番外:高校最後の体育祭②
ゆうこの綺麗な声で、“クラス対抗リレーに出場の方は、入場門にお集まりください”と聞こえて、俺は歩き出す。
「え、ユキ。リレー出んの?」
「うん。アンカー」
「うっそ、まじで! 恵子とビデオ録っとくわ!」
「なんだよ、ビデオって。じゃな」
よっこに手を振って、入場門へと向かった。
勝手にライバル視している篠宮はどうやら出ないらしく、少しつまらない。
最後にぶち負かしてやろうと思ったのにな。
アンカーのタスキを掛けて、トラックの内側に座り込む。
「「「…せーの。……ユ~キ~! 頑張って~!!」」」
まだ俺が走る番じゃないのに、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。
それにはぁっとため息を吐いて、実行席を見ると、ゆうことバチッと目が合った。
フッと笑いかけると、ゆうこが小さく手を振る。
ゆうこが見てるなら頑張るしかねぇよな。
とうとう自分の番になって、スタート地点に立つ。
俺のクラスはどうやら三位のようだ。
一位まで二人か。
それほどすごい差はついていないけど、アンカーはどれも強豪揃いだ。
体育会系の奴らばっか。
俺なんて部活もしてないし、正直体育くらいでしか運動はしてないから、どこまでいけるかわかんねぇけど。
先に一位と二位の奴らが走り出して、気持ちは焦りながらバトンを待つ。
バトンが近づいてきて、走り出す。
バトンをキャッチすると、無我夢中で走り出した。
手と足の動きなど気にすることなく、勝手に体が走り出す。
今日の朝、セットした髪は風でなびいている。
ゆうこ。
一位になったら今日一緒に飯食いに行こうって誘っていいかな。
お前がどれだけ忙しくたって、関係なく、声掛けるからな。
「ぎゃああああ! ユキーーー!!」
よっこの絶叫が耳の端で聞こえて、それに少し笑いそうになりながら、二位の奴を抜かす。
違うんだ。
俺の目標は、一位だ。一位しか意味がない。
手に勢いをつけて、早く! 早く! と地面を思い切り蹴る。
サッカー部の元キャプテンと横並びになった途端、歓声がどっと沸いた。
そいつをギリギリで抜いて前を走る。
そのまま、ゴールテープへと走りこむと、今日一番の割れんばかりの歓声が轟いた。
「――ゆうこ」
実行席の後ろから声を掛ける。
生徒会や体育委員の奴らが、一斉に振り返る。
俺とゆうこを交互に見て、びっくりしている。
ゆうこは俺を見て、穏やかに笑うと、席を立ちあがった。
「ちかちゃん、どしたの?」
俺の方へと近づいてきて、運動場の後ろのフェンスに二人でもたれかかった。
前を移動する生徒たちが行き交う。
みんながちらちらと俺たちの組み合わせを不審そうに見るのが分かった。
「さっきすごかったね。見てたよ。ちかちゃん運動神経いいの知ってたけど、それでもあそこまでとは。今日のMVPだね」
「別に。すごくねぇよ」
「ううん、すごいよ?」
ゆうこは俺の顔を覗き込んで、微笑むようにして笑った。
カッと顔が熱くなる。
ゆうこの前じゃ、余裕のある俺じゃいられなくなる。
他の奴らの前では普通に喋れるのに、ゆうこの前に立つと、急に何も喋れなくなる。
「お前、忙しそうだな」
「そうだね。競技ももっと出たかったんだけどね。一つしか出れなくて」
「ふぅん。何に出んの?」
「二百m混合リレー」
「へぇー最後の種目だな」
「うん。しかもアンカー」
「まぁお前運動神経いいからいいじゃん」
「でもああいう目立つとこ苦手なんだよね」
まるで似つかわしくない言葉が出てきて、少し苦笑する。
矢野祐子は、アンカーじゃないとふさわしくないと、全校生徒が思っているのは分かっていたけど、プレッシャーになりそうだから言わないでおいた。
遠くに篠宮と奈々子が歩いている姿が見える。
仲よさそうに笑い合いながら。
「ゆうこ。今日飯行くだろ?」
「え、あ、ご飯?」
……ああ。
俺って、なんでこんな言い方しかできないんだろうな。
もっと普通に誘えねぇのかよ。
「ご飯ってなに? 二人で?」
「二人は嫌かよ」
「あ、いや、そうじゃなくて。うん。それなら、行く、から」
「あっそ。じゃあ、またあとで」
「うんっ」
ゆうこは俺に手を振っていたけど、俺はそのまま自分のクラスへと戻って行った。
大きなため息を吐きながら。
クラスの席に戻ると、違うクラスの恵子もよっこも、同じクラスの山田もみんな勢揃いでわいわいしていた。
「お、ユキ! もうすぐ俺の愛しの矢野さんが走るんだよな~」
「はいはい」
山田が肩を組んでくるのを手でよけながら、椅子に腰かける。
リレーが始まって、アンカーのゆうこは赤いタスキをかけていた。
ゆうこは二位で順番を迎えるようだけど、一位とはすごく差がある。
これはどうやら厳しそうだな。
それでも、ゆうこが一位を抜けば、逆転優勝のようで、なんだかみんなが期待をした目で矢野祐子を見ていた。
あーあ。
ゆうこどうするよ。
「矢野さん、ファイトー!」
山田が大声を張り上げているが、たくさんの歓声でゆうこには届いていない。
走る寸前、ゆうことチラリと目が合ったような気がしたけど、たぶん気のせいだろう。
バトンを受け取ると、飛ぶように駆け出したゆうこは、本当に速かった。
さすがスポーツでも表彰されていることはある。
みんなが一瞬シンと静まり返って、ゆうこにくぎ付けになっていた。
細い足が地面を蹴るたびに、一位との距離が縮まる。
「矢野さーん!!!」
「矢野ちゃん、頑張れー!!!!」
……ああ。
そうだ。
ゆうこはいつもこうなんだ。
そして、やすやすとみんなの期待に応えて見せるんだ。
ゆうこがゴールテープを切る瞬間、耳を塞ぐような歓声が聞こえた。
「うおおおお!矢野さーん! 愛してるううう!!!」
山田が雄叫びのように叫ぶ。
ゆうこがバトンを空に掲げて、みんなにそれで手を振っている。
俺はゆうこの輝く姿を見ると、なぜか涙まで浮かんできて、慌てて席を立った。
校舎の裏へと小走りで進んでいく。
「はぁ……はぁ……くそ」
何がMVPだ。
お前じゃねぇか。
誰に聞いたって、お前って言うよ。
今まで実行席でずっと進行をしておいて、最後の種目で主役かっさらっていくのかよ。
ほんと、やってらんねぇ。
これが矢野祐子なんだ。
俺が三年間見てきた、好きな人の姿だ。
さっきゴールテープを切った、輝くゆうこの姿が何度も残像のように瞼の裏に走った。
叶わねぇ。
到底叶わない。
そんなに、そんなに、頑張ってどうすんだ。
お前は一人でどこまで走る気だ。
俺はそんなに先まで走れねぇぞ。追いついてやれねぇかもしれねぇぞ。
「ちかちゃん!」
心臓がドクンと音を立てた。
後ろを振り返ると、汗で前髪が額に張り付いたゆうこが少し息を切らして立っていた。
ゆうこから俺を追いかけてきてくれたのは、これが初めてだ。
「こんなとこまでどした」
「あ、あの、さっきの見てくれた?」
「……ああ、やっぱお前速いな」
「へへ。頑張った。ちかちゃんに褒めてもらおうかなと思って」
ゆうこははにかむように笑って、俺を見た。
可愛い。
俺はどうしていいかわからなくなって、くしゃっと顔を歪めた。
「俺より足の速い女はかわいくねぇ」
「ちかちゃんよりは速くないよっ」
「当たり前だろ、ばーか。お前が男だったら完全に負けてたわ」
「……でも、私は女だよ」
「知ってる」
「うん」
微妙な空気が流れて、息がしにくくなる。
ゆうこのさっきまでの英雄のような姿はすっかり消え失せて、もじもじと手を絡めていた。
「ゆうこ、お前あんまり頑張りすぎんな」
「……ふふ。うん。ありがとう」
ゆうこはぱぁっと花が開くように笑って、嬉しそうに頬を緩ませた。
何が嬉しいんだか、俺にはちっともわからないけど。
「今日のお前はMVPだよ、お疲れ。あとで一緒にお祝いしようぜ」
「そんなこと……っ。うん」
「俺、お前の閉会の挨拶楽しみにしてんだ。頑張れ」
歩いていく俺の後ろで、顔を赤くしたゆうこを見つけていたら、もっと早くなにか変わっていただろうか。
そのころの俺は、自分で精いっぱいで、ゆうこが落としたいくつものサインも、一つも気付いてやれなかったけど。
―――……
「――ちかちゃん」
「んー?」
「高三の時のさ、体育祭の写真出てきた」
「は? どんなん」
なぜかそれはゆうこの写真にまぎれて、俺の写真ばかりで。
俺はこんな写真、持ってねぇぞ。
「これさ、一枚百円で選択して買えたからさ、こっそりちかちゃんの買ったんだ」
「はぁ? なんだよそれ」
「ふふ。好きだったんだ。すごく」
ゆうこが遠くを見るような目をして、俺の肩にもたれてきた。
それに少し笑って、ゆうこの腰に腕を回す。
「俺の方が好きだった」
「ふふ。閉会の挨拶さ、大した事言わないのにすごく緊張したな」
「へ? なんで?」
「……知らないならいいよ」
ゆうこがツンとそっぽを向くから、俺はゆうこの腰を引き寄せて顔をこっちに向かせた。
怒ったような顔が視界に入って焦る。
閉会の挨拶の事なんて、俺は何も覚えていない。
高三の体育祭といえば、矢野祐子は相変わらずすごかったという印象しか残ってないんだ。
「矢野祐子はすごかったよな。みんなの憧れだった」
「私はあの時、よっこちゃんがうらやましかった。憧れたな。自由な彼女が」
「あ? なんでそこでよっこが出てくんの? ゆうこと接点あった?」
「もう、知らない」
ゆうこはとうとう本気でへそを曲げてしまったらしく、ゆさゆさと揺さぶる。
ゆうこを膝の上に乗せて、力いっぱい抱きしめた。
「好きだよ、ゆうこ」
「うん……」
目を見つめると、ゆうこは顔を赤くして、俺の唇に小さくキスを落とした。
そのまま、ゆうこは俺の首に腕を回して、ぎゅっと抱きついてくる。
「あの頃、あの運動場の中で誰よりもお前の事が好きだった自信があるけど、あの時よりもっと好きだ」
「うん。私も。ずっと好きになった」
瞼の裏に焼き付いている“矢野祐子”。
彼女は神々しいまでにかっこいい人だった。
「お前、最近また仕事やりすぎてんだろ。あんまり頑張りすぎんなよ」
「ふふっ、うん。ありがとう」
「あ? 何笑ってんの?」
「いや、好きだったなぁと思って。すごく好きだなぁと思って」
ゆうこが一層強く抱きついてきたから、背中をとんとんと優しく叩いた。
あの時と比べ物にならないくらい。
泣けるほど幸せなんだ。
おわり
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