ゆきちか2023

ただ生きてるだけで

愛しいと思う

馬鹿みたいに

好きで好きで

自然を装って

触れることさえできない

――――――――――――


いつもの拓也さんのバーに行ったら、珍しく拓也さんが客にちょっかい出してるから珍しくて、俺は能天気にそれを笑ってみてた。

どれだけ近付いても気付かないほど、俺とあいつの距離は遠くて。

まさか酔って潰れた女性がゆうこだなんてこれっぽっちも思わなかったんだ。


だから、あいつの肩を叩いて、「んー……」と色っぽい声が聞こえた瞬間、ぞわぞわっと鳥肌が立って気付いた。


ばかゆうこ!

このままだったら、拓也さんに持ち帰られるとこだったんだぞ!

拓也さんが本気で手を出そうとしていたのかどうかは知らないけど、どっちにしてもだ。


酔ったらキャラが変わるタイプなのか、甘えてきやがるし、他の男にもこんな事をしてたのかと思うと、嫉妬でおかしくなりそうだった。

ゆうこを抱っこしながら、車の後部座席に乗せて、どうしていいか分からなかったから俺の家に連れ帰った。


ゆうこの家は知っているが、べろべろのゆうこを連れていくのもどうかと思うし。

逆に心配させる気がするし。

一応ゆうこの親には、ゆうこの携帯から友達の家に泊まりますなんて無難なメッセージを送っておいた。

勝手に携帯触って悪いけど、他は触ってないからな。


ベッドに寝かせると、ゆうこはまた色っぽい声を出しながらすやすや眠ってしまった。

ほんっと疲れたんですけど!

俺飲みに行ったのに飲んでないし!

しかもなんか疲れてるし!


あっ、それにゆうこが飲んだ分の金払ってない!

いっぱいいっぱいで忘れてた……。

しかも我を失って、拓也さんに色々さらけ出した気がする。


ああー。やべ。

明日払いに行こう。うん。

そして謝りに行こう。


それにしても、あいつほんと一体どれだけ飲んだんだよ。

溜息を吐いて、ベッドで寝ているゆうこを見る。


タイトスカートのスーツを着たまま眠っているせいで、スカートはずりあがってふとももが丸見えだし、白いカッターシャツはなぜか第二ボタンまであいていて、覗いたら見えそうな雰囲気だ。

なに考えてんだよ! 俺!

覗くとかむりむりむり。

でもこいつまじでいい加減にしろよ!

エロすぎだから!!


普段きっちりしてる奴だから、余計にいやらしく感じるし!

俺がこいつの事好きじゃなかったら、絶対手出してたね!

絶対だぞ!


そんな事思ってても、本当はできなかったんだろうけど……。

はぁ。


きっと俺、もしゆうこが俺の事好きだったとしても、その上ゆうこが起きてたとしても手が出せない気がする。

俺報われねぇな。


ベッドの横に腰を下ろして、気持ち良さそうに眠っているゆうこの寝顔を見る。

思わず目を瞑る。

無意識だ。

俺の頭と心は、ゆうこを焼きつけようと必死で。

何度も眠っているゆうこを目に映しては、目を閉じて思い出せるようにする。


馬鹿みたいだ。

何してんだほんと。

でも、この家にゆうこがいて、眠っていて、しかも幸せそうに。


「ふっ……っ……死ねっおれ……くそっ」


一生手に入らない人はどう扱えばいいんだろう。

一生会えないなら忘れられるのかな。

でも、どうしても視界に入るならどうしたらいい。


どうして諦めればいい。

新しい恋をすればいいのか、それとも時間が経つのを待てばいいのか。

そんな究極の選択肢でさえ薄っぺらく感じる。

だって誰かとてきとうに付き合ったって、またこうして偶然ゆうこに会えば、俺の気持ちなんて一瞬で引き戻される。


ただ、俺の目の前で眠っているだけで、こんなにも涙が出てくるなら。

ただ、ゆうこが、息をして、生活をして、飯を食べてると想像するだけで、こんなに愛しく思うなら。

もうどうしようもないじゃないか。

きっと誰も、勝てない。

誰も……俺の中のゆうこに勝てない。


どうしたらいい。


「……………くしゅんっ」


背を向けていた後ろで可愛らしいくしゃみが聞こえて、後ろを振り返る。

まだ眠ったままのゆうこに少し笑って、布団を肩までかけてやる。


さらさらの髪に指を差し込む。

指の隙間からさらさらと落ちて行く髪をじっと眺めた。


綺麗な黒い髪。

傷みを知らない綺麗な黒。

俺も今は地毛だけど、高校の時は染めたせいでやけに嘘臭い真っ黒になった。

それでもゆうこは、俺の髪を見て、嬉しそうに綺麗と喜んだ。

それだけで染めてよかったなんて、心底思った。


あの頃から全く成長してない。

成長なんて出来るわけがないんだ。


これ以上ゆうこを見ているとまた涙が込みあがってきそうだったから、目を逸らしてソファに沈み込んだ。


タオルケットをかけて目を閉じた。

でもどうしても眠れない。

眠れないのは分かってたから別にいい。

ただ、明日ゆうこが目覚めたとき、どういう態度を取ろうとか、なんて話をしようとか、そんな女々しい事ばっかり考えてしまう自分が嫌だった。




――何か気配を感じて目をゆっくり開けると、視界いっぱいにゆうこの顔が映っていて一気に眠気が覚める。

ソファで寝ている俺のそばで、まじまじと俺の顔を見ていたらしいゆうこ。


先に目が覚めていたらしい。

起きると思っていなかったのか、焦ったように手をわたわたとさせている。


「あ、えと、ちかちゃん、おはよ、う」

「……近い」

「……ごめんなさい」


いつの間にか明け方眠りについていたらしい。

昨日色々とゆうこへの対応を考えていたくせに、結局無愛想にしかできない。

それは性分だから仕方ないと思うしかない。


「ゆうこ、今日仕事は?」

「あ、うん。ある」


今はまだ朝の六時半だ。

俺、まだ二時間も寝てねぇ。


「二日酔いにはなってねぇのか?」

「………うん。大丈夫。昨日はごめんなさい」


沈んだように謝ってくるのを見て、ふうっと息を吐いた。


「昨日のことは覚えているのか?」

「うーん、断片的に。あのバーになんでちかちゃんが来たのか分からないけど」

「たまたまだよ。俺の行きつけなんだよ、あそこ」

「そっか。ちかちゃんがいてくれて良かった……」


多分きっちりした優等生タイプのゆうこは、昨日の失態は恥ずかしい事この上ないんだろうと思う。


俺は別にああいうゆうこもいいと思う。可愛かったし、愛おしかった。正直ゆうこであればなんでも可愛い。

今も可愛い。


「ちかちゃんは」

「あ?」

「今日、仕事?」

「ああ、うん仕事」


そう言うと、下唇を噛みしめてうつむいてしまったゆうこ。


なんだ?

こいつの考えてる事はいつも解読不能だ。


「どうした」

「……ううん、何でも」

「じゃあそれ噛むな」


きつくそう言って、親指でゆうこの下唇を下げてやると、かぁっと顔を赤らめて立ちあがってしまった。


怒ったのか?

そう思ったけど、ゆうこは立ちあがって部屋をうろうろしてから、また俺の近くに腰を下ろした。


「なぁ、お前さ。失恋したの?」


気になってた事を口にすると、ゆうこは信じられないものを見るような目で俺をじろじろと見てくる。


「拓也さん、バーのマスターから聞いた。それで酔いつぶれたって」

「あーえっと、うん」


目が泳いでいる。

傷ついてるのか?

失恋相手ってあの鈴木とかいう会社の奴しかいないだろうけど。


先週俺に鈴木と間違えて電話してきていた。

あの時は仲が良さそうだったから、ほんと最近失恋したのか?

やけ酒を飲んでたってことは、昨日振られたとことか?


ゆうこに俺はもう一度口にする。


「だから失恋したのかって聞いてんだよ」


寝起きでも可愛いゆうこは、俺の問い詰める視線に耐えきれないのかすぐに目を逸らしてくる。

そんなに傷ついてんのかよ。

むかつく。

俺なら絶対ゆうこを振ったりなんてしないのに。


「失恋っていうか……うん、そうかなぁ。失恋かも」


悲しそうに笑うゆうこ。

そこで何度か見た男のさわやかな顔が浮かび上がってきて、胸がかぁーっと熱くなる。


可哀想に。

可哀想で涙が出てきそうになる。


「辛いのか?」


ゆうこをじっと見ると、皺の寄ったスーツを伸ばそうとぐいぐい引っ張っている。

辛いのを必死にごまかそうとしているゆうこがいじらしくて、愛しくて。

思わずその手を掴んで、ぎゅっと握ると、ゆうこが顔を勢い良く上げて俺と視線を合わせた。


「忘れられるまで俺が会って遊んでやるから。な。元気出せよ」


ぽかんとした顔をしているゆうこに、ぷいっと顔を逸らす。

そんな顔でさえ愛しくて、白い頬を撫でたい気持ちになったのを必死に封じ込めた。


「だめだよ」

「……なにが」


いい返事が返ってこないから、怒った口調になってしまう。

本当は俺が会いたいだけなのに。

それが否定されたら怒るなんて、どうしようもなく子供だ、俺。


「ちかちゃんと会っても、……忘れられないよ。忘れる事なんてできない…」


まだ六月。

入社してから二ヵ月しか経っていないのに。

そんなに鈴木が好きなのか。


水無月と同じだ。

俺はまた置いてかれる。

俺だけ恋愛対象に入らないまま、どんどん置いていかれて、途中から出てきた奴に持ってかれるんだ。

ゆうこにどうやったらそこまで想わせる事ができるのか、誰か教えてよ。


モデルじゃ無理なら、俺もっと頑張るし。

勉強は無理かもしれないけど、それ以外なら何でも頑張るのに。


「…………早くそいつの事忘れろよ」

「うん。ありがとう」


ゆうこが朝っぱらから辛い顔なんてするから、俺はいつものように怒る事さえできずに彼女の頭にぽんと手を乗せた。

その後すぐ家に着替えに帰ると言ったゆうこを車で送って、仕事に向かった。



―――――そうして今、またも懲りずにゆうこの会社の前で待っている。

今日は車から降りて、花壇の前で待ってみた。

座り込んで、帽子を目深にかぶって眼鏡をかけていると誰も気づかないもんだ。


まぁこんなところにいるわけないもんな、普通は。

携帯をいじりながら待っていると、正面玄関からゆうこが出てくるのが見える。

今日は飯でも連れていってやろう。

前、仕事の人と行っておいしかったフレンチでもいいな。


じっと見て待っていると、なぜかゆうこの横にはあの男が並んでいて、二人で喋りながら外に出てくる。


「今日も疲れたね仕事」

「そうですね、残業お疲れ様です」

「今日軽く飯でも行く? おいしいとこ知ってんだ」

「ああー、そうですね。えっとでも今日は……」


困ったような顔をしているゆうこと男をじっと眺めた。


なんだよ、あの男。

ゆうこを振ったくせに何でまだ誘ってんの。

ゆうこが困ってるだろうが!

まじむかつく。足がとっさに動き出した。


「帰るぞ」


そう言って、ゆうこの手を引っ張り、鈴木から距離を取らせる。

ゆうこは俺を見て、口に手を当ててびっくりしていて、隣を歩いていた男も俺に振り返る。


「お前、ふざけんなよ。ゆうこにちょっかい出すんじゃねぇよ!」

「………は?」

「ゆうこは俺の大事な奴なんだよ! 次手出したら殺すからな」


啖呵を切っても男は何も言い返してこずにただじっとしていて、同じく呆然としているゆうこの手を引っ張って車に連れ込んだ。

助手席に乗せて、俺は運転席に回る。

その一連の動作をゆうこはじっと見ていた。


「なんだよ、文句あんのかよ」


俺の言葉にも、ゆうこは何も言わずにただ前だけを見ていた。

焦点が合っていないようにも思うゆうこはぎゅうっと鞄だけを握り締めて、微動だにしない。


「もうこれで忘れられるだろ。辛くなんかなくなるから」


慰めるように言葉を吐いたのに、それと同時にゆうこの瞳からぼろぼろっと勢いよく涙がこぼれた。

ほとんど頬を伝わずにすぐにゆうこのスカートに染みを作る。

声もあげず、呼吸も荒くせずに、ただほろほろと涙を流す。


その姿があまりにも綺麗で、俺は思わずごくっと唾を飲み込んだ。


「な、なに泣いてんだよ……」


くしゃっと髪をかきまぜて辛い気持ちをごまかす俺に、ゆうこは追い打ちをかけてくる。


「忘れられるわけなんてないよ。………忘れられない。私、一生忘れられない!」


涙を拭おうともせずにただ前だけを見ているゆうこ。


痛々しくて。

可哀想で。

考えるよりも先に手が出た。

右手を後頭部に回して引き寄せる。

軽くこっちに寄ってきたゆうこの背中を左手でぐいっと支えて、抱きしめた。


どくどくと俺の鼓動がうるさい。


「……泣くなよ」

「……ふっ………うぅー………ひ、…………」


泣きやみそうにないゆうこの髪に指を差し込んで、髪を揉むように撫でた。

ゆうこの不規則な吐息が俺の首に当たる。

大きく息を吐いて、鼓動を落ち着けるのに精いっぱいで。


いつ拒まれないかとびくびくしながら、背中をやんわりと撫でつけた。

少しして、俺の考えを見透かしたかのように、ゆうこが俺の胸をぐっと押してくる。

そして、俺たちの間に少し隙間が空いて、お互いの顔を見つめ合う。


「ごめん、ちかちゃん。彼女いるのに迷惑かけて。ごめんね、ほんと。もう大丈夫だから」


彼女?

誰に?

もしかして俺?


え?

彼女って誰の事だよ。

ゆうこはさらに俺から離れようとするけど、呆然とした俺は手の力を緩める事が出来ず、いまだ密着したままだ。


「……彼女ってだれ?」


ぽつりと問いかけると、ビクンっとゆうこが肩を揺らす。


「え? 彼女いるでしょ?」

「だから誰? 俺しらない」

「え、だって、テレビで見たもん。………MIZUKI?」

「…………………、ああ」


やっと納得できた。

なるほど。

ていうか、ゆうこは俺にあの報道からずっと彼女がいると思ってたのか?

聞けよなぁ。てっきりテレビとか見ないと思ってた。


「俺、彼女いないけど」

「え? うそ」

「うそじゃない」


まっすぐゆうこを見ると、顔を赤らめて見られるのを嫌がるように俺の胸にぼすっと顔を埋め込んだ。

背中の服をぎゅっと掴まれる。

あれ? 抱きつかれてる?

さらに俺の鼓動がドキドキしてくる。


おい。

おいおい、やめろよ。

そんなとこに顔付けたら俺の心臓の音丸聞こえだろうが!!


俺の心配とは裏腹に、しばらくゆうこはそのままじっとしていて、落ち着いたのか少しして起き上がると至近距離で俺の顔を見た。


ぷるぷるのゆうこの唇に目がいってしまうのは仕方ない。

うるうるさせてる瞳に釘づけになるのは仕方ない。

いい香りがする。

シャンプーかな。

ていうか俺こんなにゆうこと近付いて奇跡じゃね?


もういいや。

ここで一生分の奇跡使っても別にいい。


「……もうちょっとだけこのままでいていい?」

「え?」


そう言って、ゆうこはなぜか俺の背中にぎゅっと両腕を回してもう一度抱きついてきた。


正直俺は何も考える事ができなくて。

ただ可愛すぎて。

愛しすぎて。

こいつまた酔ってんじゃないかとか考えて。


また情けなく涙も零れ落ちそうで。

そして、意味の分かんねぇ事を呟いてしまった。


「……俺にしとけばいいのに」

「え?」

「へ? ……………あ…………えっと、ああー………………俺に、……俺に、しとけよ」


心臓が痛すぎてそろそろ死ぬかもしれない。

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