第7話 先生と呼んで
「学習教材……ですか」
言語の習得が思わしくない者向けにという依頼に、すぐにピンときた。
が、とぼける。
「文官候補達への読み書き学習帳みたいなもので良いですか?」
この世界の識字率は低い。貴族でも文字がろくに書けない者がいるぐらいだ。公文書を書ける人材は貴重だったりする。そういう意味では自分ってエリートかも? いや、公文書書けない領主はねーわ。最低ラインで威張ってどうする。
父上、充実した教育環境ありがとう。めっちゃ小さい頃から、知りたい、やりたいといえば、すっごいサポートしてくれてた気がする。
なので、うちにあった幼児学習教材は、たぶん世間一般よりも良い物だったはず。恵まれてるなー。挙げ句がこんなんで申し訳ないけど。
問い合わせたところ、依頼元の要求は、会話の習得だけで、読み書きは不要だという。へーぇ。もうちょっと、ボケてやろう。
「会話の学習が進まないということは、どこかの家の小さいお子さんでしょうか」
「いや、そういうわけではない」
「ある程度、利用者の状態を教えていただかないと、最適策が検討できません。どんなものでもよろしいのでしたら、学習院の学者に問い合わせて既存の中から評判の良いものを調達して来ますが、会話というとむしろ行儀見習いの教材の方がよろしいかもしれませんね」
「その手のものはすでに試したのだが、効果が上がらないのだ」
でしょうね。
実はこの世界、外国語というものがないのだ。世界中どこの人も、なんなら人でないものも、知性があるものが話す言語は同一。”神が与え給うた言語”らしい。
それならリナちゃんにも、標準装備させてやれよ、神。
とにかくそういうわけで、この世界には、異なる言語を学習するとか、翻訳するとかいうノウハウがない。ノウハウどころか、下手をすると概念がない。
そんなところに言葉が話せない女の子が放り込まれたら、そりゃ大変だろう。
なんとかしてやりたい気持ちもあるが、彼女の事情を公式に明かされていない現状、異言語という概念がない世界で対訳表なんていきなり提供できるわけがない。
「それでは、こちらとしてもいかんともし難いかと……」
丁寧にお断りしようとしたら、後日、呼び出しを食らった。
高級調度の執務室の中央には、苦虫を噛み潰したような顔をした宰相の息子。その隣には浮世離れした感じの例の高位神官様。
やだなー。バリバリ関係者の直接呼び出しじゃん。逃げちゃだめかな。
「貴様が特務の者か」
はいはい。そうですよ。
面倒な礼儀に則って頭を下げる自分を、茶器を運ぶワゴン以下のなにかだと思っているであろう目で見ながら、彼らは改めて学習教材の開発を命じた。
それは先日お断りしたと、やんわり伝えても、やれのゴリ押し。対象となる方の現在の教育進度やご身分がわからないと、作れないというと、なんと機密保持の誓約書を書かされた。
うーわー、嫌〜っ。
その上で説明されたところによると、リナちゃんは、神託によって王家が保護した聖女様扱いらしい。
「知性はあるようだが、言葉が話せないのだ」
あれ? 日本語は喋りまくっていたような?
「しばしば歌のような鳴き声は発するのだが、まったく人の言語とは似ても似つかぬもので、意味があるとは思えん」
???
「天の御遣いの歌声は嫋やかで耳に心地よいですが、神授の言葉を話せないというのは、何らかの罰か呪いにかかっている可能性もございます。おいたわしい」
おいたわしいのは、てめーらの固定観念だよ! 日本語をクジラの歌扱いすんな。リナちゃんは呪われてなんかいないぞ。……いやまぁ、現在置かれている立場が呪われているようなものかもしれないけど。
「その”歌”でコミュニケーションを取ることはお試しになりましたか?」
彼女の”歌”を宮廷音楽家に聞かせて、楽器で再現させたのだが、彼女はそれを聞いてもなんの反応も示さなかったそうだ。
そりゃあ、適当に喋っているときの音程だけ楽器で再現されても、何がなんだかわからないよ。言語だと思っていないせいで、アプローチが完全に間違っている。
ちなみに、リナちゃんが頑張ってコミュニケーションを取ろうとして書いた日本語の文字も、文字とは認識して貰えなかったらしい。意味不明の抽象文様だって。ユニークな美的センスはある扱いされてた。泣ける。
「御本人に直接お会いできないと難しい案件では? お話を伺う限り、私のようなものがお目通りして良いとは思えませんが」
逃げをうったら、面会許可が出た。
嘘やん。
『あっ!トクムさん。こんにちは。えーっと……』
「聖女様、はじめまして、ご機嫌麗しゅう」
「”はじめまして、ご機嫌麗しゅう”」
習っているであろうフレーズを眼の前で丁寧にゆっくり発音してあげたら、彼女はにっこり笑って、その通りに上手に繰り返してくれた。
よし。我々は、初対面です。
「ほう……リーナがこんなに正確に発音できたのは初めてではないか? 君には教師としての適性があるようだ」
気がついたら、彼女の専属家庭教師として、毎日、みっちり予定を入れられた。そんなぁ。
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