番外:祐子のオルゴール

高二の秋。

ちかちゃんと出会って一年以上が経った。


「なぁ、ゆうこ」

「んー?」

「このオルゴールってそんな大事なわけ?」

「大事っていうか、あったら勉強に集中できるの。バックミュージックっていうか」


パカッと開くだけでオルゴールが流れる宝石箱みたいなオルゴール。

「星に願いを」が流れるそれは、勉強をする時のテーマ曲みたいなものだ。


「ふぅん。自分で買ったわけ?」

「え? ううん。水無月さんが出会った頃にくれたの」

「は!?」

 

ブレザーの制服を着たちかちゃん。

今日は珍しくネクタイをちゃんとしてる。

濃紺のネクタイは端正な顔によく似合っていて、それをじっと見つめた。

視線を上にあげると、ちかちゃんはそれが標準仕様なのかやっぱり怒った顔をしている。

いつもだいたいその顔をしてる。

一日に一回はそうやって眉間に皺を寄せた顔を見るから、それが普通なのかとさえ思えてきた。


「なんか怒ってる?」

「……別に」


顔をもう一度チラッと確認してから、視線をノートに移す。

微積分の問題はもう何度もやっているから、どのパターンが来てもすらすらと解けるようになった。

今度はもっと応用やるべきかな。

帰りに本屋さん行って参考書買ってこよう。

シャーペンを走らせていると、ちかちゃんがオルゴールの蓋をこれ見よがしにバタンと閉じた。


「どうしたの? うるさかった?」

「俺は集中できねぇから」


集中出来ないって言うけど、……ちかちゃんグラウンド見てただけじゃん。

ちょっと文句を言いたくなったけど、少し笑ってノートに顔を戻すと、ちかちゃんがこれでもかってくらい私をじっと見ていた。


その視線に気づいていたけど、何を怒っているのか分からなかったから、知らない振りをして勉強をする。

ちかちゃんは十分経っても、二十分経っても、まるで私のまつ毛の一つ一つを確かめるみたいにじっと見ている事がある。

最初はすごく気になって勉強にも集中できなかったけど。


好きな人に見つめられても緊張しないくらいには一緒にいるのに慣れてしまった。

だけど、やっぱりちかちゃんを好きな事には慣れないままだ。

毎日ドキドキする自分が嫌になる。



「ゆうこ。……矢野さん」


教室の扉の方から声が聞こえてそちらに自然と目をやる。

私の前に座っていたちかちゃんも同じように視線を動かしていた。


そこには私の元カレ、水無月さんがいた。

 

「あれ? どうしたんですか」


別れてから数ヵ月。

学年が違うからほとんど会う事もない。

たまに移動教室の時とかに会うと挨拶は交わすけど、連絡を取り合ったり、一緒にご飯に行ったりすることはなくなってしまった。


相変わらずどこかの貴族みたいに上品で優雅な佇まい。

こういう綺麗なところが好きだったな。

それから水無月さんから聞く星の話がとっても好きだった。

「星に願いを」の曲は水無月さんを思い出す。

今教室に鳴っていない事にどこかほっとした。


席から立って水無月さんに近付いて行く。

ちかちゃんはそんな私の様子を黙って見ていた。

水無月さんは教室の中に踏み入れてこようとはせずに、扉に手を置いて立ったままじっとしている。


「久しぶり」

「はいお久しぶりです。なんかありました?」

「うん。大学がね、決まったんだ」


大学。

高三の水無月さん。

今三年生は受験勉強真っ最中だ。


もう決まったの?

東大に行きたいって言ってたのにな。

東大ならまだ少し先の話だと思うけど。


「もう決まったんですか?」

「うん。カナダの大学に行く事になった。そこはオーロラの研究をしててさ、ずっとしたいと思ってたんだ」

「オーロラ」

  

水無月さんは星が大好きだった。

天体望遠鏡も展望ドームも持っている彼はとてもお金持ちで、星にかけている費用も半端じゃなかった。

確かお父さんも星の研究をしている人だった。

地学が大の苦手だった私だけど、今では天体の分野は大好きになった。

この人のおかげだ。


「そこに入れてもらえる事になった。四月からはカナダに行く」

「そうなんですか。水無月さんらしいですね」

「ふふ、オーロラには音がするっていう説があるんだ。僕はその音を聞いてみたい」


いつも冷静で理知的な彼が星の話をする時だけ、きらきらと輝いた少年のようになる。

やっぱり話をしてみると、水無月さんは私の好きだった人だと認識する。

今でもすごくこういうところが好き。

 

「オーロラの音かぁ。いいなぁ、ロマンチック」

「うん。きっと音がするって証明してみせるよ」

「私も負けないように受験勉強頑張ります」

「嬉しくてそれだけを言いに来ちゃった。邪魔してごめん。勉強頑張って」


返事をする暇もなく、彼は照れたような顔で去って行った。

見送ってから机に戻ると、ちかちゃんが相変わらずグラウンドを見つめたまま、じっとしていた。


水無月さんには背中を向けたまま。

話を聞いていたのかどうかはわからない。

ちかちゃんはあんまり水無月さんの事が好きじゃないっぽいからなぁ。

確かにタイプが違いすぎて仲良くなれそうにはない。


「あいつ……、今でもゆうこの事が好きなんだな」

「……え? そうかな? 今は違うんじゃない?」


そんな雰囲気を見せない水無月さんだから、違うと思うけど。

首を傾げていると、グラウンドから私に視線を移動させたちかちゃんが少し馬鹿にしたように笑った。


「好きなんだよ、お前の事が」


ドクっと心臓が跳ねる。

違う。

今のはちかちゃんの気持ちじゃなくて、水無月さんの気持ちだ。

そんな事十分分かっているのに、動揺する自分が恥ずかしい。

これがちかちゃんの気持ちだったらどんなに嬉しいかな。

 

「んー……そうだとしても、もう別れてるから」

「じゃあ、このオルゴールも捨てろよ。未練がましく置いてんじゃねぇよ」

「未練があったらこんな風にそばに置いてないよ」


はっきり告げると、ちかちゃんは訳が分からないと首をひねって携帯をいじりだした。

ちかちゃんの真っ黒の携帯には、ずっと一つだけストラップがついてる。

ミニーちゃんの小さなプラスチックの人形がついたストラップ。

それに深い意味を考えてしまうのは仕方ないと思う。


「ちかちゃん」

「んー?」

「そのストラップどうしたの? もらったの?」

「ああー……これはいつかな。んー多分中学の時の元カノがくれたかな」

 

中学。

という事は、もう二年以上も携帯に付いているらしい。

元カノっていうそれだけのフレーズに胸が痛む。

元カノって響きはあんまり好きじゃない。

大事なもののような感覚がしてしまう。

ちかちゃんが元カノを大事にしていたのかもしれないと思うと胸が壊れそうに痛い。


「ずっと付けてるって事は未練あるの?」

「いやねぇよ。何となく可愛いから付けてるだけ」

「ふぅん」

「さっきお前が言ってたじゃん。未練があったらそばには置かないって」

「男の人は違うかもしれないもん」


気持ちを隠しているくせに思わず唇を尖らせて拗ねた口調になってしまった私にちかちゃんが笑う。

今度は馬鹿にした感じじゃなくて、楽しそうに。


「なんだよ、それ。都合いいな」


私の筆箱を勝手にかさかさと探って、そこからハサミを取りだすと、チョキンと迷わず紐の部分を切り落とした。

 

「……え?」

「……お。ナイスっ」


そのままためらいもなく、それをゴミ箱に投げ入れる。

ガサッと音がして見事にゴミ箱に入った音がする。

ざくざくと心臓が刺されるような音が聞こえた。

罪悪感が胸の内に広がる。


「そろそろ汚くなって来てたしな。実際くれた元カノの名前も覚えてねぇし。って何言い訳してんだろな」


すっきりした携帯をしばらく眺めて、ズボンのポケットに直したちかちゃんは、そのまま窓の外に視線を移した。

耳に開けられたピアスがきらきらと光る。

私が拗ねたから捨てたのかな。


そう思うと、嬉しい気持ちと気まずい気持ちが交差する。

なんで切ってくれたの?

そんなのされたら期待しちゃうよ……。


でもやっぱりちかちゃんがためらいもなく切ったのが嬉しくて、私は閉じられたオルゴールをじっと見つめた。

これを捨てる事はできないけど。

でも、私はちかちゃんだけを想ってるよ。

伝わってほしいようで欲しくないような微妙な気持ち。


理由は至極簡単。

ただ勇気がないだけなんだ。


「今時ロマンチストなんて流行んねぇよ」


オレンジ色のグラウンドを見ながら、ちかちゃんがぽつりと呟く。

何の事を言っているのかさっぱりわからない。

首を傾げる私に視線をよこして、またグラウンドに戻した。


時間が流れる。

オレンジ色から青色に変化してきた頃に、ちかちゃんは立ち上がる。


「俺そろそろ帰るわ」

「あ、私も帰ろうかな」

「ふぅん」


表情の読めない顔をしてちかちゃんは、ぐーっと伸びをする。

鞄の中に教科書を詰めていると、ちかちゃんがまたぼそりと呟いた。


「オーロラの音ってなんだよ。かっこつけやがって」

「え? 水無月さんの事?」


ちかちゃんから返事はなかったけど、どうやらそうらしい。

後ろを向いてたけど、話は聞いてたんだな。

よっぽど苦手なんだなぁ、あの人の事。

ああいう真面目なタイプは受け入れられないのかもしれない。

 

「明日双子座流星群らしいよ?」

「へぇー」

「一緒に見ない? 夜ちょっとだけ家出るから」

「……まじで?」

「うん。興味ない?」

「あー……」

「興味なかったら私見とけばいいよ。綺麗だよ、多分。あはは」


冗談を言ったつもりだったのに、どうやら盛大に失敗したらしい。

しーんと静まりかえった教室が気まずくて、鞄に乱暴に筆箱を詰め込んで、チャックを閉めた。

鞄をかついで立ち上がると、ちかちゃんが私をじっと観察するように見ている。


「な、なに?」

「お前、今の冗談のつもりだったわけ?」

「え、うん。当たり前じゃん。本気で言ってないよ」

「うん、やめておけ。お前の見た目で言うとマジで冗談に聞こえねぇからやめとけ……」


はぁっとため息をついて歩いて行くちかちゃんに早足でついていく。

廊下を歩きながら、細い割に肩幅のある背中をじっと見つめた。


「明日の夜、原付で迎えに行ってやるよ」

「え!? ほんと? 嬉しいっ」


隣に並んで歩きながら喜ぶ私に、ちかちゃんがほんのり笑みを浮かべる。


「あ、でも原付はダメだよ。二人乗りできないもん」

「真面目か」

「真面目って言うか……危ないよ」

「ああー……じゃあチャリで行くよ」

「自転車も二人乗りは……」

「真面目か」

「だってぇ……」

「うるさい。いいじゃん、別に。けちけち言うなよ。絶対速攻車の免許取ってやる……くそ」


なぜかぷりぷり怒って歩いて行くちかちゃんの隣に慌ててついていきながら、抑えきれない笑みを必死でこらえた。

チラッと横目でちかちゃんを見ると、バチッと目があってしまい、慌てて目を逸らす。


「こっち見んなよ、はげ」

「えぇーはげてないよ」

「知ってるわ、ばぁか」


暴言を吐き続けるちかちゃんの隣を歩ける事がなにより幸せだった。

流れ星が流れたら気持ちも伝えられるかな。

……無理かなぁ。

いつか、溢れるくらいのこの気持ちを言えるといいな。


おわり

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