ゆうこ2019

会いたいと

すきだと

想う溢れる気持ちを

精一杯隠して笑った

でもあなたは

そんな私の小さなプライドを

恥ずかしく思うくらい

素直に怒ったね

ごめんなさい

――――――――――――


卒業式を明日に控えた放課後。

この日は高校生活で最後の放課後だった。

私は大学の入試が卒業よりも後にあるせいで、まだ勉強に明け暮れている毎日だ。


一次試験もいい成績が取れたし、多分受かる事ができるんじゃないかとホッとしている。

そう思いながらも、気持ちだけ焦っていて、この日も時間を惜しむように勉強をしていた。

寝る間も惜しんで勉強をしていたくせに、恒例の時間がやってくると手を止めて笑顔を作ってしまうのだ。


「ちかちゃん、おいでよ」


彼はいつもと同じように、私の教室の入り口でただじっと私を見ている。

三年間ずっとそうだ。


私を見て一体何があるのか知らないけど、もしかしたら勉強の邪魔をしてはいけないと気を使っているのかもしれない。

彼はほのかに笑ってこっちに近づいてくる。

最初よりも随分と歩くのが早くなったと笑いそうになる。


「何だよ、機嫌良さそうだな」

「うん。これで放課後が最後かと思うけど寂しいけど、楽しかったなぁと思って」

「ああー、……そうだな」


いつもは怒ったように反抗するくせに今日は照れ臭そうにしながらも肯定してくれた。

きっと最後だと分かっているからだろう。


それに軽く微笑んで、彼の顔をじっと見た。



たったそれだけで。

涙が零れそうになるのは。


きっと私が。

彼を好きになりすぎてしまったんだろう。


ただ、彼が私の周りにいない人間だったから好きになったわけじゃない。

そんな簡単な理由じゃないんだ。


しつこい男につきまとわれたら追っ払ってくれたし、友達ができないと悩んでいたら精一杯相談に乗ってくれて、性格のいい子を教えてくれた。


周りからのプレッシャーがしんどいと言えば、自分がしんどい思いをしてガソリンスタンドで稼いだ給料で、ファミレスのご飯をおごってくれた事もある。

そんなちかちゃんが形成する全てを好きになったから。

好きになってしまったから。


だから私はこんな決断しかできなくなったんだ。



「もう卒業だな」

「うん。そうだね。寂しいね」

「んー……まぁな」


いつもよりしんみりしてしまう放課後。

それは気のせいなんかじゃなかった。

ちかちゃんは黒くなった綺麗な髪から覗く漆黒の瞳で校庭を見ていた。


夕日に照らされて瞳がきらきらと輝いて見える。

整った顔がどことなく寂しいと語っているように感じた。


「今日、さ……」

「うん?」


勉強の手を止めて、ちかちゃんを見ると、私の顔をちらっと見てから真顔になる。


ん?

真剣な顔も綺麗だなぁと思いながら、恥ずかしくて直視できずに目を逸らしてしまう。

あまりにも整った顔に見つめられるのは恥ずかしい。

自分の顔にそんな自信ないし。


「今日、この後……飯でも行くか」


落ち着いて誘われたのは初めてだった。

いつもは怒っているか、無愛想にしながらでしか誘われた事がなかったから。

一瞬で顔を赤くしてしまった私は、シャーペンをぎゅうっと握りながらうつむいて、ノートを見る振りをした。


「うん。……行く」


無愛想に映ったかもしれない。

でも、顔を見ていると、夕日のせいにできないくらい顔が真っ赤になったのがバレそうだったから。


「ゆうこ食べたいものは? お前が行きたいとこでいいよ」


珍しく優しいちかちゃん。

何でもない言葉のやりとりの一つ一つに涙が流れそうになる。

何度も瞬きをして、不規則になりそうな呼吸を落ち着かせて、無理やり楽しんでいる振りをした。

そうじゃないと。

だって、もう会えない苦しさに耐えられなかったから。


彼は私の机に置かれているオルゴールのねじをぐるぐると回す。

ギィギィとゼンマイが音を立てて行くのを、静かな教室で二人で聞いていた。

私の机には一年の時からオルゴールが置かれていて、たまに気分転換でその音を聞く。


イライラしている気持ちを落ち着かせてくれたり、それを聞きながらだと勉強がはかどったりするせいで、放課後はずっとそれを机の上に置いているのだ。

毎日自分で回していたそれをちかちゃんが来るようになってから、自分で回さなくてもよくなった。


定番曲の“星に願いを”が流れてきて、それをバックミュージックにしながらお喋りをしたり、勉強をしたり、校庭を一緒に眺める。

今日も案の定ゼンマイを回して、綺麗な宝石箱のようなそれが音を奏で始める。

オルゴールの繊細な音が今までの思い出を全部連れてきて、泣きそうになる。



「なぁ、卒業しても会えるよな」


私の心の内を見抜いたかのような言葉に、ハッと息を飲む。

私がびっくりした顔をしたからか、ちかちゃんは怒ったように「なんだよ」と呟いた。

夕暮れが差し込むオレンジの教室がこんなにも寂しいものだと思ったのは、今までで初めてだ。


「ごめんなさい。ちかちゃん」


頭を下げて謝るから、ちかちゃんは目を丸くして私を見た。

そして、その後すぐに眉間に皺をよせて、情けない顔をしてみせる。


悲しんでくれてるの?

ごめんなさい。本当にごめんなさい。


「ごめんなさい。もう会うつもり……ない」


それを言葉にした途端、ちかちゃんがひゅっと息を短く吸いこむ音が聞こえる。

その音に、胸がきゅうっと締めつけられる。


本当はこんな事したくない。

私だって、卒業してからも定期的に会って、ご飯に行ったり、ドライブに行ったり、そんな日常が送りたかったのに。

そんな事もできないくらい好きになってしまったの。

私が悪い。

私が叶うような人じゃないのに、気持ちばっかりが募って期待して、がっかりして。


それの繰り返しに疲れてしまったの。

いつだって怒っているような、愛想の悪いちかちゃんに。

報われ無さが嫌になったの。

だから、根性のない私はあなたから逃げて遠い地で好きな勉強をする事に決めたんだ。


「なんでもう会えないんだよ」


ちかちゃんには遠くの大学を受験することなんて言ってない。


フリーターを選んだ彼が、受験や入試に興味がないのは明らかで、高三になっても一度も進路の話が上がる事はなかった。

大学に進学するとは言ったけど、どこの大学に行くんだと聞くほど彼はその分野に興味がなかった。


「………ごめんなさい」


頭を下げて謝ったけど、下唇を噛みしめて涙をこらえるのでいっぱいいっぱいだった。


「なに、お前。意味分かんねぇし。もう会いたくないって事は、今までの放課後も俺も全部うっとうしかったのかよ。それだったら最初からはっきり言えや!」


見当違いの事を言って怒り出すちかちゃんに、思わず顔を上げる。


「違うの! そうじゃないの!」

「もう会いたくないってそう言う事だろうが! なんか他に理由があるなら言ってみろよ!」

「あの……………」


黙ってしまう私に、ちかちゃんはガタンと席を立ちあがる。

その顔は怒りと悲しみが混ぜられたような苦しい顔をして私を見下ろしていた。

それでも眉を下げて、口元を下げて、今にも泣きそうな顔をしているのは。


多分私が女だからだろう。

怒るのを手加減してくれているのだろうと思った。


「ははっ。もうお前なんか知らねぇ。一生会いたくない」


色を失った顔で、諦めたように話すちかちゃんをただじっと見上げた。

最後に見る顔があんなに悲しそうな顔なんて。

そう嘆くのは間違いだ。

自分がそう決めたんだから。

彼から逃げたんだから。


「ごめんなさい」


うつむいて同じ言葉しか言えない私に、ははっと乾いた笑いが降ってくる。


「俺、お前に嫌われてたんだな。悪いな気付かなくて。……………それならそうと早く言えよ!!」


怒鳴りつけて、綺麗な音色が鳴っていたオルゴールを手でバンっと払った。

机の下にガシャンと大きな音を立てて落ちたオルゴールは、もう音を鳴らす事はなかった。

壊れたんだろう。


机を蹴り飛ばして教室を出て行く彼が、扉のところで一度私を振り返ってじっと見てきた。

それをじっと見返すと、下唇を噛みしめて扉をバンっとすごい勢いで閉められた。


もちろん嫌ってなんてなかった。

でも、それを否定してどうするのだろう。

彼に好かれようとしてどうするのだろう。

もう自分は彼から逃げて一生会わないと決めたつもりのくせに、今更弁解しても仕方ないと思った。


どうせ本当の理由なんて言えないのだから。


でも、今涙が出てしまうのは仕方ない。

だって、好きで好きで仕方ない。

ちかちゃんの顔を思い浮かべるだけで、目に涙が溜まっていく。


「うぅ~……ふっ…っ、……うぅー……ぅわーん…」


涙がぽとぽとと落ちて、ノートに書かれた文字を滲ませた。

そのノートにいつの間にか書かれた見たことのない落書き。

それを見つけて、びっくりする。


今日書いたものなのだろうか。


『勉強がんばれ』


その文字に、ぶわっと涙があふれて、ぼろぼろっと大粒になってノートに染みを作った。


ごめんなさい。

最後に傷付けてごめんなさい。

優しい彼を傷付けてごめんなさい。


私が勉強をしているのを本当に楽しそうに見ていてくれたの。

応援してくれたの。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


「すきだったの……っ…………ぅう」


放課後の教室で用務員さんが見回りに来るまで泣き続けた私は、卒業式当日腫れた目で出席した。

生徒会長をつとめた私は、卒業式の答辞も任されていて、壇上に立って生徒たちを眺めた。


そこにちかちゃんはいなかった。

本当にあれが最後になったのだ。


「本日は私たち卒業生のために、このような盛大な卒業式を開いて頂いたことを、卒業生を代表して心から感謝いたします。寒い日も暑い日も、雨の日も、雪の日もこの校舎に通い続けた私たち。今日は、毎日通い続けた道もいつもとは違い、噛みしめるように歩いてきました。三年という月日は長いように思いますが、まだまだ卒業したくないという気持ちでいっぱいです」


会場を見渡しても、そこに想い人の姿はない。

それだけでつまらないと思う私に、こんな文章を読む資格なんて到底ない。

彼と高校で出会わなければ、こんなに高校生活が幸せになんてならなかった。

毎日ちかちゃんに会うために学校に来た。


「暖かい日差しを浴びながら受けた授業、みんなでストーブに集まった休み時間、椅子を集めて食べたお昼ご飯、部活や勉強など思い思いに過ごした放課後、………っ」


そこまでを読み終えた時点で、今までのきらきらした放課後が浮かび上がってきて思わず涙がじわっと溢れてくる。


あの夕日の差し込むオレンジの教室。

あそこにはいつも愛しい人がいた。

会場のみんなが私を見ているのに、あの人はいない。


それだけでこんなにも寂しいのだから、私は冷たい。

こんな時に、女友達一人の顔も浮かんでこない。


息を整えて続きを話そうと思った瞬間、体育館の入り口の黒幕が光を差す。

そこから息を切らして走ってきたちかちゃんを見つけて、ぼろぼろっと涙が流れた。


別に卒業式という雰囲気で泣いたわけじゃなかった。

ただ、ちかちゃんを見れただけ。

それだけだ。


「矢野さん頑張れ」と卒業生から声がかかったけど、私は言葉にならなくてただ彼を見つめた。

寝坊してきたのだろう彼は状況を察したのか、口パクで「ゆうこがんばれ」と囁いた。


それにこくっと頷いて涙を拭いて、答辞を最後まで読み切る。

盛大な拍手をもらえてなんとかなったけど、彼はもう自分の席に着いて友達とこそこそと会話をしていた。

卒業式が終わって、写真を撮る時にはもう彼はいなくて、あれが彼と顔を合わした最後になった。


その後、遠くで一人暮らしを始めた私は、彼が表紙を飾っている雑誌を見つけてビックリすることになるのだけれど。


ちかちゃんがモデルを始めたのは、卒業式から半年も経っていなかった。

私はその雑誌をまだ捨てられない。

くしゃくしゃに皺の寄ったその雑誌で。


私が見れなかった彼の満面の笑みを。

惜しみなく見せているのだから。

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