第3章〜動物農場〜③

 11月4日(火)


 三連休を利用して、ケイコ先輩が情報提供してくれた推薦図書と、二つの映像ドキュメンタリー作品からなる課題ミッションをクリアした僕には、自分たちの学校の選挙戦の結果が、平穏無事に終わるとはとても思えなくなっていた。


 先輩がゴリ押し……もとい、推薦してくれた『動物農場』は、とある農場の動物たちが、自分たちを劣悪な環境で働かせている農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとする物語で、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描いた作品だ。

 人間を豚や馬などの動物に見立てることにより、民主主義が全体主義や権威主義へと陥る危険性、革命が独裁体制と専制政治によって裏切られ、革命以前よりも生活水準や社会の状況などが悪くなっていく過程を痛烈かつ寓話的に描いていて、ロシア革命とソビエト連邦を理想の国とみなすような「ソビエト神話」への警鐘だと言われている。


 物語のなかで、革命が成功したあとに支配階級になっていく豚、読み書きがまともに出来ず、変節していく主張を盲信する羊、豚にを施されて警察権力のように振る舞う犬などのキャラクターたちに、奇妙なリアリティーを感じてしまい、背筋が冷たくなる思いがした。


(自分たちの生徒会選挙でも、主にネット上の活動で『既得権益と戦う』というメッセージを発信し続ける降谷通ふるやとおりに煽動される生徒が増えたら……)


 そう考えると、今回の選挙の結果は、一宮いちのみや高校の将来に、大きな影響を及ぼすのではないか、という想いが強くなる。


 さらに、映像ドキュメンタリーの『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』と『Qアノンの正体』は、どちらも、2016年と2020年のアメリカ大統領選挙で話題になったトランプ・ムーブメントを題材にした作品で、ドナルド・トランプ大統領の陣営が、大統領選挙において、どのようにSNSを活用したムーブメントを起こしたのか、当事者たちへの取材を通して描いている。


 テレビやラジオ、新聞・雑誌などには高潔で慎重な振る舞いが求められ、小さなミスや軽率な発言は厳しく追求されてどこまでも揚げ足をとられる。一方で、ポピュリストと言っても良い情報発信者たちは、少々のさえ、「偽りの無い本音」だとして武器になり、支持を集めることができる。


 それは、まるで『動物農場』で、かつての支配階級を痛烈に批判していた頭の良い豚が、物事をなんでも素直に受け取る従順な羊たちを簡単に言いなりにさせて行く過程とソックリでもあった。

 感情的なメッセージやセンセーショナルな主張が優先されるネット上の言論空間では、真偽不明な情報や明らかなウソ・誇張が一気に拡散し、一種のエンターテインメントとして消費されていく状況は、いまに始まったことではない。そのことは、たかだか17年しか生きていない僕でも理解できているつもりだ。

 

 ただし――――――。


 その単なるでしか無かったモノが、世界中で、実際の選挙結果や政治の世界にも影響を及ぼすようになってきている。

『Qアノンの正体』の中で描かれているように、アメリカでは一般市民が暴徒化して国会議事堂を占拠し、その他にも、ルーマニアではSNS上のデマ拡散が原因で大統領選挙がやり直しの事態に陥った。


 いま、たった一人で立ち上がったとするイメージ作りをしている石塚候補は、「孤立無援」であることを強調しつつ、現生徒会による既得権益の打破、というメッセージを打ち出し始めている。さらに、降谷候補が、その彼を十条委員会やクラブ連盟、メディア報道の被害者であると主張することで、石塚候補は、クラブ活動の経験者ばかりに注目が集まることや校内の施設利用に優遇者措置が取られることに不満を持っている、部活動に所属していない生徒たちの想いの受け皿になっているのだ。


 もちろん、部内のイジメ問題や業者からの物品の受け取り問題を過剰に取り上げてしまった僕たち放送・新聞部や、生徒会選挙が近づいたことで問題を手短かに処理しようとして石塚雲照いしづかうんしょうのバスケ部部長解任の決議を急いでしまったクラブ連盟の手法にも問題がなかったわけではないと思う。


 ただ、もしも、このことが……既得権益を持つ現在の生徒会や、既存の秩序を報じるだけの放送・新聞部メディアのあり方を打破しよう、というムーブメントに変わってしまったら……。


 この連休中、ケイコ先輩の課題をこなすついでのスキマ時間に、石塚候補や降谷候補の情報発信に目を通していると、そうした心配が、僕の中で大きくなっていく。そして、その懸念は、この日の放課後に行われたクラブ連盟の代表者二十二名が共同で行った会見のライブ中継映像を見たことで、さらに増していった。


 先週末の金曜日に、トシオが、


「実は、ココだけの話だけど、週明けにクラブ連盟が正式に、光石さん指示を表明するらしい」

 

と言っていたように、クラブ連盟の代表者一堂は、この会見で二十二団体のクラブが、光石琴みついしこと候補への支持を表明したのだ。これは、公正中立を謳っている放送・新聞部や陣内候補を擁立しているバスケットボール部などをのぞき、全クラブのおよそ7割にあたる団体数だ。そして、これらのクラブは、所属部員の多い野球部や吹奏楽部も含まれているので、生徒数が占める割合は、さらに多くなる。


 僕は、この会見の模様を自宅に帰ってから、タイムシフト視聴で確認していた。

 

 会見では、野球部の部長でもある蒼野武志あおのたけし先輩が、代表者として、SNS上の特定の生徒に対する誹謗中傷をはじめ、過度な言動に対する注意喚起を行っている。


 それでも……。


 いまの僕にとって、週末に親友が語ってきたときに、心強く感じた、


「たぶん、これで彼女の当選は確実だろう」


という楽観的な見立てには、まったく賛同できないと感じ始めていた。

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