番外:結婚後の二人 小山洋美SIDE

私は芸能事務所で働いている。

そのうちは芸能人のマネージャーもさせてもらえるらしいけど、今はまだ事務所の雑用ばかりだ。

うちは基本的にモデルが多く在籍する事務所で、そこから俳優になったりする人もいるが、最初はモデルからという人がほとんど。


その分、在籍する芸能人は顔がとんでもなく綺麗で小さくて、スタイルも抜群にいい人たちばかり。

その中でも、うちの事務所の一番は二年以上前からユキの独走だった。


ユキとは、雑誌モデルでデビューをして、異例の速さで表紙を飾って、本屋の半分の雑誌の表紙を何度も飾った事があり、話題になった。

その人気を見込まれて、テレビに多く出演して、そのうちドラマの主演をするほど人気になった。

それだけ聞けば、ただの大人気俳優のデビュー秘話で済むだろう。

でも、彼は日本中が驚く事をしでかした。


ドラマがまだ放送されている中、いわゆる他の女性とのスキャンダルなどご法度だ。

しかも、今は人気がまだうなぎ上りに上がっている最中で、まさかスキャンダルで好感度を落とすわけにはいかなかった。

彼のとても大事な時期だったのだ。


そんな中、一般の女性との結婚発表をしたのだった。

本当に異例の事態だ。

業界の色んな人が大慌てした。


ドラマの制作サイドもそうだし、その前に熱愛報道がされたMIZUKIの事務所もそうだし、もちろんうちの事務所だって当日は大忙しだった。

彼はまだ歳も二十三で若く、結婚適齢期には程遠い。


結婚しない芸能人が多い中、女性とタッグを組む刑事もののドラマに出ながら、二十三の若さで一般人と結婚する大人気俳優などいるはずがなかった。

しかも彼女は妊娠しているわけでもなく、それなら時期をもう少し遅くするのが普通なはずだ。

結婚した俳優はやっぱり女性ファンが減る。

それを臆さず結婚し、異例のおのろけ記者会見をしたユキ。


人気がなくなるとびくびくしていた事務所を裏切って、そのあと、ユキは抱かれたい芸能人一位にのぼりつめ、結婚したい芸能人など様々な部門を総なめにした。

それから二年が経った今も、ユキはずっとその位置を譲っていない。


そして、彼はドラマのロケなど断れないスケジュールを除くと、全て夜の七時までに仕事を切り上げるスケジュール調整をしていた。

結婚をして二年もずっとそのままだ。


それは彼が奥さんとの時間をとても大切にしているからというシンプルな理由だった。

そんな事さえも彼は全て思い通りにできるほど数字や人気を持っていた。


「おーい、ユキちゃん。契約更新の紙持ってきました?」

「あ。忘れたぁ……昨日ハンコ押したのに忘れちゃいました。すんませんすぐ取りに行きます」


マネージャーがユキと話をしている。

事務所との契約更新の書類は今日までが提出期限だ。

それを忘れたらしかった。

まぁ彼は多忙を極めているし、そうなってしまうのも仕方ないと思うけど。


「えぇーでも取りに行くってあと三十分後には事務所でてロケ行くんですよ? 往復してたら間に合わないですよ」


困ったようなマネージャーにユキがはぁっとため息を吐く。

ぽりぽりと頭をかいて、携帯を取り出した。


「分かりました。持ってきてもらいます。多分奥さんが家にいるんで」


そう言うと、男三十歳の独身マネージャーはユキの奥さん初めて見る!!! と大喜びで書類の事などどうでもいいみたいだった。


「いやいや、見せないっすよ」

「えぇーユキちゃん。そんな事言わないでさぁ」


事務所の人間も話を聞いて少しそわそわしているのが分かる。


だって、ユキの奥さんだ。

あのユキが骨抜きになった奥さんだ。

みんな興味があるはずだった。

私も見てみたい。


「あ、ゆうこ? 今何してる?」


ユキが部屋の隅で電話をかけている。

みんなが耳を澄ませて聞いているのが分かって笑いそうになる。


「じゃあ今大丈夫? うん、あのさ、契約の書類家に忘れちゃってさ。悪いんだけど持ってきてくんない? 休みの日に悪い。いい?」


ユキが機嫌を取りながら話しいてるのを見て唖然となる。

彼は口数が少なく、ぶっきらぼうに話す事が多くて、こんな風に優しく喋っているところは初めて見た。


それはみんなも同じように、まさかユキがお願い事をするなんて。

あんなに下手に出て、可愛らしく。


「ありがとう、ゆうこ。待ってるわ。うん。ごめんな。タクシーで気を付けて来いよ」


彼は電話を切ると余韻に浸るかのように、きゅっと目を閉じて携帯を握っていた。

しばらくしてそわそわとしだした彼をマネージャーは面白そうに眺めている。


私はみんなにお茶を配りながら、その状況を楽しんでいた。

そのうち、受付が「ユキさんにお客様です」という声がかかって、ユキは事務所を飛び出して行こうとした。


「あ、ユキちゃん。ちょっと僕にも紹介して下さいよ。ここに連れて来て下さいよ~」


マネージャーが手をすりすりしながらお願いをしている。

ユキははぁっとため息を吐いて、ちょっとだけですよと呆れたように声を零した。


受付に入ってもらうように伝えたマネージャー。

しばらくして女の人が一人、封筒を抱えながら事務所に入ってきた。



………ああ。

思わず溜息が零れた。


綺麗な人。

黒髪できりっとした印象があるけど、唇はピンクで目は潤んでいる。

きりっとしているのに、柔らかくて、優しそうで。

絶妙なバランスの人だった。

イメージで言えば、冬の雪景色の中に咲いている椿のような。

真っ白な中にある、綺麗な赤のような、華やかさ。

一際輝きながらも、楚々として上品で、とても賢そうに見えた。


「ゆうこ。ごめんな。こんなとこまで来てもらって。これありがと」


奥さんはユキを見てにこっと笑うと、封筒を素直に手渡した。

マネージャーがユキの後ろからチラチラと見ている。


「こんにちは。いつもユキがお世話になっています。マネージャーさんですよね? いつもユキからお話はうかがっています」


ぺこっと優雅に彼女が頭を下げると、マネージャーは顔を真っ赤にして「とんでもない!」と大声を出した。

確かに男の人が無条件で顔を赤くするほど綺麗だ。

その様子にユキが呆れている。

彼女がモテるのはもう慣れた事なのかもしれない。


「ゆうこ。今日家にいんの?」

「ん? うん今日は掃除しようと思って」

「そっか。今日も八時には家に帰るから悪いな」


そう言って、彼女の髪を柔らかく撫でたユキはとても幸せそうで、彼女を愛しているのが伝わってきた。

二年経っても、彼の盲目ぶりは変わらないらしい。


「いいよ。頑張ってきてね。待ってる」


可愛くそう告げると、彼女は仕立ての良さそうなロングコートを翻して事務所から出て行った。

ユキはその飄々としたかっこいい姿を顔を赤くしながらしばらく見つめて。


そのあと、慌てて彼女を追いかけて走って行った。

これだけ見ていると、ユキが一方的に好きな印象さえ受ける。


実際そうなんだろうか。

あたふたしているのはユキの方で、奥さんは優雅に微笑んでいて余裕そうに見えた。

タクシーを拾うところまでついてやるつもりなんだろう。


テレビに出ている時はとてもクールで二枚目を気取ってるのに、奥さんの前ではああなるんだね。

なんか意外。


いや、結婚会見の時に十分分かってたけど、それでも好きなんだなぁってのが伝わってくる。

事務所のみんなもそう思ってるのかさっきからみんなが若干ふわふわしていて、その雰囲気におかしくなった。

みんな何だかんだでユキが幸せなのを嬉しそうにしている。

いい事務所だなぁと思った。


ごみを捨てに行くために事務所を出ると、ユキと一緒に歩いている奥さんの姿があった。

ユキは大事そうに奥さんの手をしっかり握って歩いている。

今時カップルもあんまり手繋がないよねぇ、それもちょっとの間だけなのにさ。


二人は大通りに向かって歩いている。

話し声が聞こえてきて思わず耳を澄ました。


「ねぇ、ちかちゃん。仕事先のちかちゃん見れてよかったよ」

「そうかぁ? みんなじろじろお前の事見てたな」

「まぁちかちゃんの結婚相手が誰か気になるんだよ。私だってただのファンだったら気になるもん。今日も家に帰って録画してるちかちゃんのドラマ見てるよ」

「恥ずかしいから見なくていいって」

「ふふふ、キスシーンとかあったら嫌だからやっぱやめとこうかな」

「何言ってんだよ、ばか」


ユキは嬉しそうに彼女の髪に触ると、愛おしそうな視線をまっすぐ歩いている彼女に向けた。

その視線は、誰が見てもそんな視線を向けられたいと思うような温かいもので。


あんまりにも幸せそうで、ユキの仕事の原動力は奥さんなんだなぁと思い知らされる。

最近ほんと頑張ってるもんね、結婚会見で言ってた事も、週刊誌におのろけ会見って書かれた事も全部ほんとだな。これは。

よっぽどベタ惚れらしい。


微笑ましいものを見たなぁと思いながら、事務所に戻るとユキが少し後で戻ってきた。


すぐその後、マネージャーにからかわれている。

美人な奥さんがうらやましいのか、いいなぁいいなぁとマネージャーは何度も連呼していて、ユキは苦笑しながらもまんざらでもない様子だった。

やっぱり美人な奥さんを披露できてうれしいのかもしれない。

あんまり紹介する機会とかも芸能人だったらないもんねぇ。


ユキはその後、撮影も絶好調でほとんどワンテイクで終わらせる集中力を見せてその日の撮影は予定よりも二時間早く終了した。

これも奥さんパワーなのかなぁ。

そんな事を思いつつ、友達と遊びに行く予定があった私は、ユキと帰り道が一緒な事に気付いた。


「あれ、小山さん今日俺ん家方面なんすか?」

「そうなんですよ、今日は友達の家に遊びに行くんで」

「じゃぁ、タクシー一緒に乗ってけばいいですよ。ついでだし」

「ほんとですか!? ありがとうございます」


ぺこっと頭を下げると、ユキはあんまり表情を変えずに、いいえと丁寧に返事をしてくれた。


外のユキはクールで、澄ましたような涼しげな顔で。

微笑む事はあっても、あんな風に優しい表情をする事なんてない。


奥さんに見せるようなあの視線も笑顔ももちろんない。

外でのユキはこんな無愛想なんだぞと、奥さんに告げ口したい気になった。

多分ファンの人たちは、ユキがあんな顔を奥さんにするって分かったらショックだろうなぁ。

ちかちゃん……かぁ。

なんて思いを馳せながら、ロケ現場を後にした。

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