ゆうこ2023
あなたが怒ると
嫌われるんじゃないかって
それだけを考える
好きだって伝えたら
あなたは怒って
そして嫌うのかな?
―――――――――――――
その日、会社を出る頃には残業で二十一時を過ぎていた。
はぁー毎日大変だ。
給料はいいし、待遇もいいけど、入社一ヵ月でこの過酷さは異常だ。
だから、この会社は女の人が少ないのかもなぁ。
鞄を肩にかけて帰ろうとすると、後ろから声をかけられる。
「矢野さん」
「はい?」
後ろを振り向くと、三年先輩の鈴木さんがいて、私に調子が良さそうに手をひらひらと振っている。
鈴木さんは女性人気がある先輩だ。
割とチャラチャラした見た目をしていて、女の子には誰にでも優しくしないといけないと思っているのか、とにかく優しさを全面にアピールしている。
いつもいつも、「大丈夫?」だなんて優しい言葉をかけてくれるのだ。
たまに愛子さんがきゃーきゃー言ってる。
確かに素敵だなぁとは思うけど。
「今帰りなら一緒に帰ろうよ」
「あ、はい。じゃあ途中まで一緒に」
鈴木さんは嬉しそうに私の隣を歩いて、仕事の話を話した。
………はぁ。
私、仕事終わってまで仕事の話するほど、仕事好きじゃないんですけど。
とは言えないから、エレベーターに乗っている間も愛想よく相槌を打つ。
「矢野さんって今期入社の女の子の中で一番人気あるらしいよ」
らしいよ……って言われましても、そんな事聞いたことないし。
なんて返せばいいか、言葉が思いつかない。
「そうなんですか? そんなそんな……恐縮です」
「またまた~いや、俺も矢野さんが一番綺麗だなぁって思ってるよ。仕事もできるし言う事ないね」
鈴木さんがあまりにもにこにこしながらそう告げてくれるから、返事に困り、満面の笑みを返した。
その瞬間、頭をポンと撫でられて逸らされた顔をチラッと見ながら、エレベーターが一階に着いた事に確認して一緒に降りた。
「俺さぁ、いつも気に入った女の子とはうまくいかないんだよなぁ」
独り言かな? と思って鈴木さんを見たけど、鈴木さんは私の方をじっと見ていたから、独り言じゃないんだと思って慌てて返事を返す。
「そうなんですか? 鈴木さんは女子社員の中でも人気ありますし、いい先輩だと思います。すごく優しいですし」
率直な感想を伝えると、鈴木さんはぽりぽりと頭を掻いて「ありがとう」と呟いた。
やっぱ年上な雰囲気が出てるな。
ちかちゃんだったら素直にありがとうなんて言うはずないもんな。
思わずあのふてぶてしい顔が思い出されて、ぶんぶんと頭の中から消去した。
「あのさ、今から飲んで帰ったりする?」
その言葉に、うーんと悩んでから返事を返す。
「私そんなにお酒強くないんです。それに明日も早いので今度金曜日とかに皆さんでご飯行きませんか?」
「うん、そうしよう。明日早いのに気使えなくてごめんな」
「いえ、全然。こちらこそお誘いいただいたのに申し訳ありません」
ぺこっと頭を下げてから鈴木さんの顔を見ると、嬉しそうに私を見下ろしていて、私も思わずへらりと笑みを作る。
この人はモテる要素があるよなぁ。
しつこくないけど、ちゃんと攻めてくるし。
要領がよくて、女慣れしてそうな感じがする。
ちかちゃんとは全然違うタイプだなぁ。
あ、でも、今日受付で楽しそうに話していたちかちゃんを見ると、そうでもないのかな。
ちかちゃんもこういう風に女慣れしちゃったのかな。
沈んだ気持ちになった自分を打ち消して、隣にいる鈴木さんに集中する。
「あ、矢野さん家どの辺り? 送ってくよ」
「いやいやいいです。うち近いですし、悪いので」
本当に近いんです。
しかも、上司に送ってもらうだなんて逆に気を使う。
「いいって。女の子一人だったら危ないよ。それでなくても矢野さんすごく綺麗なのに。歩き?」
「はい。ここから十分くらいです。実家なんですけど」
断れない私は、調子のいい女だ。
ほんと。
ちかちゃんに馬鹿にされちゃう。
「よしじゃあ送ります。……いや、送らせて下さい」
その言葉にくすくす笑って、「じゃあお願いします」と言うと、鈴木さんは嬉しそうにガッツポーズをした。
パフォーマンスなのだろうけど、嫌な気持ちにはならない。
「…………ゆうこ!!!」
少し離れた場所から声がかかったと思ったら、車道からだった。
聞き覚えのありすぎる言葉に、思わず顔をしかめてから振り返る。
声の主を探すと、煌びやかなベンツの四駆の運転席から案の定ちかちゃんがこっちを睨んでいた。
ちかちゃんは今こんな外車に乗ってるんだね。
大きくて迫力のある車。
左ハンドルのその車に、通りすがりの人は、「ベンツの四駆だ」ときゃーきゃー騒いでいる。
私にだって、いい車だと分かるそれに、思わずショックを受けてしまった。
高校の時は誰のお下がりか分からない原付に乗っていたのにね。
あまりの違いにショックを隠しきれない。
遠くに行きすぎだよ、ちかちゃん。
私がどれだけ頑張っても、もう手が届かなくなりそうだよ。
隣で鈴木さんは訝しげに車を窺っている。
バレたらまずいと思って、鈴木さんの方へと勢いよく振り返ると、驚いたように私を見た。
”ユキ”だとバレると厄介な事になる。
鈴木さんにバレないように、早くこの現状を打破しなきゃ!
「ごめんなさいっ。昔からの知り合いで。迎えに来てくれたみたいなので帰りますね。すみません。お疲れ様ですっ」
ぺこっと頭を下げてから走り去ると、後ろから頼りなさげな鈴木さんの「お疲れ!」が聞こえた。
「窓閉めて、ちかちゃん」
運転席にそう言ってから、助手席に向かうと、助手席に座る頃にはきちんと窓が閉められていた。
「……あああぁー」
乗った瞬間のいきなりのちかちゃんの発狂に思わず体を揺らして、じっと見つめる。
「どうしたの? っていうか迎えに来てくれたの? ありがとう。今日は仕事休みなの?」
にっこり笑って言うと、ちかちゃんは苦い顔をしながら、別にと無愛想に呟いた。
「ゆうこ。あいつ誰」
「あいつって? 鈴木さん? 会社の先輩だよ」
「お前って昔から誰にでも愛想いいよな。八方美人」
ちかちゃんの私を罵る言葉に苦笑しながら、よっぽど嫌われてると思ってへこんでしまう。
高校の最後の方もこんな風によく悪口を言われたっけ。
「ごめんね。迎えに来てくれたのに気分悪くさせて」
どうして機嫌が悪くなっているのかは分からないけど。
多分待ってくれていたのに、ちかちゃんに気付かずに通り過ぎたりなんてしたからだろう。
でも。
迎えに来てくれて死ぬほど嬉しかった。
今日は二回も会えた。
もう一生会ってくれないと思ったのに、一日に二回も会えた。
嬉しいな。
嬉しくてたまらないよ。
ちかちゃん、大好き。
勇気がなくて本人に一度も言えた事なんてないけど。
到底言っても叶いそうになんてないけど、今が嬉しいからそれでいいやって思えた。
ちかちゃんの車に乗れる日が来るなんて思いもしなかったんだもん。
「ちかちゃん、ご飯食べた?」
変装をしているちかちゃんに声をかけると、ハンドルの下を片手で持ってスムーズに運転をしながら、私の顔をちらりと見た。
「腹減ってんのか?」
「うん。まだ晩御飯食べてなくて。ちかちゃんがお腹すいてたらどっか食べに行こ。もしお腹いっぱいだったら家で何か食べるけど」
ちかちゃんは一瞬考えるような素振りを見せてから、「イタリアンでいいよな」と怒ったように呟いた。
質問じゃない決定されたような言い草に、黙ってこくんと頷く。
「ありがとう、ちかちゃん」
「黙れはげ」
「えぇーはげてないよ」
「知ってるわ」
相変わらずのその言葉にくすくす笑うと、赤信号で停まった車のハンドルに顔を預けて、ちかちゃんは私の顔をじっと見た。
「俺はまだお前の事許してないからな」
真剣なトーンで言われたその言葉に、黙って頷いた。
胸が刺されるような想いになる。
泣くな泣くな泣くな。
自分で選んだ道じゃないか。
ばか、ゆうこ。
私は、ちかちゃんに嫌われたってしょうがない事をしたんだ。
自覚はあったし、罪悪感も、溢れるほどの好きな気持ちもまだ、まだあった。
好きで、好きで。
今すぐ抱きついて好きと叫べばどうなるんだろうなんて馬鹿な事を考えた。
どうせ気持ち悪がられて終わりに決まってるのに。
高校生の時よりも我慢弱くなったらしい。
ちかちゃんがモデルになった今、すごくかけ離れた存在になったのに、まだまだ懲りずに好きだなんて。
諦めも悪くなったらしい。
ほんとタチが悪い……。
「ちかちゃん。どうしてモデルになったの?」
「ああ? 男前だからじゃねぇの」
相変わらずの乱暴な言い方に笑いながら、でも事実だと思い直す。
「そうだね」と肯定すると、ちかちゃんが運転中なのにも関わらず唖然とした顔で私を見てきた。
何か宇宙人でも見るみたいな、信じられないと言いたそうな顔で。
「え? なに?」
「お前まじうぜぇ。てきとうに返事すんじゃねぇよ」
「え?」
「黙れ。もういい」
なんか知らないけど、また嫌われた……。
へこみながらも、運転をしているちかちゃんの横顔をじっと眺めた。
本当にこんな整った顔つきの人なんて絶対いない。
溜息が出そうなほど綺麗で、同じ人間としておかしいと思う。
男の人を綺麗だと思ったのは、ちかちゃんが最初で最後だ。
かっこいいとか可愛いとかそんな軽い形容詞じゃ足りない。
綺麗の最上級の言葉があるなら、それが何よりもちかちゃんに合ってる。
ただ、どうしようもなく綺麗だ。
自分が恥ずかしいと思うくらいに。
高校生の時も十分モテてたし、人気だったし、かっこよかったけど、今はそれが比じゃないように思う。
さらに磨きがかかったし、大人になった分、色気も増した。
きっとちかちゃんに迫られたら女の子は誰もが振り向くような気がする。
「ちかちゃんって今彼女とかいるの?」
普通の顔を装ってそう聞くと、イタリアンのお店の駐車場に車を停め終えたちかちゃんがじっとこっちを見てくる。
一瞬で眉をしかめて、辛そうな顔をする。
「………いねぇよ」
「じゃあ、好きな人は?」
そう聞くと、眉をぴくりと上にあげて、大きく息を吐いた。
「さぁ。お前に関係ないし」
そうだけど……。
しゅんとしてしまった私に気付いたのか気づいていないのか、ちかちゃんは私を見て同じ質問を投げかけてきた。
「お前、は? 好きな奴とか」
そう聞かれて、真っ先にちかちゃんの笑った顔が頭の中に浮かんでくる。
苦笑しながらちかちゃんの瞳を見ると、さっと目を逸らされた。
「……いるよ。すごく素敵な人」
そう言った瞬間、ちかちゃんがバッと顔を上げて私を見た。
その表情は色を失ったようなぼーっとしたもので、思わず首を傾げる。
ん?
「誰そいつ」
震えあがるくらいに低い声で聞かれて、冗談っぽくちかちゃんって言ってみようかと思った言葉を瞬間で取りやめる。
ちかちゃんのばか。
そんなに冷たい目しないでもいいのに。
「ちかちゃんには関係ないよ」
言われた言葉を真似して、ツンとそう言うと、シートベルトを外して私の手首をガッと掴んだ。
その後、「真似しちゃった」って笑おうと思った言葉は、あまりの痛さに消え去った。
「…………っ!!!」
ギリギリと手首を掴まれる痛みに、思わず眉をしかめる。
ちかちゃんの爪が黄色くなるくらいに握られた私の手首はあまりにも貧相で、それに泣きたくなった。
どうしてこんなに怒るんだろう。
怖い。
黙って四年間いなくなった事に怒ってるから?
それとも、関係ないって言って仲間外れにした事を怒ってるの?
わけが分からなくて。
ちかちゃんの色を失った顔が怖くて。
それよりも、脈がなさすぎて、涙が出てきた。
好きな子に絶対こんな乱暴な事はしないだろう。
だって、高校の時、ちかちゃんと一緒にいた女の子は口をそろえて、ちかちゃんは優しいって、すっごく甘いって言ってたもん。
ちかちゃんに握られた手首だけ血管が浮き上がってきた。血が止まっているのだと思う。
ちかちゃんは憤った顔で、私を殺すかのように睨んできていて、その光景に涙がじわじわせりあがってきた。
嫌われたくないよ……。
もうこれ以上嫌われたくない……。
ギリギリと音のしそうなそれに、とうとう大粒の涙がぼろぼろと零れる。
ちかちゃんは私の泣いた顔を見た瞬間。
ハッと我に返ったように手を乱暴に離してから、顔を盛大にしかめた。
泣いてうざかっただろうか。
ごめん、でも、まだ涙が止まりそうにないよ。
「っ…………ゆ、うこ…」
戸惑ったように声をかけてくるちかちゃんを泣きながら見つめると、ぎゅうっと効果音がなりそうなほどにきつく抱きしめられた。
その瞬間、ほのかに香っていたちかちゃんの香水があまりにも近くで香ってきて、高校のころから変わらない香りにさらに涙が出た。
懐かしい。
大好きな香り。
「うぅ~~~……っ………ふっ…………うぅ~」
嗚咽となって声にまで出たそれに、ちかちゃんはさらに抱きしめる力を強くする。
「ごめん。ごめんごめんごめん。ゆうこごめん」
その言葉に返事をしてやる事もできずに、イタリアンの駐車場で空腹のまましばらく泣き続けた。
泣いたのは、
痛かったからじゃない。
脈の無さに絶望しすぎて、悲しくなったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます