ゆうこ2016

出会った日の

あなたは

金色の頭で

整った顔で

私に近づいてきたんだ

最初に近付いたのは

あなたなんだよ?

――――――――――――


彼を初めて見たのは、高校一年の秋だった。

私はその時毎日が色んな事で忙しかったし、やりたい事も両手で余るほどにあったせいで、学校の事にみんなほど興味がなかった。


そのせいで、その日偶然出会った素敵な名前の彼が、学校でひどく有名な人だと知ったのは随分経ってからだった。

それがちかちゃんだった。



でも私には彼氏がいた。

素敵な彼氏が。


苦手だった地学の勉強をしようと図書館で星座の本を見ていると、声をかけてくれたのが水無月さんで、彼は本当に分かりやすく星について話をしてくれた。


彼は博識で、でも鼻にかけるところがなくて、とてもさわやかでスマートだった。

一つ上の彼と付き合ったのは、まだ高校一年の六月だった。


水無月さんと、クラスのわずかな女友達としか交流を取っていなかった私には、ちかちゃんの存在を知ることができなかった。


女友達は毎日のように彼の勇姿や武勇伝について騒いでいたらしいのだが、私は興味がないと思ったのかその話をされることは一度もなかった。

今になって思えば、彼の信者をこれ以上増やしたくなかったのかもしれない。



でも、私とちかちゃんは出会ってしまったんだ。



あの日、初めて出会ったちかちゃんは、私の周りにいる全ての人と違った。

あまりにも整った綺麗な容姿で、だるそうに話すその姿は、かっこよくて、垢抜けている人だった。


“ゆきちか”という名前がとても好きで、本当はゆきちかと呼びたかったけど、怒られそうだったからちかちゃんと呼ぶ。

放課後度々訪れる彼だけど、私は暇つぶし程度の存在なんだろう。

彼の周りにはいない真面目な人間が物珍しいのかもしれなかった。

それでも、彼と過ごした高校卒業までの放課後の時間は、高校生活を思い出すとまず一番に浮かんでくる。


宝箱を開けた時のような幸せなわくわくした気持ちになれるその時間が、何よりも好きだった。



――ちかちゃんと初めて出会った次の日。


「ゆうこ。はよー」


彼が朝から階段の踊り場でたまっている派手なグループの一人だと気付いたのは、彼と出会った次の日だ。

いつもは目を逸らして通り過ぎるそこから声がかかってきたものだから、すごい勢いで振り返った。


そこには、紙パックのジュースを口にくわえたちかちゃんがいて、こっちを見てにこりと笑ってくる。



「あ、ちかちゃん。おはよう」


私も微笑んで挨拶を返してから、階段を上って彼らの集団から離れた。

階段周りにいた登校中の生徒がざわざわしたのを感じて、ちかちゃんは人気があるのかな? と考えた。


「ユキ、おっまえ! 抜け駆けかよっこの野郎!」

「はぁ? 何言ってんだよ。そんなんじゃねぇよ!」

「お前がなんで矢野さんと仲良くなってんだよ、教えろぼけ!」

「ぜってぇ教えねぇし、はーげ!」


あの集団は、私が話しかけてからさっきよりも一際うるさくなっていて、きっと登校してきた生徒が迷惑してるだろう。



教室で今日の授業のノートを広げていると、女の子が近づいてきてゆうこちゃんと可愛く呼んでくれる。


「ん?」

「あの、水無月さんが呼んでる」


バッと顔をあげると、教室の入り口でさわやかに手を振る水無月さんがいて、それに顔を赤らめて手を振り返した。

入口まで小走りで歩いて行くと、水無月さんはにこりと微笑む。


「ゆっくりでいいよ。こけないようにね」


とても優しく囁くから、顔が火照りそうになるのを抑えて、目の前に立った。


「どうしたんですか?」

「ん? 君におはようが言いたくて。昨日の放課後会えなかったから」


その言葉に胸がきゅうっと縮こまる。

廊下を通った女の子が後ろを通り過ぎる時に、友達ときゃーっと奇声を発した。


多分水無月さんの言葉が聞こえたんだろう。

この人は本当に平気で甘い言葉を吐ける人だ。

そう思いながら、じっと見つめて、「おはようございます」と笑いかけると、頭をポンと優しく撫でられた。


「おはよう、矢野さん」

「今日も部活があるんですか?」


水無月さんの部活がある日は、私は勉強して帰る事に決めている。

週に二回ほど部活の無い日だけ一緒に帰ってデートをするのだ。

今日はどっちだろうか。


「今日はないから一緒に帰ろう。放課後迎えに行くよ」

「はい、待ってますね」


水無月さんは満足そうに笑うと、じゃあ勉強頑張ってと優雅に告げて一年の廊下を颯爽と歩いて行った。

理想の彼氏だと本当に思う。

何も悪いところがない。

頭が良くて理解がいいのも好きだし、さわやかで糖度たっぷりなのも好きだ。


それに何より私を好きでいてくれている。

彼は私が自慢なのか、私をよく見せびらかしたがった。

私は彼の友達に会わせてもらえる事が嬉しかったし、それにも何の文句もない。

うまくいっていると思う。


ただ、昨日の“ゆきちか”という名前の、水無月さんとは似ても似つかない男の人の顔がなぜか頭から離れなかった。


だって、今まであんなにかっこいい人を見た事がない。

所詮見た目と言われればそれまでだけど、女慣れしてそうな雰囲気やだるそうな立ち振る舞い、全てが素敵だと思った。

モテるんだろうなぁ。

今度あの噂話好きな女友達に聞いてみよう。

芸能人みたいなものかなと憧れ的感情を持ちながら、だけど好きな人は水無月さんだと確信して揺るがなかった。


その日は水無月さんと一緒に学校を出て、近くのファミレスに寄って話をしてから帰った。


話の内容は、今どういう内容の勉強をしているとか、最近は誰のミステリー小説にハマっているとか、次の皆既日食はいつだとか、そんなもの。

私たちにとっては、割とフランクな内容であった。

たまには壮大な論文について語り明かす事もあったり、高校生としてひどく不似合いな二人だとよく笑い合った。



――次の日、バスケ部に入っている水無月さんは部活があるという事で、今日は会えない日だ。

恒例のように放課後教室で勉強をしていた。

今日は、私の大好きな経済学の権威、松本大教授の論文を読んで研究しようと決めて、どっさりと印刷物を机に広げていた。


ひたすら読む作業だけなのに、全く飽きも来ず、ひたすらプリントに没頭する。

キリのいいところまで読み終わって、ふうっと息を吐く。

教室を見渡すと、誰も人はいなかった。


しかし何か視線を感じて、教室の入り口に目をやると、昨日水無月さんが立っていた位置に、ちかちゃんがもたれながらこっちを見ていた。


え?

目が合うと、ちかちゃんは気まずそうに目を逸らしたけど、ゆっくりと中に踏み入れてくる。

でも、その足取りは大丈夫だろうかと思うほどゆっくりで、私は前に見た光景とかぶって笑いそうになった。

いつからそこで立っていたのかは分からなかった。



「おいでよ」


そう言うと、ちかちゃんは眉毛をぴくっと動かして、私を射るように見つめた。


ああ、やっぱりこの人は綺麗だ。

どこまでいっても透き通るような透明感があるし、男らしさもあるし、なんとも言えないバランスでそこに存在している。

金色の髪を黒くしたらもっと素敵になりそうなのになぁと、ぼーっと小さな頭を見つめた。


「なに?」


見つめられた事に気付いたのか、ようやく近くまで来たちかちゃんが訝しげに尋ねてくる。


「え? うん。あ、まずこんにちは」

「……おう」


照れくさそうにする彼のはにかみ笑いは、どうしようもなく女心をくすぐった。

きっと他の人も例外なくそうだろう。


「髪の毛染めてるんだよね?」

「あ? ああ、当たり前だろ」


そう言って、自分の金髪を手にとって眺める彼をじっと見た。

私をちらっと見てまた自分の髪に視線を戻す。


「なんだよ。染めてんのが嫌いかよ」


怒ったように言う彼に、笑ってはいけないとこらえながら首を振る。


「違うよ。でも、黒もすごく似合いそうだなぁと思って。もっとかっこよくなりそう」


そう口にすると、彼は口を半開きにさせてその後すぐにごくっと唾を飲み込んだ。


「からかってんじゃねぇよ、はげ」


水無月さんはこんな事一生言わないだろうなぁ。

まぁまず金髪に最初からしないか。

なんて思いながら、前の椅子に腰かけた彼を見つめた。


「何の勉強?」

「勉強って言うか論文読んでて」

「一日何時間くらい勉強してんの」

「え? 学校ある日は、帰ってからしかできないから六時間くらいかなぁ。休みの日は十時間くらいは」

「…………はぁ?」


素っ頓狂な声をあげた彼に、「ごめんね」と告げると不思議そうに首を傾げられた。


「なんで謝る?」

「あのさ、私よく天才だって言ってもらえるんだけどほんとは全然そうじゃないんだ。がっかりさせてごめんなさいって感じ。毎日勉強しかしてないんだからそりゃ頭良くなるしかないよ」


苦笑いをしてそういうと、彼は怒ったように私を見た。


「何言ってんの、お前。誰もがっかりなんてしねぇよ。そんな勉強できる奴なんていねぇんだから天才に変わりねぇ。みんなお前に憧れてんだよ」


いつも怒っている彼があまりに優しい言葉を吐くから、思わずぽかんとちかちゃんを見た。

照れくさそうにせずに、ただまっすぐに私を目で捉える彼は本当に素敵で。

こんな事を言われて惚れない人はいないだろうとひそかに思った。


「……ありがとう。すごく嬉しい」


素直にお礼を言うと、「別に……」とまた愛想の悪い返事が返って来たけど、それでも構わなかった。

かっこいいと純粋に思った。


「ちかちゃん絶対モテるよね」

「はぁ?」


いきなり素っ頓狂な驚きの声が返ってきて、びっくり目を見開く。

いやいや、今普通の事言ったんだけど。

そんな変な事言ってないし、絶対モテると思うもん。


「いやモテるだろうなぁと思っただけだけど……」

「別に。ゆうこの方がよっぽどモテるだろ」


ゆうこと呼び捨てにされた事にドキリとする。

水無月さんも矢野さんって呼ぶのに。


やっぱりモテるよ、ちかちゃん。

女の子の名前をいきなり呼び捨てで呼ぶ人はモテる人だよ、私の統計上。


「私は全然モテないよ」


そう言った瞬間に、教室の扉がガラガラと開かれて、見慣れた人が姿を現す。


「矢野さん。帰ろっか」


どうやら部活が終わったらしい。

入口付近に立っている水無月さんを見て、笑顔を作る。


その瞬間、ちかちゃんが机に乗せていた両手を握りこぶしに変えてぎゅうっときつく握り締めていた。

それを不思議に思いながら、水無月さんに一旦手を振って、鞄の中に論文を仕舞い込んだ。


「じゃあ、帰るね。ちかちゃん。ばいばい」


顔をじっと見ながらそう言ったのに、ちかちゃんは私をじっと見たまま少しの間固まっていた。


「ゆうこ、昨日は何してた?」


いきなりそう言われて、頭の中で昨日を思い浮かべた。


「昨日って、放課後の事?」

「そう」

「それなら、水無月さんっ…て言っても分かんないか。あの彼とファミレスに行ってたよ。どうして?」

「ああー……っそ……。そか。ばいばい」


ぼそりと告げて、私が教室を出るよりも先に駆けるように出て行ってしまったちかちゃんを見ながら、水無月さんの元に向かう。


「あの彼と何話してたの?」

「ん? んー、なんだろ。世間話みたいな感じかなぁ」


そう言うと、水無月さんはにこりと笑って、私の手を引いた。


「じゃあ今日は僕らも世間話でもしようか。まずは昨日のお互いの晩御飯の話からだね」

「ふふ。晩御飯は焼きそばでした」

「へぇ。矢野さんも焼きそばなんて食べるんだ」

「え? 食べますよ。私を何だと思ってるんですか?」

「僕の可愛い彼女だよ」


また甘い言葉を吐く水無月さんにくすくすと笑いながら、手をつないで帰った。

その様子をちかちゃんが見ているのを私は一生知る事はなかった。

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