ゆきちか2016
彼女に恋をされたら
神様にでも
なれると思うんだ
俺がどれくらい好きか
わかる?
――――――――――――
高校一年の時。
俺は見た目だけはいいけど、手のつけようのない、どうしようもない不良として学校内では有名だった。
女も男も学校中の全員が俺の事を知っていたと思う。
言いよってくる女は半端なく多かったし、男だって俺と近づきたいとみんな思っていたはずだ。
そんな中で、俺とは反対の意味ですごく有名な女がいた。
多分あいつを知らない奴もこの学校にはいなかった。
全校集会があるたびに、何か賞状を渡されているあいつは全校生徒の憧れの存在だった。
その賞状は論文や化学の研究物だけにとどまらず、テニスシングルス優勝やピアノコンクール優勝など恐ろしいほどの範囲の数だ。
ロングの綺麗な柔らかいウェーブを描いた髪型で、きりっとした意志の強い瞳。
高い鼻に、真っ白の肌。
すらりとした体型に、紺の短めのプリーツスカートがとてもよく似合った。
誰もがあいつを綺麗だともてはやした。
その上、成績が異常だった。
全国模試で百番以内に食い込んでくるあいつは、もはや奇人超人。
入学式総代、定期試験学年トップは言うまでもなかった。
うちの学校は馬鹿ではなかったけど、あいつは堂々の学費免除の特待生で、生徒だけじゃなく先生たちまでも別格扱いをしていた。
彼女は高三になる頃には生徒会長にまでなるほどの人徳もあったし。
当時、貴公子とあだ名をつけられ、女子を賑わせていた眉目秀麗成績優秀と誉めたたえられる四字熟語がたくさんあるだろう水無月先輩と一年の頃から付き合っていた。
俺とは全くの正反対の位置にいたし、俺はそこまで興味もなかった。
違う世界の住人だと分かっていたからだ。
交通事故のせいで両親ともにいない俺は、天涯孤独の身で、児童養護施設に預けられていた。
俺が悪さをしても悲しむやつも怒るやつも誰もいない状況というのは、ひどく孤独で、開放的で、暴れるしかないんじゃないかとも思っていた。
実際俺が悪い事をすると、無責任にも喜んでくれる馬鹿なお友達ばっかり。
俺の周りの環境はあまりにも醜悪だった。
「あっゆきちゃんばいばーい。今日夜にメールするから返事してねー」
「んー……、じゃあな」
「ゆき! お前今日公園集合だからな! ぜってぇ来いよ!」
「ああー気が向いたら」
すれ違う度にかけられる声に対応しながら、A組の教室に通りかかる。
そこで同じ学年だったゆうこを一年A組で偶然見つけた。
もう高校に入学して半年が経っていたけど、喋った事もなかったし、近くで見たこともなかった。
それほどまでに接点がなく、かけ離れた存在だった。
彼女は夕暮れの教室で、カーテンからの淡いオレンジの光を浴びながら、黙々と机に向かっている。
片方の髪を耳に向けて、無人の教室で一生懸命勉強している姿は誰が見ても綺麗だと思うんじゃないだろうか。
俺は思わず見とれて、はだけたシャツ、腰パンの制服でじっと教室の扉にもたれてその姿を見ていた。
少しして俺の視線に気づいたのか、彼女は手を止めて不思議そうに俺を見た。
その瞬間、なぜか胸がざわついてしょうがなかった。
今までどんなに見た目にインパクトのある女に迫られてもそんな事思わなかったのに。
あまりにも優秀な彼女の瞳に映れた事が嬉しくて仕方なかったのかもしれない。
視界に写っただけなのに、彼女と対等の位置に立つ事を許してもらえた気がした。
「………おいでよ」
彼女が声を発した。
その瞬間、両腕に鳥肌がぶわっと立った。
彼女の声を聞いたのはその時が初めてだった。
透き通る歌声のような。
若い女のような弾んだ声じゃなく、落ち着いた女性の声。
高校一年の女の子が出す声じゃないと思った。
綺麗という形容詞しか浮かんでこない。
彼女の纏う空気はあまりにも上品で、綺麗で、自分が到底触れられない厳かなものだ。
同じ空間に存在すること自体がおかしいとさえ思うほどに。
柄にもなく高鳴る心臓を落ち着かせながら、一歩教室に踏み入れると、彼女は満足したように机に顔を戻して、ノートにペンを走らせる。
なんだよなんだよなんだよ。
俺だけドキドキしてばっかじゃねぇの。
こんな俺知らねっ。
ゆうこの態度にどうしていいか分からずゆっくりゆっくり教室の奥にいる彼女の元へ忍び寄る。
こんなに近い教室で、時間にしてきっと一分は経過していた事だろう。
ゆうこの目の前まで来た瞬間に、ゆうこが顔をあげて俺を視界に入れる。
「こんにちは」
その何でもないあいさつに、顔がかぁーっと赤くなるのを感じて、思わず目を逸らした。
こんなにも素敵な生き物に今まで出会った事がない。
こんなにも人に触れてはいけないと思ったのは生まれて初めてだった。
鼻がつーんとなって、口がすっぱくなって、反射的に何度も瞬きをした。
その時生まれて初めて、ときめいたら涙が出るのだと知った。
「………ちわ」
俺はまだまだガキで、「こんにちは」というただの挨拶をはっきり言う事が、ひどく恥ずかしい事だと思っていた。
そんな俺に彼女は笑いもせず、微笑みながら俺に、「前に座って」と囁いた。
誰もいない放課後。
きっと、俺と彼女の組み合わせを誰かが見たら、確実に俺が悪者にされると確信していた。
それほどまでに俺には悪い印象が、彼女にはいい印象がついていた。
「私、矢野祐子。名前は?」
俺の名前を知らない女。
俺は彼女の名前を知っていた。
平凡なのに彼女の名前というだけで、その名前がとても綺麗で上品だと思った。
今まで出会った事のある“ゆうこ”たちが、少しランクアップした気がする。
「ああー……麻生雪近」
俺の名前が珍しかったのか、ゆうこはノートから顔をあげて俺の顔をじっと見た。
「どういう漢字?」
何に興味を見出したのか。
俺は一瞬首を傾げながらも、彼女のシャーペンを取り上げて、綺麗過ぎる字で埋め尽くされたノートの端に漢字を書いた。
“麻生”と書かれた字をゆうこは少しだけ見つめて、残念そうに首を振る。
ん?
「じゃなくて、下の名前」
くすっと笑った彼女の笑顔を見たのはそれが最初で、ぽかんとしながらその顔をじっと見た。
一瞬で終わってしまったその顔が悔しくて、絶対にもう一度笑わせてやると心に決めて、言われた通りノートに向かう。
“雪近”と二文字をなるべく綺麗にと心がけて書く。
彼女はそれを見て、満足そうにゆるゆると、ゆっくりと、頬を緩ませた。
初対面の俺の前で平気で至福の表情を見せる。
うわ、やべ。
可愛いー……。
「すごいね」
「はぁ? なにがだよ」
口が悪かったかと反省していた中、彼女は俺の書いた二文字を大事そうに指でなぞった。
桜色の小さな爪がついた人差し指をじっと見る。
文字になりたいと真剣に思った。
「ゆきとちかって女の子みたいな可愛い名前がくっつくとこんなにかっこいい名前になるんだって思ってね。すごい化学反応みたい。素敵な名前」
顔が一気にかぁーっと熱くなって、片手で思わず口をおさえた。
たまらなく恥ずかしいのと嬉しいのとが混じり合って、消えてしまいたいと思った。
賞を総ナメにしている彼女に、感動される名前はどれだけすごいものかと思わせた。
彼女を笑わせる事が出来ればお笑い芸人になれ、彼女を感動させることができれば映画監督になれ、勉強を教える事ができればノーベル賞がもらえるんじゃないかと本気で思う。
それほどまでに素晴らしい存在だと感心するどころか、陥落してしまった。
俺が顔を赤くしているのに気付いたのか、彼女は優しく俺から顔を逸らしてまた二文字を眺めた。
「みんなにはなんて呼ばれてるの?」
「……ああー、ゆきとかゆきちゃんとか。女はゆきちゃんが多いな」
ふうんとつまんなさそうに呟くゆうこをじっと眺める。
今の中で、何が気に入らなかったんだろうと焦っていたけど、そんな自分をすぐにかき消した。
何やってんだよ、俺。
女にも男にもいつも堂々としていて、誰かの反応について気にしたことなどなかったのに。
こんなに気になるなんておかしいだろうが。
まじ俺信じらんねぇ。
死ね俺。
だっせぇ。
「なんだよ」
余裕ぶって声を出すと、目の前の綺麗な女はやっぱり不満そうにつぶやいた。
「ちかって響きが好きなのにな。すごく綺麗なのに」
その言葉に目を丸くして、唖然と彼女を見ていたけど、次の瞬間に急に恥ずかしくなって隣にあった椅子を蹴り飛ばした。
ガンッと大きな音をしたそれに、繊細な彼女がビクッと肩を震わせたのを見て後悔したけど今更どうしようもなかった。
「知らねぇよ。こんな意味分かんねぇ名前好きじゃねぇし」
「そうかなぁ。私が今まで知っている男の人の名前で一番好きだよ。ちかちゃん」
その言葉に、全身が心臓になったみたいに、足の先まで痺れが走った。
思わず足の指をきゅっと中に折り畳んで、膝の上で拳を痛いくらいに握り締めた。
その時の俺の顔が怒っているように見えたらしい。
せっかく微笑んでいた彼女の顔が一瞬で暗い顔になって、心底後悔した。
もうこの気持ちはごまかしようがなかった。
ゆうこに対してはきっとどんな男もこうなるに違いないと、天然の小悪魔性にため息が漏れそうになる。
「そんなに怒らないでよ……。ちかちゃんって呼ばせて?」
もう一度ゆうこをじっと見てから、ぷいっと顔を逸らせた。
その態度にゆうこは「怒らせてごめんね」と謝ったけど、俺はそんな事どうでもよかった。
ただ、この女を手に入れるためなら何でもしてやると思った。
今後の人生全て懸けてでも、一生かかっても手に入れたいと思った。
ゆうこに釣り合うようになるなら、どんな事でもしてやると……。
それほどまでに魅力的だった。
滑らかな頬に今すぐにでも触りたいと思う気持ちを必死に封じこめて、照れ隠しで怒って見せた。
そんな俺とゆうこの出会い。
今思い出しても、胸がときめくくらい、ゆうこは綺麗だった。
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