番外:結婚後の二人 ゆきちかSIDE①

「ただいま、ゆうこ」

「……うん。おかえり」


扉ががちゃっと開いて、エプロンをつけたゆうこがお出迎えをしてくれる。

それににこっと笑って、俺がかぶっていた帽子をふざけてかぶせたのに、ゆうこは無反応でその帽子を自分の頭から取って、リビングへと向かった。


元気ない?

首を傾げながら後ろをついて行くと、スープのいい匂いがしてきて頬がゆるゆる上がる。


「今日ご飯なに?」

「ハンバーグだよ」

「まじで? さんきゅ、ゆうこ」

「うん。もう焼いても大丈夫?」

「おう。腹減ったからすぐ食べる」


いつもより声のトーンの低いゆうこは冷蔵庫を開けて、ハンバーグを取り出すと、フライパンに火をかけて焼き始めた。

部屋に入って部屋着に着替えて出てくると、部屋中にいい匂いが漂っていて、手を洗って椅子に座った。


目の前に二人分のご飯が並べられていくのをじーっと見ながら、料理をしているゆうこをまじまじと見る。


ああー綺麗。

家で見ると慣れてしまうけど、事務所でゆうこを褒められたり、外で他の女の人を見ると、やっぱりゆうこはかなり綺麗な事を思い知る。

俺にはほんともったいない。

ハンバーグとサラダとほかほかのご飯が置かれて、後はスープを温め直してお椀に注ぐだけになった。


「………あつっ」

「どうした!? やけどした!?」


キッチンの中に入ると、ゆうこはスープが手にかかったらしく、親指をくわえて熱がっている。


「何してんだよ、ばか。ほら早く水に」


そう言って、ゆうこの手を強引に掴むと、ぶんっとすごい力で払われた。

その拍子で俺の手は宙にぶらぶらと浮いて、所在のなくなった手を呆然と見つめる。


「………え?」


びっくりして声があげると、ゆうこがハッとなった顔でごめんと謝った。


「ごめんね。なんかぼーっとしててびっくりして」

「いや、いいけど。ほら、水で流せ」


水道をじゃーっと流すと、ゆうこは素直に手をかざしてしばらく冷やしていた。

俺は隣でそれを見ているからか、ゆうこは照れくさそうにごめんねともう一度謝った。


俺はそれよりもさっき手を振り払われた事がどうも気になっていて、ぼーっとしていてそんな風になるのかなと首を傾げたけど、それ以上聞く事もできなくてただゆうこの手を見つめた。


その後二人でご飯を食べたけど、ゆうこの手はそんなにひどくはならなかったみたいで、氷で冷やしてやりながらご飯の後片付けは俺がした。

携帯が鳴り響いて、俺の携帯だと知る。


「ゆうこ。ちょっとごめん。電話出てくるわ」

「……はぁい」


携帯を持って寝室に入って電話を出る。


「もしもし。ああ、うん……大丈夫。多分明日家寄れるかな。うん……ゆうこにはバレないようにするから。はい。じゃあまた明日」


電話を切った瞬間、扉の向こうでガタガタと音がした。

ゆうこかな?

今の聞かれた?

扉をガチャリと開けると、そこにゆうこはいなくて、リビングまで戻ると、ソファに座っていた。


ん?


「…ゆうこ? どうした!?」


肩を震わせて、両手で顔を隠しているゆうこは、泣いているように見えた。

なぜなのか分からないけど、恐る恐る近付いて行くと、手の隙間から大粒の涙がぽたぽたとゆうこの太ももに落ちる。


「ちょ、え!? おい、ゆうこ。なんだよ、どうしたよ」


わけわかんない。

ゆうこが泣いているのを見たのは結婚騒動以来だ。

あんまり泣くタイプじゃないゆうこがいきなり泣いているのを見て、思わず眉をひそませた。

ゆうこの足元にしゃがみこんで、下から覗きこむ。

手をゆっくりとはがすと、綺麗な顔を歪めてぼろぼろと涙を零していた。


「やだ。見ないでぇ……」

「ゆうこ? どうした」


泣くと舌たらずになるゆうこにじわじわと愛しさが込み上げて来たけど、抱きしめたいのを必死に我慢してゆうこの手をきゅっと握った。

能天気に可愛いなんて考えていた俺は、まさか泣いている理由がそんな事だなんて思いもよらなかったんだ。


「ち、ちかちゃんが、モテるのは分かってるし」

「ん? ん? どした?」


いきなり話しだしたゆうこに眉をひそませる。

一体何を話したいのか分からない。


「別に結婚したからって安心したわけじゃなかったけど、でもそんなひどい事するなんて思いもよらなかったし……っ」

「ひどい事ってなに? よくわかんねぇんだけど」


だんだんゆうこが俺の事で泣いてるんだと気付いて、鼓動が速くなる。

一体何に泣いてんだ。

俺が何を悲しませてんだよ。

ゆうこは下唇を噛みしめるようにしながら必死に涙をこらえている。


満足に喋れないくらい嗚咽が込み上げて来ていて、それを見ただけで辛くてこっちまで泣きたくなった。

横隔膜が限界まで震えているのか、おおげさに肩を震わせてだんだんあごがガクガクと揺れている。

なんでそんなに泣いてんだよ、ばか!

思わずぎゅうっと抱きしめると、いやいやをするようにゆうこは身をよじらせた。


「離してよ、ばかっ」


ぐいっと強い力で押し返されて、キッと睨まれると、とうとうやるせない気持ちがいっぱいになって頭をくしゃっとかきまわした。


一体何が起こってんだよ。

俺が電話した間に何かあったのか。


「ちょっと外出てくるっ。何が悪いか考えて頭冷やしなよっ。最悪離婚も考えてるから!」


最後の言葉にガツンと頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚える。


え。

今なんて言った?

離婚?

そんな言葉がゆうこから出たせいで、心臓が異常にバクバクと響く。

手がぶるぶると震えて、現状についていけない俺は、ただゆうこの変化に怯えてた。


まじで勘弁しろよ。

お願いだから、そんな事冗談でも言うなよ。

そう思ってから、冗談で泣きながらあんな事怒鳴らないだろうと気付いて、ふっと我に返る。


その時にはもうゆうこは家を出ていて、必死に追いかけたけど、エレベーターが降り始めたところだった。


「くそっ………」


なんなんだよ、まじで!

意味わかんねぇよ!

電話を何度鳴らしてもゆうこはもちろん電話には出ないし、やっと到着したエレベーターに乗り込んだけど、一階に降りてももうゆうこの姿はなかった。


どこに行ったんだろう。

実家かな。

離婚というフレーズが頭にこびりついて離れない。

追いかけて探す前に、涙がぼろっと一粒零れ落ちて、自分のあまりの弱さに笑いが込み上げてきた。


「ふふ……やべぇ………情けねぇ…くそ」


何も自分は悪い事をしていないはずなのに、ゆうこを傷付けたってだけで胸が抉れるような痛みを引き連れてくる。


いてぇよ、まじで。

心臓のあたりをぎゅうっと抱きしめて、はぁーっと大きく息を吐いて、車に乗り込んだ。


まず実家だな。

意を決して車を出して、実家までたどり着いた。

夜だったら十分程で着くゆうこの実家。

ピンポンとチャイムを鳴らすと、ゆうこのお母さんがのんきに顔を出した。


「あれ? ゆきちゃん。どうしたの」

「あ、あの。ゆうこ来てない?」


お母さんのとぼけようから言って、ゆうこがここに来てる事はありえないなと思いながらも一応聞いておく。


「いや来てないよ。何かあったの?」

「うーんなんか家出されちゃって」

「ふははは。ゆきちゃん何したのよぉ。まぁどうせあんたたちの事だからすれ違ってんでしょ」

「はぁ……それだったらいいんっすけどねぇ。すんません夜にいきなり」

「多分ゆうこなら会社じゃない? あの子辛い事があった日は会社にこもって仕事するくせがあるのよ」

「あ、ありがと。行ってみるわ」

「あと、明日よろしく頼むわねぇ」

「はいはーい」


ゆうこのお母さんは余裕なのかひらひらと手を振ると、それにおじぎをして車に乗り込んだ。


会社。

会社にいるのか。

もう一度電話を鳴らしたけど、ゆうこはやっぱり電話に出なくて、とうとう電源さえ切られてしまった。


もう。

心臓痛いんだよ!

あんまり俺苦しめんなよ、ゆうこ。

俺お前がいないとまじで無理だよ。

もうゆうこのいない生活なんて考えらんねぇよ。


また泣きそうになったのを必死にこらえて、仕事先まで車を走らせた。

会社の正面玄関の前で車を停めて、エントランスまで歩いて行く。

でも、そこには警備員が入っていて、立ち寄れる気配はない。

仕方ない、呼んでもらうか。


「あの、すみません」

「はい」

「ここで働いてる麻生祐子の、えーっと、……夫なんですけど、麻生祐子ここにいませんか? もしいたら呼びだしてもらえませんか?」


妻がいるかどうかも分からないのかと訝しげな視線が送られたけど、それに困ったように笑うと、受付の電話を使ってゆうこの部署へと電話をかけてくれた。


「お疲れ様です。受付ですー。麻生さんっていらっしゃいますか? ……はい、はい」


いるのか?

いてくれ、ゆうこ。

俺と話をさせてくれ。


「あ、麻生さんですか? はい、いやちょっと呼びだしが入ってましてね。旦那さんだと思いますよ。……分かりました、伝えておきます。失礼します」


会社の中の社員には愛想のいい警備員は電話を切ると、俺をやるせない顔で見た。


「麻生さん、奥さんおられましたよ。仕事があるから帰れないとの事です。伝えてくれと言われました」

「あ、はい。そうですか。分かりました」


ぺこっと頭を下げて、エントランスを出た。

花壇に腰かけて、携帯を握る。

もう一度電話をかけるけど、相変わらず電源が入っていないらしい。


「なんなんだよ、まじで。もう~~……」


意味がわかんねぇ。

けど、心臓だけがドクドクと跳ね上がって、気を緩めると涙腺が崩壊しそうになる。

ずっとエントランスの前で待っていると、一時間ほどしてゆうこが出てきた。

座りこんでる俺を見つけてハッと目を見開くと、小走りで寄ってきた。


「ちかちゃんっ。なんで!? ずっと待ってたの?」

「なんだよ、悪ぃかよ」

「そうじゃないけど……っ」


もごもごと話しだしたゆうこの手を引っ張って、自分の胸に埋める。

今度は大人しくおさまって、そのうちまた肩を震わせて泣きだした。


「ゆうこ。どうした? なにがあったか話せ。話してくんないと説明もできねぇよ」

「………私、ちかちゃんが好きなの」


その言葉一つで、心臓がドンとうるさい音を立てる。

離婚という言葉でビビっていた自分に、今の言葉で全身の力が抜けるかと思った。


はぁーっと大きく息を吐いてから、ゆうこの後頭部を優しく撫でてやる。

そうすると、ゆうこはゆっくり俺の体から離れて、真正面から俺の顔を見据えた。


「俺も好きだよ。なにがあった? ゆうこ」

「あの……ちかちゃんがモテるのちゃんと分かってるし、その、芸能人なんだから浮気の一つくらい許さないといけないのかもしれないけど」

「ちょ、ゆうこ? 何言って……」


えぇ? 浮気?

混乱する俺の目の前で、ゆうこはぼろぼろとまた涙を流して、また横隔膜を震わせるようにひっひっと嗚咽をあげて泣き始めた。

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