ゆきちか2017
まっすぐ
清らかな彼女を
壊してしまいたいとは
思わなかった
ただ、見てるだけ
そばにいられるだけで
本当によかった
――――――――――――
いきなり事件は起こった。
不謹慎にも俺にとっては嬉しいだけの事件だった。
高二の梅雨の時期。
いつも通り放課後のゆうこの机の前に腰掛ける。
この時間が一日で一番好きだ。
ゆうこと初めて出会って一年弱が経とうとしていた。
ただ、ゆうこは水無月が部活の無い日はさっさと帰ってしまうから、週に二回ほどしかこの時間はない。
その週に二回を俺は欠かしたことはなかった。
どんな友達との約束も平気ですっぽかしたし、どんなに可愛い女に誘われたって平気であしらった。
「ゆうこ。お前なんで最近毎日教室いるんだよ。あの彼氏は?」
最近週に二回だったはずが、毎日教室で勉強しているゆうこ。
それを少し不思議に思っていた。
それはもう二週間前から毎日の出来事で、俺はもちろんゆうこを見つけると、欠かさず2-Aに入りこむ。
質問にゆうこはノートから少し顔をあげて、困ったように気持ち程度笑ってみせた。
困ったように笑う時のゆうこは、口の両脇に綺麗にしわを作って、きりっとした目元が少し垂れる。
……可愛い。
儚くて綺麗なこの女は、笑ったらすごく可愛くなる。
誰にもこの笑顔を見せたくない。
そんな俺に、何よりもな朗報。
「別れたよ」
透き通ったその言葉に、思わずゆうこの顔を見る。
いつも直視できないのに。
ゆうこは俺の視線に困ったように、目を逸らしてノートに視線を戻した。
またペンを持って綺麗な字を紡ぎ出すその手を思わずぎゅっと握った。
その時がゆうこに触れた初めてだった。
出会ってからもう八ヵ月。
八ヵ月も経ってようやく初めて触れる事ができた。
初めて触れたゆうこは、柔らかくて、それよりもただ泣きそうになるほど嬉しかった。
俺が掴んでいる手をじっと見る。
細くて真っ白な手。
ゆうこの手だ。
好きだ。
マジで好きだ。
この手から伝わってゆうこの中に、気持ちが溶け込めばいいのにとほんとに願った。
「まじで白いな。折れそう……」
その言葉にゆうこはなぜか、かぁっと顔を赤くして俺に掴まれた手首をじっと見ていた。
静かな空間に、俺の鼓動ばかりが響いて恥ずかしくてたまらない。
聞こえてんじゃねぇの?
ゆうこに俺の鼓動が聞こえたから、顔を赤くしたのか?
そんなありえない事を思って恥ずかしくなった俺は、ぶっきらぼうにその手首を離した。
本当はそのままの方が良かったけど。
ただ勇気がないへたれだっただけ。
「なんで別れたんだよ。ていうかいつ?」
ようやく当初の話題に戻る事に成功する。
水無月との話題なんて聞きたくなかったから、今まで避けていたけど、俺と会っている時も何かに悩んでいたのか?
深刻な顔でゆうこを見つめるけど、ゆうこはごまかすようにへらりと笑ってみせた。
「別れたのは2週間前くらいかな。理由はちょっと言いたくないけど……」
その顔が悲しそうに沈んだのに、しつこく突っ込んでしまった。
「お前が振った? 振られた? どっち」
不躾な質問にも、ゆうこはただにこっと笑う。
「私が言ったの。もう付き合っててもだめだと思ったから。すっごくわがままで最低だなぁって自己嫌悪してる。今でも思ってるけど」
そう言って、眉を下げたゆうこ。
一体二人に何があったのか知らないけど。
「じゃあゆうこはもうあいつの事好きじゃねぇの?」
「……そうだね。それが別れた理由だから」
またノートに向かってしまったゆうこのつむじを少し見つめて、校庭が見える窓に視線を移した。
ゆうこがこんなに落ち込んでるのに、俺は……。
どうしても嬉しいとしか思えない。
水無月を好きじゃなくなったと言ったゆうこ。
あんなに非の打ちどころのない男を好きじゃなくなったという事は。
俺の事を好きになる可能性なんて、さらにゼロに近づいたに違いないのに。
矛盾をはらんだ喜びを、俺は素直に嬉しいと喜んだ。
「ああー……まじ俺どうしよう」
「ん?」
悶々とした呟きに反応したゆうこは律儀にノートから顔を上げる。
「何でもねぇよ。ていうか勉強しろよ。あ、それか俺がお前の邪魔してんのか?」
「ふふ。ううん、この時間楽しいから好き。とっても楽しい」
あまりに綺麗な笑顔で言うもんだから、俺は例外なく顔を赤くして席から思わず立ち上がる。
ばっかじゃねぇ、こいつ。
こんな事言われて落ちない男がいるなら会ってみたいね!
それで、こいつを好きにならない方法を教えてほしいわ!!
死ね!
俺が死ねよほんと!
「俺帰るわ!」
そう言って、教室の扉へと駆けだす。
嬉しさと、この火照った顔を誤魔化すために。
「うん。また明日」
「……っおう」
また明日と、矢野祐子に言ってもらえる。
それがこの八ヵ月毎日のように通い詰めた成果だ。
水無月はどれくらいでまた明日と言ってもらえたのだろう。
ゆうこが水無月と付き合ったのは、入学してたった二ヵ月での出来事。
どう見ても、俺は水無月に勝てないのを分かっていた。
でも、そんな水無月はもういない。
一筋の光がさした気がしたんだ。
それは俺の自信過剰にすぎなかったんだけど。
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