番外:すれ違い ゆうこSIDE①

今日はちかちゃんとご飯に来ていた。

それからなぜか同じ高校だった恵子さんと恵子さんの男友達にバッタリ会って、そこそこお酒を飲んでいた私たちは四人でカラオケへと行く事になった。


カラオケ内では、ちかちゃんと恵子さんの仲の良さが目立つ。


私は反対側のソファでそれをちらりと見ながら、カラオケのタブレットに視線を落とした。

私の隣はなぜか恵子さんの男友達で、その人は彰(あきら)くんという。


ちなみに同じ高校で同じ学年だったらしいけど、あんまり人と馴れ合わなかった私にはいまいち分からない。

でも恵子さんはもちろん、ちかちゃんも彰くんとは友達らしく、かなり仲良く話をしている。


「ていうか、ユキちゃんさ、芸能人なんだし、歌出しなよ」

「はぁ? なんで」

「今の人気だったら多分ド下手でも売れるから」

「お前、この野郎。俺は歌も普通にうまいんですー」

「ちょ、ユキちゃん。まじ髪のセット乱れるから」

 

ちかちゃんは恵子さんの頭を抱えて、ぐりぐりと拳をこめかみに当てている。

それをじっと見ていると、隣に座っている彰くんがふふっと笑った。

その笑いに気付いて、彰くんを見る。


彼は足を組みながら私をからかうように見て、「矢野さん妬いてんだ」と耳元で囁いてくる。

なにこの人。

ムカっとした私は、「別に」とだけ言葉を残して、またタブレットに視線を落とした。


夜中の二時。

お酒も進み、特によく飲んでいるちかちゃんと恵子さんはかなり楽しそうだ。

隣の彰くんもかなり飲んでいるはずなんだけど、それでも全く酔う素振りは見せない。

かく言う私もそんなに弱いわけじゃないので、一応冷静さを保てている。 


この席の配置になったのは、お酒が入っている四人がそれぞれお手洗いに行くせいで席の配置が毎回変わるからだ。

今はこんな変な組み合わせで落ち着いている。


ちかちゃんと結婚して二週間。

正直まだまだお互いで過ごした時間は短い。

というのも私たちは付き合ってすぐに結婚したため、恋人同士の期間はまだ三ヵ月ほどだ。

今日は明日がオフだというちかちゃんと、お互いの仕事終わりに飲みに来たらこんな事になった。


私は二人でいたかったんだけど、でも友達と戯れるちかちゃんが見たいと思ったのも本音だ。


「ゆうこ、あんま酒飲みすぎんなよ」

「うん、大丈夫」


ちかちゃんは向かい側から心配そうに声をかけてくる。

それに笑顔で頷きながら、梅酒の入ったロックグラスを口に運んだ。


彰くんが流行りの歌を歌い出して、歌詞のテロップが流れる画面をぼーっと見る。

室内が大音量になったせいで、ちかちゃんと恵子さんは二人顔を寄せ合って、何かを話している。


ああ、なんて近いんだろう。

二人でタブレットを見るのは仕方ないかもしれないけど、それでもどうしても距離の近さが気になる。

肩が触れ合いそうな距離でもお互い大笑いしているところを見ると、何でもないって事なのかもしれないけど。


「ちょ、恵子。お前ばかじゃね?」

「えーそうかなぁ。だってさ、山田が悪くない?」

「いや、それはお前が悪い!」


二人はきゃははと笑いながら、私の分からない話題で盛り上がっている。

お酒でふわふわした頭。

それでも胸にちくっという痛みを感じる。

 

「ねぇ、恵子とユキって仲いいよね」

「……え、あぁ、うん」


間奏の合間に話し掛けてきた彰くんに、曖昧に返事をする。

彼の雰囲気が苦手だ。

なんていうか含むような視線と、なにを考えているか分からない笑みが怖い。


サラサラの茶髪に、軽薄そうな薄い唇。ピアスがいくつも耳に空いていて、何となく得体のしれないものを感じる。

あの学校も一応進学校だったけど、確かに不良というかやんちゃそうな集団はいた。


そこにちかちゃんが属していた事も知っているけど、彰くんの事は知らなかったな。

私は本当にすこぶる人に興味がないらしい。


「矢野さんってさ、水無月さんと付き合ってたじゃん」

「……それが?」

「水無月さんも先輩の中ではかなりかっこよかったよね。矢野さんって顔で選んでんの? イケメンじゃないと嫌なんだ? まぁ矢野さん美人だしそうなるか」


この人ってほんと。

私の事がどれだけ嫌いなのか知らないけど、ほんとに性格悪い。

無視して携帯を見る事にする。

真面目に取り合うなんて馬鹿らしい。


別に着信も何もないけど、ただじっとしているとまた意地の悪い男が話し掛けてきそうで、無駄にメールボックスを開くふりをした。


「ユキちゃんの馬鹿野郎ー!」

「はぁ? 恵子に言われたくねぇし!」

「あははっ、いや矢野さんにはもったいないね」

「あ、お前言ったなー」 


向こう側の楽しそうな事。

こちら側との対比がひどくて、どんどんと憂鬱な気分になる。

恵子さんは派手な綺麗さがあって、私とは全然違うタイプだ。こういう豪快な美人が好きな人も多いだろう。

見たくないのに見てしまう。


そして、二人の仲の良さを見て、胸にちくっと痛みが走る繰り返し。

私とちかちゃんはあそこまで仲良くない気がする。


ちかちゃんは私の前だといつも少し怒ってるし、あんな風に大口を開けて笑う事も少ない。

あんなに自然と距離を詰める事もない。

いつだってちかちゃんは私に少し距離を開けている。


やっぱりまだ私たちの間には心の距離があるんだろうか。

四年以上もすれ違って会っていなかった時もある。

最近再会したばっかりで、私たちにはまだまだ埋めなきゃいけない溝があるんだろうか。


私たちが会わなかった四年間、ちかちゃんは恵子さんと何度会ったのだろう……。

考えれば考えるほど憂鬱になる。

もう一つ不安点がある。

それはちかちゃんが私を抱かない事だ。


別に抱かれたいと常に思っているわけじゃないけど、さすがに結婚してから一度もないとなるとどうしても不安になる。

毎日同じベッドで眠るのに手を出してこない。

恋人同士でいた少しの期間は、毎日のようにしてたのにな。

もう飽きたのだろうか。必要がなくなったのだろうか。


そんなのって夫婦だと普通の事なんだろうか。

悶々と考え込んでいると、また彰くんがへらへらした笑みで私の耳元に口を近づけてくる。

ちかちゃんは歌っていて、こちらの様子には気付かないようで、私は黙って俯いていた。


「知ってた? 恵子って高校の時篠宮と寝てたんだよ」


弓道部部長の篠宮くんと恵子さん?

なんだか意外すぎて、衝撃的すぎて、どう反応していいのか分からない。

口を開いたまま固まっていた私に、彰くんが隣でくすりと笑う。


前を見ると、酔いで頬を赤くした恵子さんが、楽しげにリズムに乗っていた。


「それでさ、俺、ユキと恵子がキスした事あるのも知ってるよ。あの二人って案外デキてたのかなとか思わない? かなり仲いいしさ、もしかして今も続いてたらどうする? 矢野さん潔癖っぽいし離婚しちゃうか」


けらけらと笑われて、かぁっと頭に血が上る。

今ちょうど不安に思っていた事もあって、余計にイライラする。

ちかちゃんと恵子さんがキスしてた?

そりゃあちかちゃんって高校の時だってかなりモテてたし、彼女がいなかったとは思わない。


本人はそんなのいないって言ってたけど、実際のところはどうなのか分かんないし、中学の時は何人か彼女がいたのは本人から聞いて知っている。

高校の時は私と付き合っていないわけで、その時にちかちゃんが誰とキスしてようが勝手だ。

だけど、込み上げてくる激情は何だろう。


嫉妬なのか嫌悪感なのか、ぐちゃぐちゃに入り混じった気持ちが、喉元までせり上がってくる。

気持ち悪い。心臓を刺す痛みもわずらわしい。

今すぐここから出たい。帰りたい。

一人でもいいからこの場から消え去りたい。

 

だけど、連日仕事で忙しいちかちゃんの楽しそうな顔を見ていると、場を乱す事はしてあげたくなくて、その場で座っておく事しかできない。


「彰くん、もう話し掛けてこないで」


キッと睨みつけると、彼は何とも思ってなさそうな顔で「ごめんねー」と告げる。

今日初めて喋ったのに、どうしてこんなに嫌われなきゃならないんだろう。

彰くんに嫌われたって構わないはずなのに、なんだか自分がみじめで涙が込み上げてくる。


「矢野さん、ユキに聞いてみてよ。恵子とどういう関係なの? って。あいつ嘘付けなさそうだしさ、すぐに態度に出るから分かるよ。矢野さん振られたらどうする? あ、でも矢野さんなら拾ってくれる人いくらでもいるだろうね」


かぁーっと頭に血が上って、思わずへらへらと笑う顔を引っぱたいていた。

パンッと音が響く。

歌を歌っていたちかちゃんも、歌にノッていた恵子さんにも気付かれたようで、視線がこちらに向く。


驚いたように目を見開く二人の視線が痛い。


「いってー、叩かれちゃったよ」


彰くんが叩かれた頬を手で押さえながら、それでも笑う。

私は怒りと悔しさで涙が目にいっぱい溜まって、じんじんする手を握りながら俯いた。

ちかちゃんが歌をぶつっと切って、マイクをテーブルに置く。

カタンという音がやけに響いた。


「彰。お前、ゆうこに何したの」

「えー、別に?」

「何もしてなくてゆうこが叩くわけねぇだろうが。おい」

 

ちかちゃんの低いトーンはあからさまに怒っていて、そこには冗談のかけらもない。

恵子さんもお酒でテンションが上がっていたはずなのに、しんと黙りこくっている。


「ゆうこ。彰に何言われた?」

「…………」


喋ると涙が零れ落ちそうで喋れない。

泣きたくない。泣くのはみじめでたまらないから泣きたくなんてない。

こんな夜中のカラオケの楽しい時で、泣いちゃう奴だなんて思われたくない。


何も言わない私にグッと眉を寄せたちかちゃんは、おもむろに立ち上がる。

そして、私の手を掴んで一言、「俺ら帰るから」と冷たく告げると、私を立たせて部屋を出た。

ツタツタとカラオケ店を足早に歩く。


その早足に着いて行きながら、込み上げていた涙を誤魔化すように瞬きをした。

大通りを走っていたタクシーに乗り込んで、ふぅっと息をつく。


だけど、安心する暇もなく、ちかちゃんがこちらを向いて手を握ってきた。


「ゆうこ。彰に何言われた?」

「……何でもないよ」


聞けない。言えるはずがない。

恵子さんとどういう関係だったの? キスしたって聞いたけどいつしたの? 今も頻繁に会ってるの? 私を抱かないのはどういう理由があるの? 


こんなにも嫌な感情ばかりが芽生えて嫌になる。

こんな質問、ちかちゃんにぶつけられるはずがない。

 

「……お前が何もなくて彰を叩くわけないだろ。あいつはまぁなんていうか、その、恵子の事が好きで仕方ないやつだから安心してたのもあるんだけど、悪かったな。そばにいさせるべきじゃなかったな」


「ごめん」と呟いたちかちゃんに、胸がぎゅうっと締め付けられる。

そういう事を言ってほしいんじゃない。

別に彰くんが恵子さんの事を好きなのかなんてどうだっていい。


私は元々色んな人に目を配れるほど社交性もないし、正直なところちかちゃんの事でいっぱいいっぱいで。

ただ、私だけを見ているという言葉が欲しいだけで、でもそれもきっとわがままなんだろう。

私は何も不安を言わないくせに、黙って分かってもらおうなんて、そんな事ちかちゃんに伝わるはずがないのに。


プライドが邪魔して身動きが取れない。 

とても好きなのに、それを伝える事が恥ずかしくてたまらないのはなんでだろう。

自分の気持ちがうっとうしい。

もっと単純明快に、好きだと、離れられたら泣けてくると、そう言えれば、どんなに楽なんだろう。


恋愛ってものは面倒だ。

勉強をしたい。仕事をしたい。


「ゆうこ。ほんとに大丈夫か?」

「……早く家に帰って寝たい」

「あぁ、うん分かった」


ちかちゃんはそれ以上何も聞かなかった。

私も何も言わなかった。

二人の間には嫌な沈黙だけが流れて、私たちにはまだまだ距離があるんだと憂鬱になった。

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