番外:高校最後の体育祭①

むんとする湿気は減ったものの、まだまだ暑い十月。

そんな中で一日中運動場にいるなんて、正直気が滅入るどころの騒ぎじゃない。

最近は温暖化が進んでいるのだから、そろそろそういう事にも配慮して、十月じゃなく、もっと涼しい季節に変えるべきだと思う。

だるい気持ちを隠すこともできず、半そでの体操着に、ハーフパンツを履いて、外に並べられた椅子に座っていた。


「ねぇねぇ、ユキちゃん。そろそろ山田が走るよ」

「えー、あいつ走んの早ぇの?」

「知らなーい。でも、もし一位とったら、矢野さんに告るって宣言してたよ」

「はぁ!?」

「応援してやってよ」


だるさがぶっ飛んだ。

急に立ち上がった俺に、隣に座っていた恵子は楽しげに笑って一緒に立ち上がった。

 

山田がスタートラインに並んだのが見えた。

個人百m走。

いわば花形競技ともいえるそれだけど、みんなの興味はあまりないようで、それぞれが写真を撮ったり、話をしたりしている。

俺もその一人だったけど、今はそんな余裕なんてどこにもない。


よくよく考えれば、山田とゆうこが喋ったところなんて見たことがなかったし、山田が告ったところでゆうこが到底オッケーするとは思えなかった。


だけど、そんな考えは落ち着いてからやってくるもので、俺は必死になって山田に念を送っていた。

こけろ! こけろ! こけろ!

必死になって山田を見る俺に、恵子が隣でくすくすと笑う。

 

「ああー、山田残念。一位にはなれないな」

「は? なんで」

「えぇー、だってほら。見てみなよ。篠が一番コースにいるじゃん」


篠。

篠宮流。

その名前は、この学校で一番嫌いな奴の名前ではなかったか。

水無月が春に卒業して、嫌いな奴ランキングで一位に繰り上げられた野郎だ。

相変わらず涼しげな顔をしている。

今から走る気負いなんてまるで感じられないような、飄々とした態度。

気に入らない。

本当に気に入らない。

俺はあいつが生理的に嫌いなんだ。


山田!

絶対に一位になれよ!

わけの分からない思考はぐちゃぐちゃになりながらも、俺はスタートのピストルが鳴る音を聞いて、心臓がドクドクと音を立てた。


「きゃー! 篠、かっこいい!!」


おいおい、恵子。

お前が篠宮を好きなのは知ってるけど、露骨だなぁ、おい。

山田の応援はどうした。

しかし、運動場全体の歓声は一気に膨れ上がった。

そのどれもが女からの熱い篠宮コールだ。

篠宮の人気はそれほどすさまじい。


弓道部元部長、三年間期待のエースで、全国大会優勝、容姿端麗、成績優秀、サボり魔、女好き。

後ろ二つは何とも言えねぇけど……。

まぁそりゃ騒ぐわな。

俺の人気には負けるけどな。

胡乱気に見つめる俺の視界の中、篠宮は飛ぶように走る。


やはり予想通り、篠宮が余裕の一位をとった。

弓道の凛とした姿しかイメージになかったけど、走りも早かったのか。

何とも憎たらしい野郎だ。


山田は残念ながら二位だったようで、地団太を踏んで悔しい表情をしているが、別に二位でも告ればいいのにと冷静に思ったりする。

まぁ、俺が言える立場じゃないな。

俺は一位でもどうせ告れないし。


ゆうこを探すと、実行委員会が固まる前の方のテントで、何やら色々と打ち合わせている様子が見えた。

またまた頑張ってるねぇ。

ポニーテールの上に赤のハチマキを髪に巻いた姿は凛々しい。


生徒会長様は大変ですな。

俺とは違う世界だ。

恵子は俺にもたれかかりながら、「篠、超かっこよかったあああああ」と悶えている。

その後ろから、山田が泣きべそをかきながら戻ってきて、クラス中から笑いものにされていた。


俺とゆうこの世界は遠い。

ゆうこはコースの中に入っていくと、中にいた先生に一言なにかを告げてから、また実行席に戻ろうとする。

その途中で、一位の者が並ぶ場所に篠宮が座っているのを発見したようだ。

なにかを喋って、篠宮の肩をポンと叩くと、走って戻っていった。


二人は笑顔で、眩しくて。

以前、篠宮がゆうこに告白して振られて、篠宮にはもうとっくに後輩の彼女がいると聞いたけれど。

やっぱりどう見てもお似合いなんだ。

二人が一緒にいないのがおかしいくらいにお似合いなんだ。


カラッとした暑さが急にうっとうしくなって、席からおもむろに立ちあがった。

食堂に売ってあるスポーツドリンクを買って戻ってくると、篠宮と小さな女の子が喋っている姿を目撃した。

 

「さっき、すっごくかっこよかったです」

「ほんと? ありがと」

「はい、走ってるとこ初めて見ました。走るのも得意だったんですね」

「どうだろ。でも見られてたなら恥ずかしいところ見せなくてよかったな」

「ふふ。あの、あとでお弁当、」

「ああ、一緒に食べようね。すごく楽しみにしてる」


篠宮は大事なものにでも触るように、彼女の髪を優しくなでた。


「じゃあ、俺。部対抗リレー出るから行ってくるね。袴で走るから蒸れるよ、きっと」

「ふふ、応援してますね」 


そのまま、篠宮は後ろを向いて去って行ってしまい、彼女は篠宮の姿が見えなくなるまでじっと後姿に手を振っていた。

へぇ。

こんな子と付き合ってるんだ。

俺は興味本位で彼女に近づいてみた。


「なぁ」

「え?」

「篠宮と付き合ってんのってあんた?」

「あ、は、はい。小沢奈々子です」

「俺は、」

「麻生さんですよね。知ってます」


そういって、彼女はほんのりと笑って見せた。

なるほど、かわいい。

ゆうことはまるでタイプが違うし、俺の好みではないけれど。

 

「篠さんに用事でしたか? 彼なら、」

「篠宮とは仲良くやってんの?」

「あ、えっと、まぁ。はい。付き合いだしたのはそんなに前じゃないですけど」

「うん。あのさ、一個聞きてぇんだけど」

「はい?」


俺は、彼女に何を求めているんだろうか。

山田が一位という勲章に後押しを求めるように。

この彼女に何かの後押しを求めているのだろうか。


「篠宮って、すげぇ人気じゃん」

「あぁ、はい。そうですね」


彼女は素直に頷いて、にっこりと俺に微笑みかけた。


「どっちから告ったか知らねぇけどさ、勇気、いらなかったか?」

「……勇気」

「うん」

「……そうですね。いりました。でもそれは、相手が人気だからじゃなくて、自分が好きだからですよ。好きだったら誰にでも勇気がいります」

「……そうか?」

「はい。好きの気持ちが強いほど勇気がいります。私は、勇気、いりましたけど、でも、篠さんが欲しかったから」


何を俺は彼女に見ていたのだろう。

同じ人気者を好きな者同士、どこか親近感なんて湧いたりしちゃって。

でも、違うじゃないか。

彼女と俺は違う。


欲しいくせに、誰よりも好きな自信があるくせに、好きの一言も言えないだっせぇ野郎で。

彼女はこうして勇気を出して、篠宮が隣にいるんだ。


「まぁ、逃げたり、突っ張ったり、素直になれなかったり。色々迷惑かけましたけどね」


彼女はそう言って、とてもチャーミングな笑みを見せた。

いたずらをした後の子供のような。

とてもかわいく思えて、俺までつられて笑みを作った。


「いきなり聞いて悪かったな。篠宮と仲良くな」

「はいっ。麻生さんも頑張って」


彼女はパタパタと走って行った。

篠宮の部対抗リレーでも見るのだろう。


実行席の方へふらりと歩いた。

ゆうこはいつも忙しい。

とても忙しくて、俺の事なんてきっと視界の隅にも入らないのだろう。

ゆうこから会いに来てくれたことなんて一度だってない。

いつだって、俺がゆうこに会いに行くんだ。

そうしないと、ゆうこと喋る機会さえ、俺にはないんだ。

 

「矢野さんっ。全体で十分ほど進行遅れてますけど、どうします?」

「んー、そうだね。じゃあ、次の四百mの入場なくして、そのままこの場所から中に集まってもらって?」

「はーい」

「矢野ー。先生、ちょっと電話あって外すから頼むわな。ここの放送、代わりに頼むわ」

「最後のリレーまでには帰ってきて下さいね」

「はいはい、急ぐわ」


矢野祐子。

きっと学校で知らない人はいないだろう。

学校一の有名人は、学校一努力家だ。

学校行事になると、彼女に自由時間はなく、追われるように仕事をしている。

だけど、その時のゆうこは一段ときらきら輝いていて、俺はそれを見るのが好きだった。


実行席の後ろで、じっとゆうこを見つめた。

振り向かなくていい。

俺に気付かなくていい。

声が聴けるだけで、それでいい。

 

「ユキ!!!」

「……え?」


遠くから声が聞こえて、きょろきょろと辺りを見渡す。

それと同時に、ゆうこがいきなり振り返って俺を見た。


あ。

目と目が合って、少し時が止まる。


「ユキ! 来て!」

「はぁ? いきなりなんだよ、よっこ」

「借り者競争! これ! かっこいい人っていうお題!」

「俺かよ~」

「いいじゃん。ついでにお姫様抱っこでゴールしてくれたらまじ好きになる」

「じゃあ、やめとく」

「えぇ~!」


よっこと手を繋いで走り出す。

ゆうこはすでに俺を見ていた視線を外していて、机に並べられたプリントを見ていた。 

俺は走るのが遅いよっこの手を引っ張って、ゴールへと走った。


よっこがゆうこだったら、喜んでお姫様抱っこでもしてやったのにな。

“かっこいい人”っていうお題だったら、ゆうこは誰を連れて行くのかな。

篠宮かな。やっぱ。

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