第10話 シークレットガーデン

 広い池のある風景式庭園の外周を巡る遊歩道。そこから外れるように、木々の間に細くうねって伸びる小道を少し登ると、蔦の這う煉瓦塀に行き当たる。背の高い煉瓦塀に沿って薄暗い小道をまた少し奥にゆくと、見逃してしまいそうな小さな鉄の扉がある。


「ここのようですね」

 案内状に描かれた地図を確認してそう言った侍女の言葉に、愛染理那は渡されていた金色の鍵を取り出した。


 陰鬱な印象の重い鉄の扉は、金色の鍵で開いた。


「護衛、ここで、待つ、ください」

 理那の命令に今日の護衛担当は難色を示した。

「観光用の小庭園を回ってくるだけです。今日は貸し切りにしていただいているという話ですし、私がついて参りますから。あなたはここで他の客がうっかり入ってこないように見張っていただけますか」

 侍女の説得と、そっと手渡された蒸留酒の小瓶で、中年の護衛はここで待機することを了承した。




 扉を潜った正面は、白い石積みの壁で、両側に花房が垂れる半円形の壁龕には泉水盤が設えられていた。

 泉水盤を回り込むように奥に進むと、丁寧に刈り込まれた生け垣や白い石積みの壁の間に、美しい小花壇が次々と現れ、花壇ごとに異なる香りが来訪者を迎えた。


『きれい……』


 日が落ちて深い青色の宵闇に沈みつつある庭園のあちこちには、小さな灯火がいくつも灯されていた。

 小径の両脇に等間隔で並ぶ角灯は、紙製のシェードらしく、柔らかい光を放っている。あたりの木々の枝には、蝋燭が入れられた丸い吹きガラスの器が、つる下げられており、まるで光の果実が実っているようだった。


『星の花園だわ』


 舗装素材に、丸く磨いたガラス状の何かが含まれているらしく、道もキラキラと輝いている。

 天の川を歩いているようだと、理那はうっとりした。


 松明でライトアップされた小さな滝のところまで来ると、脇のベンチに人影があった。


「トクムさん!」

「こんばんは、リナちゃん」


 立ち上がったのは、理那の最大の理解者でいくら感謝してもしたりない相手だった。理那は淑女の心得を忘れて、駆け寄った。


「夜の庭園はいかがでしたか」

「大変素晴らしく思います。私はこれを好ましくおぼえます」

「とても良い発音で、しっかりと表現できましたね」


 授業中いつもそうだったように、この小柄でほっそりした先生は、温和な笑顔を浮かべて優しく理那を褒めてくれたが、理那は首を振った。


『ううん。でも本当はもっといっぱい伝えたいの! だってすっごく、すっごく素敵で綺麗で可愛いんだもん。お星さまみたいにキラキラして』

「はい。『カワイイ』いただきました」


 この世界で唯一、理那の言葉を覚えようとしてくれた相手は、”カワイイ”は最大級の褒め言葉だと思っているらしく、自分が提供したものを、理那が日本語で”カワイイ”と表すると、たいそう喜んだ。

 理那は感謝の気持ちを少しでも伝えたくて、一生懸命言葉を覚えた。


 実際、理那はこの不慣れな異世界で、物的にも精神的にも様々な恩恵を、この”トクムさん”から受けていた。

 トクムさんがやったことは、たいていの場合、伏せられているか他人の功績にされているので、理那もごく一部を偶然知っただけだが、”作風”からしてそうだと推測できることは色々あった。

 馴染みのない世界に一人でいて、辛かったときに、助けてくれたのは、トクムさんのアレコレだった。


 気分転換にと湖畔に遠乗りに連れ出されたときは、慣れない馬で緊張して、気分が悪くなって、おしりも痛くて最悪だったが、可愛いふわふわクッションに座って脚を投げ出して、美味しいお弁当を食べたら、すっかり気分が上向いたものだ。食べ終わったら、小さな可愛いお弁当箱を、その場で潰されて燃やされたときは、許しがたくて泣いてしまったぐらいだ。


 こちらに来た当初、苦痛で仕方がなかったトイレやお風呂を改善してくれたのも、実はトクムさんだと知ったときは、この恩はどうやっても返せないと絶望した。


「傷、痛みますか?」

「いいえ。治りました。平気です」


 頭に巻かれた包帯を心配そうに見ると、先生は大丈夫だからと微笑んだ。

 理那は胸が苦しくなった。


『私のせいでひどい目にあわせちゃってごめんなさい』


「大変申し訳ございません」と、習った言葉で伝えてみても、なんだか自分の気持ちがちっとも伝わった気がしなくて、理那は悲しくなった。


「私、先生からもっと言葉を習いたいです」

「私も同じだけれど、偉い人はそうは思ってくれていないみたいだからね。残念だけれども、これでお別れだ」

『そんな……』

『ごめん。さよなら』


 もうトクムさんが自分の先生役から外されていることも、引き止めるとトクムさんの身に危険が及びそうなことも、事前に説明されて理解していた。今日は最後のお別れをするために会いに来たのだということも承知していた。

 それでも、トクムさんの日本語が優しすぎて涙が堪えられなかった。




『もうヤダ! 私、あなたをいじめるような、あんな人達を好きになんてなれない!! いくら女神様の頼みでも、あんな意地悪で自分本意な男の人の中から誰かを選んで、一緒に愛の力で、呪われた龍から世界を救うとか無理だよーっ!』


 理那は眼の前の相手にすがりついた。

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