ。曾祖父の右胸には、銃弾が入ったまま。取り出そうとすると、出血で死んでしまうかもしれないので、あえてそのままにしている。
幼い私は、目の前で話す祖父が、人を撃ったかもしれないことが不思議だった。優しくて、少なくともひ孫の私には怒っている姿など見せたことがない。曾祖父の誕生日や正月には曾祖父のもとに親戚の総勢何十人もの人が集まる。そんな立派な曾祖父が、人を撃ったことがあるかもしれない。どうしても曾祖父の姿と一致しない。暗い中、狭い箱に入って揺れながら海を渡ったこと。曾祖父を、優しくて賢いひいおじいちゃんを、誰がどうやって、傷つけていいのだろうか。
毎年お正月は、ひいじいちゃんの家に親戚が集まって、一通りご飯食べたりすることを済ませた後、なんとなくじいちゃんが戦争の話を始めたら、なんとなく集まって聞いたりしていたような記憶があるようなないような気がする。子どもたちは飽きて遊び始めてしまうのだが、10人くらいいた子どもたちのなかで私は1番長女なので、真剣に聞いているふりをしながら、心の中では飽きていたことを思い出した。
祖母の畳の部屋の一角。ふすまの隣。60センチの穂の赤い洋服を着た人形がガラスケースに収められているその部屋は、幼い私をおびえさせるのには十分だった。大人になった私は、その部屋に入った。幅10センチほどの地域の歴史が記されている書物を手に取る。表紙は深緑。タイトルの文字は金色。
曾祖父や祖母が生まれ育った町は、山田という。曾祖父の兄弟は、曾祖父を入れて11人。ここでの主人公は、2番目の兄の正清だ。正清はレイテ島で戦死した。それだけが、山田の歴史書に書かれている事実だ。山田の土地から戦争に行き、戦死した人たちの名前が記されているにすぎなかった。山田という土地の歴史は事細かく書かれていたが、レイテ島に関する記載は見当たらなかった。きっと、こんな風ではなかっただろう。
砂浜が開けた。コツン、コツン。硬いものを叩く音が聞こえる。少女は麦わら帽子のつばを後頭部にずらす。肌を指す太陽に気圧されて、また深く被り直す。こっそりと、バレないように、観光客を装って、音に向かって歩く。少年は怪訝とする。この砂浜には人は近寄らないのに。少年は警戒したが、少女が近づいてくるたび、どうしてか体の力が抜けていく。「何、してるの?」少女は問いかける。「化石、を掘ってる」少年は少女に背を向ける。「なんで?」「なんでって、やってみたらわかるよ」ぶっきらぼうに吐き捨てる。むっとした少女。「貸して」と言い、少年の手から用具を奪い取る。正清は少年と少女のやり取りを見ている。操縦席に座った正清は、自分の弱さを自覚する。彼等には未来がある。触れられない場所から出来事を切り取って、言うべき言葉などない。
「むずかしいよ、これ」「ちょっと、みてて」斜めにハンマーで叩く。右上から、削り取る。砂の塊がこぽっと落ちて、足元で砕ける。そこら一辺が茶色に染まる。少女の口がほころぶ。
少年は海へと向かう。陽光を受けて水面の色は変わる。水の中には規則がない。軽くなり重たくなる。腰の辺りで左右に引っ張られる。ゆらりゆらり。正清は近づいてくる少年になりたいと思う。初枝に合わせる顔がない。離れなきゃよかった、今更だけど。
正清は引き金から手を放し、独り言のように呟く。「自分が自分でいられない時がある。何かに操られてある自分だって思うことがある」
少年は答える。「浜に来て土を削る。ずっと昔に生きていた生物の形の周りに砂が落ちていく。心が動いて仕方ないって時は、ほんの一瞬。集中していないと気がつかない」」少女は少年の後ろから、おそるおそる正清の方へ近づき、足元にしゃがみ込む。砂を一つかみ救い上げて、正清の軍靴に振りかける。
虚を突かれ、砂の中の冷たさに吸い込まれる。ひとつまみを手にとって、振り落とす。手のひらには数粒の砂が残る。この砂の一粒でも、永遠に手にはついていない。せめて海水で洗い流しにいく。
正清は思う。忘れてしまった。自分がどこにいるのか。自分はどこに行ったのか。本当にしたかったことは何だったのか。僕は銃が好きなだけだった。解体して、眺める。それでよかったんだ。銃は人を殺すために使うものじゃない。 どうしてこんなところにいるのだろう。
「もう行かなくちゃ」朝方、戦争が始まる前に、正清は勝次の元から離れようとした。離れがたい時、いつも大切な人の寝顔を眺めている気がする。弟を残してゆくことに我慢ならなかった。けれど、ここに残って戦争をする気にもならなかった。やっぱり人は殺せない、それがまさ正清の出した答えだった。弟の寝顔を目に焼き付けて、正清は出発した。銃が磨かれていることに気がついても、振り返ることはなかった。
勝次は朝起きて、兄の姿がないことにホッとした。兄は人を殺せるような人間ではない。その確信は正しかった。勝次は、いつまでも正清のままでいてくれることを望んだ。朝靄の中、開戦の音が骨に響き渡る。兄さん、銃の整備くらいしときなよ。不気味なほどの静けさ。鳥の羽音。風が巻き上げる。ダークグレーの雲が多く、雨が降りそうだ。不思議と気分は落ち着いている。何度も行った動作は体が覚えている。肩から下げた銃を担ぎ、スコープを覗きこむ。ガシャリ。今度正清に会う時は、銃の手入れを教えてあげないと。いいよ、そんなのってしかめ面をするだろうけれど。本当に、兄はこんなところにいちゃいけない人なんだ。それだけは絶対に正しいことなんだ。それでも、誰かがやらなくちゃいけないんだ。
視界が開けると、そこは田んぼだった。田んぼにはキリンの群れがいた。どうして田んぼにキリンがいるのだ。そんなこと考える隙間もなく、キリンは襲ってくる。いや、襲ってくるというよりも。田んぼに口を下向きにして突き刺さったキリンたちが、生き物の気配を察知しては飛び出してくるのだ。気配を殺せ。正清は初枝に向かって叫ぶ。初枝は笑う。「大丈夫よ、キリンも生きたいだけだから」。正清は呆れかえる。初枝のこういうところが好きだと思う。初枝は能天気で何も考えていないのか。なんとかなると思っているのか。よく考えているのか。僕にはよくわかないけれど、初枝がいれば、キリンも襲ってこない。初枝が怯えると、キリンは飛び出すだろう。怯えは自己防衛につながる。それが傷つけあうことにつながるとして、キリンが飛び出してくる。「走れ!」正清は初枝を先に行かせる。必至で地面を蹴って。「止まるな!怯えるな!」背後から夫の声が聞こえる。命が危うくなっている今、ふと顔にかかる風が気持ちいいことに気がつく。どうしてこんな時でも、私は青空を見上げてしまうのだろう。私はあと何回、夫の手を話せば気が済むのだろう。初枝は目を開ける。正清は隣にいない。ひどく1人でいることに不安が込み上げる。夫に飛んでくるのはキリンじゃなくて、銃弾だ。私には銃弾が飛んでくることはない。正清はいつ、こんな夢の話を聞いてくれるだろうか。「会いたい」初枝は呟く。
正清は北の海岸線に沿って歩いていた。信じられないほど眠い。極寒の中、極度の眠気が正清を襲う。今立ち止まるといけない。その一心で足を動かす。だから気がつかなかった。パーンという銃声に。脇の10センチ横を壁の破片が通り過ぎた。サリーの目は覚めた。腹這いになり、素早く後退の姿勢を取る。建物の影に身を隠したところで、戦況を理解しようと正清は目を凝らす。50人規模の隊列が横に3つ並んでいる。相対する隊は分断されて分かりづらいが、30人程の隊列が4つ。やや50人の隊列側が優勢しているよう。正清の理性はそこで途切れた。劣勢の隊列の外側に、離脱している少年がいた。弟だ。そう思った正清は匍匐前進で進んだ。弟だ、助けないといけない。それだけが頭の中を占める。銃弾が飛んできたら仕方ない。弟だから。助けないと。その一心で近づき、警戒し銃を構えている少年に告げる。「私は味方だ。正清だ。君の兄だ」銃声に掻き消されないよう声を張りあげる。少年は銃を下ろさない。負傷兵を介抱しているのだ。頼む。こちらへ来てくれ。サリーは願う。後援部隊がやって来る。少年は銃を下ろし、負傷兵を任せる。軍隊の後方へ下がってゆく。正清は追いかける。少年の手を掴む。ふっと空気が緩む。「兄さん、きちゃダメだろ、こんなところへ」「探していたんだ」大切な人を、今、大切にしたい。戦況が動く。兄弟の会話は、人間の命の動きに沈む。隊列の動きについてゆくのに必死になる。
戦争は、合図1つで終わる。ゴーッというノイズの後に、野太い声が停戦の合図を告げる。正清には、停戦と終戦の違いがわからない。隣で人が死んでいくのをただ見ているだけの自分。「会ってしまったら、また会いたくなるだろ」「会いたいと思った奴に会えない」「ずっとそんな毎日だ」「そういうの、嫌なんだよ」「最初から知らない方がいい」勝次は矢継ぎ早に話した。「会えない方がいいなんてことはない」「例え明日会えないとしても、今日会えて嬉しかった」正清は必死に言った。勝次は呟く。「生きている実感がなくなると、命の形を求めて戦争を始める。僕らは耳を澄ませることをしないんだ。」
誰かの鼓動を聞かことでしか生を感じられないなんて。
8月。太陽が朝から照り付け、空気が熱気につつまれ、屈折したように眼前の景色が揺れる頃。セミの声と夏風に背中を押され、墓参りに行く。当然、祖母の実家である山田の墓へ参る。
お供えには、墓花、お線香、お菓子、ジュース。枯れた花を取り除き、新しい花を立てる。
「初江さん赤い花好きやからそっちに刺してあげて」
「そこ切って、高さ揃えよう」
墓石を水で流し、線香をあげる。
「光喜くん、お線香消して」
「ふー」
「吹いたらあかん」一同が笑う。
暑さの中、冷えた缶ジュースで乾杯する。
「おばあちゃん、これ飲んでいい?」
「ジュースこぼしてる人おるし」
「ふふふ」「みちゃった」
「せんべい濡れたで」
楽しくなって、切なくなってきて。たいていこのあたりで青依お父さんがふざけだす。物置石のうえの上に立ち、
「ここ、金メダルもらうところ?」
「荷物置くところ!」「罰当たるで」子どもたちが笑う。
「勝次さん、青依は相変わらずやなって、笑ってるわ」孝子あばあちゃんの嬉しそうな笑顔が光る。
「賑やかやで、喜んどってやわ」
そこでは、20代前半の男が生きた事実、そうして死んだ事実が刻まれている。確かに、そこには若くして死んだ人が身内にいる事実の記録がある。幼い私は、そのことが妙に不思議な気持ちになった。善悪の判断が定かでない幼い私にとって、若くして死ぬことは、普通のことではなく、特別なこと。物語を読んでいる時のような感覚。どこか他人事で、どこか憧れる。選ばれた、特別な人だと、特別な出来事だと漠然と感じていた。戦死することを美化するようなことなんていけない。けれども、その事実に心ひかれたのもまた事実なのだ。
どうして、家族と、親と、弟と、おばあちゃん、おじいちゃん、誰よりも愛している人たちと離れなければならないのだろう。小さい私が思った、みんながバラバラになって、寂しいとつよく、離れたくないと、また集まりたいと思った気持ち。おばあちゃんが「ひいおじいちゃんが死んじゃったら、もうみんなで集まることもないやろうなぁ」って言って、ものすごくショックだった。『なんで?』って。『ずっと集まらないの?』死んでしまうのは、仕方ない。命あるものは、いつか死ぬから。生きているのに、会えない方が、辛い。今の今まであったものが崩れるのが嫌なんだ。明日もちゃんとあることを確実にわかっていることが、なくなる。明日も確実に、あるもの。
勝次ひいおじいちゃんが亡くなった時、孝子おばあちゃんは、「勝次さん、こんなんになってしまって。」と言って、おじいちゃんの顔を撫でて泣いていた。初めて見る、おばあちゃんの泣き顔だった。
「初枝さんはすごかった。洗濯機もなくて、ガスもなくて。全部1人でしてたんやから」孝子おばあちゃんは、お母さんのことをそう言って尊敬していた。
ゆりかごのうた @Akanesasu-00
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