番外:同僚② 中川香織SIDE
鈴木さんは意味ありげに笑っていたけど、理由はいまいち分からない。
みんなは困っているゆうこちゃんをそれ以上追及することはなく、なかったかのように飲みは進む。
ゆうこちゃんはちやほやされる存在であるから、みんなの追及の甘さも理解できる。
トイレから帰ってきたゆうこちゃんは、鈴木さんのいる席を離れて、他の上司にお酌をしに行っていた。
できる女だよなぁ。
愛子さんと鈴木さんと三人でゆっくり飲みながら、ゆうこちゃんを見る。
「やっぱ矢野さん可愛いよなぁ」
「あんたいい加減に矢野さんって呼ぶのやめなさいよ。麻生さん!」
「麻生ねー……」
意味深な言い方をする鈴木さんをチラリと見る。
「鈴木さん、ゆうこちゃんの旦那さんの事知ってるんですか?」
「知ってるよ。なんていうか当時はけん制されたかな、だいぶ嫌われてるだろうな、俺。しかもその人、ここには来ない方が賢明だと思うね」
鈴木さんは意味ありげな言葉を放って、その話は無理やり終了になった。
愛子さんが酔っぱらいすぎて鈴木さんを殴りだしたからだ。
「愛子! お前、痛ぇんだよ!」
「……うえっ、吐きそ。ちょ、中川、トイレ連れてって」
「えぇー、はいはいはい!」
私はふらふらの愛子さんを連れて立ち上がる。
すると遠くにいたゆうこちゃんが気づいて駆け寄ってくる。
「私も一緒に連れて行きますよ」
「ありがと、ゆうこちゃん」
二人でトイレに連れて行くと、愛子さんは個室に閉じこもってしまった。
しばらくして出てきた愛子さんと三人でトイレを出る。
まだふらふらとはしているけど、だいぶ気分は良くなったらしい。
ふらふらと千鳥足の愛子さんは前方から歩いてきた誰かにどすんとぶつかった。
倒れそうになった愛子さんを、そのぶつかった人が思わず腕を掴んでくれている。
「いたぁー……」
「すみません、大丈夫ですか?」
帽子を目深にかぶった男の人は、愛子さんの腕を掴んだまま心配そうにする。
いい香りがする。
愛子さんもそれに気付いたのか、ふらふらしていた身体を起こして男の人をじろじろと見た。
「え」
その声は、愛子さんが先だったか、ゆうこちゃんが先だったか。
「おう、ゆうこ。なんかお前様子変だったから見に来たけど、なんかあったか?」
会話から察するに、おそらく旦那さんだろう。
帽子のせいで顔はいまいち見えない。
覗き込むようにして見た愛子さんは見えただろうけど。
でも、すらりとした長身と、おしゃれな服装、上品ないい香り。
ゆうこちゃんと並ぶのがすごくお似合いな感じがして、思わずほぅっとため息を吐いてしまう。
「え、え、え、私幻覚!? ユキ……っ」
愛子さんが慌てているけど、なんの事か分からない。
また酔っているのかと思って、思わず愛子さんを支えると男の人がゆうこちゃんの手を握った。
えー、手握った。手握ったよ。
私たち目の前にいるのに握っちゃったよ。ラブラブなんだぁ。
「ゆうこ、なんかあった?」
「あー、じゃなくて、会社の人たち、旦那はどんな人だって聞かれちゃって。呼べ呼べって言うから電話してみたんだけど呼べるはずないのにごめんね」
「あぁそういう事。なんなら、挨拶していくか? 俺結婚してることになってるのみんな知ってるし、相手がお前ってバレてもそう困んないけど」
「えー、いい、いい。悪いし、いい」
「そっか? お前、まだ飲み会あるんだよな。俺どっかで時間潰してるからまた連絡してよ」
彼はそう言って去ろうとする。
ゆうこちゃんの手を離して。
普段冷静なゆうこちゃんは何を思ったのか、もう一度彼の手を握ると、「私ももう帰る」と言い出した。
二人は一瞬じっと見つめ合って、彼はゆうこちゃんの頭を優しく撫でた。
「じゃあ、鞄取ってこいよ」
「うん」
まぁ多分一人抜けたところでどうせ分かんないだろうけど。
さっと席まで鞄を取りに行ったゆうこちゃんはすぐに戻ってきて、私に会費の五千円を渡してきた。
「愛子さん、香織ちゃん。ごめんなさい。先帰ります」
ゆうこちゃんに頭を下げられたらたまらない。
「いいよ、いいよ」と慌てて口にすると、彼が目深に被っていた帽子をふわっと外した。
…………え。
目が点になった私をよそに、彼は頭を下げて言う。
「いつもゆうこがお世話になってます。今後ともよろしくしてやってください」
「…………い、いえ、こちらこそ」
絞り出した答えではあったけど、声が出た私を褒めてほしい。
愛子さんは完全に彼の顔を見たままストップしている。
帽子を取った彼、いや芸能人のユキは、顔を上げてほんのり笑う。
ぼっと顔を赤くした私と愛子さんを見て、もう一度謙虚にぺこりと頭を下げた。
「こいつ、協調性ないと思うんですけど仕事場ではどうですか?」
まさか続きを話しかけられてしまい、ショート寸前の頭を必死に働かせる。
「あ、いや、えと……ゆうこちゃんは仕事もよくできて、どの社員からも大人気で、女の子の中では一番の出世株です」
「ほんと? お前、高校の時と変わんねぇな」
そう言って、彼は心底嬉しそうにゆうこちゃんを見る。
その瞳の奥に移る感情は、なんていうかとても綺麗なものだった。
純粋に人を尊敬する瞳。
ユキの伝説的な結婚会見を思い出した。
確か手の届かない人だったって言ってたっけ。
まさか女の子の憧れであるユキにそんな人いるわけないだろうと思っていたけど、ゆうこちゃんならなんとなくわかるかもしれない。
きっと彼女は高校の時も今と同じようにキラキラと綺麗で。
そして鈴木さんがゆうこちゃんを見る視線と同じように、彼もきっとその一人だったのだ。
そう思うと感慨深いものがあった。
ユキもきっと一人の普通の男子高校生だったのだろう。
「こいつ家帰ってくるのすげぇ遅い日とかあるんすけど、ここってみんなそんなに残業してるんですか?」
「えー、なに浮気とか疑ってんの?」
「そんなんじゃないけど、お前また頑張りすぎてんじゃないかと思って」
ユキがそう言うと、ゆうこちゃんが顔を真っ赤にして恥ずかしそうに黙り込んだ。
へぇ、ゆうこちゃんのこういう顔初めて見た。
彼の前でそんな顔もするんだ。
「うちらはそこまで残業はしないですよ。ゆうこちゃんは今日の仕事を終わらせないで帰るのが嫌みたいなんで」
「そうなんだ。やっぱゆうこは自分から残ってんだな」
「ねぇ、もういいでしょ」
ゆうこちゃんが恥ずかしそうにユキに言う。
ユキは「おう」と返事をする。
「すみません、これからもこいつよろしくお願いします。お先です」と私たちに告げた。
ゆうこちゃんは苦笑いしながら、「ごめんね、また月曜」と言って、彼と歩いて行った。
まっすぐ出口まで続く廊下。
彼はゆうこちゃんの手を握り、もう一度帽子をかぶり直す。
彼がなにか耳元で話しかけると、ゆうこちゃんは怒ったような顔をして小さく彼を叩いた。
そして二人で笑って外に出る。
二人とも、お揃いの結婚指輪が左手に光っていた。
ゆうこちゃんの旦那さんがユキだったの!?
二人が店を出て行ってようやく今更驚きが戻ってきた。
「ね、ね、愛子さん! さっきのやっぱユキでしたよね!」
「……ユキだったぁ。生ユキ超かっこよかったぁ……」
「ですよね! 私面食いじゃないけど、さすがにリアルユキは鼻血出るかと思いました」
「いや私失神するかと思った。意識保ってるので精一杯」
愛子さん、確かに一言も発してなかったな。
面白くて笑う。
そういや鈴木さんが意味深なことを言っていたのはそういう事だったんだな。
確かにリアルユキはあんな会社の飲み会に呼んだら大惨事になりそうだ。
「それにしてもかっこよかった。麻生ちゃん、よくあんなイケメンと一緒に暮らしてるわ」
愛子さんのつぶやきに黙って頷く。
「でも、慣れてきてますけど、ゆうこちゃんもかなりの美人ですよ」
「あー、そか。なるほど。私とは次元の違うお二人ってわけかー。なるほどなー」
納得してしまった愛子さんに、一応先輩だから「いやいや」と声を掛けつつ、一緒に飲みの席に戻る。
鈴木さんがぐったりと端の方の席でダウンしそうになっていて、二人で駆け寄る。
「あれ、矢野さんは?」
「旦那さんが迎えに来て帰りましたよ」
「えー、飲み会の途中なのに束縛のきついやつ」
「ふふ、仲良さそうでしたよ」
鈴木さんは切なそうな顔をして、「ふうん」と面白くなさそうだった。
この人ってゆうこちゃんが入ってくるまでは社内人気もかなり高かったんだよね。
そういう私もちょっとかっこいいなとか思ってたし、愛子さんなんて今でも鈴木さんの事好きだよね。
「ほら、鈴木。一緒に飲むぞ」
「お、なんだよ愛子。お前は全く酒強すぎなんだよ。可愛くねー」
「うっせ。鈴木のばーか」
同期に人。
なんとなくこのままいい感じにいくんじゃないかと思い、私はこっそりその場を離れた。
できる後輩だなぁ、自分。
ゆうこちゃんの照れたような、はにかんだ顔を思い出して、いいなぁともう一度思う。
誰かに頑張りを認めてもらえるって幸せな事だ。
頑張りすぎてもお疲れ様と言ってくれる人が家にいるんだな、ゆうこちゃんは。
いいな。
幸せ者だな。
初めて見たユキはテレビでのクールな感じとは違って、恋愛ドラマに出てくる時の俺様で情熱的な感じとも違って。
一生懸命で。
誠実で。
とてもとても、彼女を愛している、ただそんな印象だった。
おわり
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