第2話 再ダイヤル
夜10時、それは街のいたるところにある街灯が消え、周囲が闇に包まれる時間である。
この街では常にこれくらいの時間に事件が起きやすいという傾向があり、10時直後は出かけるのを控える暗黙の了解がいつの間にか出来上がっていた。
かつて闇が隆盛していた負の遺産とも言え、尾花にとってはあまり良い心地はしない時間でもある。
準備を終えた尾花は、変質者と間違われないよう、見回りだと分かる為におもちゃ屋のエプロンを着ける。
以前、私服で遅くに出歩いていた際には、おっさんらしくない服のセンスで職務質問にあっていた。
何が悪かったのかいまいち理解できていない尾花だったが、さすがに一日に3回もされたとあっては考えを改める。とりあずエプロンをしていれば職務質問されない為、こういうときの恰好は決まってエプロン姿であった。
10時5分前、すでにタナは寺の前に出ており、その手には木刀と数珠が握られている。
清澄寺は代々、寺にも関わらず剣術を習う習わしがあり、タナもその例にもれず剣を扱える。
なお、数珠は飾りで、代々の風習でそういうものらしい。
尾花は昔、何気なく付けているそれらをカッコイイと思い、譲ってくれないかと交渉したが、清澄寺に入門しないとダメだと追い返されていた。
「よっし! 時間通り。行こう」
おもちゃ屋のエプロン姿のイケオジと数珠を巻いた木刀男。この取り合わせだけで、この街の住人は、たぶん見回りなのだろうとすぐに判断し、家の中から、「あら、誰かと思ったらショージキとタナ君ね。見回りご苦労様」と言ってカイロや缶コーヒー、大福なんかが渡される。
商工会もある程の街なので、メインの通りは夜でも人の目が充分にあるのだが、そこから少し離れると途端に人通りがなくなり、静寂が支配する。
かつては光と闇が拮抗していた街。いまでこそ尾花の活躍で光が注いでいるが、一歩踏み間違えれば闇の部分が襲い掛かる。
それを象徴するような裏路地。街灯も消え、足元も見えづらくなっている為、尾花はリュックから懐中電灯を取り出し、足元を照らす。
普段はこんな時間に通ることのない路地を前に尾花に少しだけ緊張が走るが、そんなことは歯牙にもかけず、タナは変わらぬ足取りで進んで行く。
「そんな、どんどん行くと危ないですよ」
「大丈夫だって。危険なのは指名手配犯。居るなら気配でわかるし。オバケや妖怪が出てくるわけじゃあないし」
「僕は普通に指名手配犯がいきなり出て来る方が怖いですけど、なんだったらオバケとか妖怪の方が良い人の可能性がある分マシだと思っているよ」
尾花はタナから離れないように後ろについていく。すると――
「なにか、聞こえたぞ……」
それだけぽつりとタナが言うと、急に走り出す。
「ちょっ、待って」
タナは路地の曲がり角をためらうことなく曲がる。それを追いかける尾花は曲がり角を曲がったところで止まっているタナにぶつかりそうになる。
「急にどうしたんで――って、誰かいるのですか?」
そこには2人の人物。
一人は、地面に座り込み、何かを楽しそうに眺めている女性。
コートにジーンズとラフな格好だが、なぜかそのジーンズに視線が釘付けになる不思議な魅力があったが、
「う、うぅ……」
呻き声で、尾花の意識はもう一人へと向かう。
その人物は地面に伏しておりどこからか血を流し、助けを求めるように口をパク、パクと時折動かし呻き声を発していた。
「そこの人、怪我しているようですね!? 早く救急車を呼ばないと!!」
尾花が叫び、タナの前に割って入りつつ、エプロンに入ったスマートフォンを取り出す。
その行動を見た側に座っていた女性はおもむろに立ち上がる。
「失礼。その電話、止めてもらってもいいかしら?」
座っていたときには分からなかったが、170cmは超えている長身に引き締まった体はそれだけで威圧感を与える。
そんな女性の口からハッキリとした声音で、確かにそう発した。
「それは、見殺せってことを言っているのですかな?」
尾花の怒気を孕んだ声に一切動じることなく、その女性は応え返した。
「ええ、そう言ったわ。でも、そんなに怒らないで。彼は自分で飛び降りた。そこの建物からね。もしかしたら事故かもしれないけど、自殺の可能性の方が高いんじゃあないかしら? それなら彼の意志を尊重するべきでしょう。 確かに即死じゃないのは不幸だとは思うけど、自殺でも事故でもそこに人の手が入らずありのまま受け入れる。それこそが自然な死だと思うのよね」
ニマニマと恍惚と言ってもいい表情を浮かべている様子は尾花の癇に障った。
「理解できないですね。それに、その様子、死んでいく様を眺めて楽しんでいましたね。そんな方に死生観を説かれるいわれは、ありません」
尾花が119のダイヤルを押すと、
「そう。あくまで私の邪魔をするというのなら仕方ないわね。好みのオジサマだったのだけれど、残念。少し寝ててもらおうかしら」
周囲の空気が一瞬歪んだように見えると、女性の背後にマネキンが立つ。
「
唐突に現れたマネキンはパーカーにニット、アンクルパンツという万人に受けそうな姿をしていた。
マネキンという見た目な為、首から上がないことに違和感はないのだが、それが動き始めると、首がないというのは強烈な違和感と恐怖を煽る。
そんな光景を尾花は呆然と見ていた。
「人様の邪魔をするやつは、馬に蹴られてしまえっ!」
マネキンの足が馬のように変わり、馬と変わらぬ速度とパワーでそのまま尾花を蹴り飛ばす。
「なっ!! がはっ!!」
持っていたスマホや懐中電灯を砕き、そのまま尾花は体をくの字に追って吹っ飛ぶ。
「ちょっ、ショージキさんっ!! お前っ!! よくもっ!!」
マネキンに襲われて吹っ飛ぶ尾花を目で見送ったタナは、すぐに状況を理解し、意識は尾花に向けつつも、視線はマネキンから外さず、ずりずりと後ずさりした。
「この子を見て叫ばないのは助かるけど、そちらの少年はどうするのかしら? このまま立ち去るなら危害は加えないわよ。私はただ、自然のまま死んでいくのを観察したいだけなのだから」
「はっ! くだらない。自然だというなら、人間だって、自然のひとつだろ。俺たちが助けるかどうかも、そう。それに、もう電話は終わっている」
タナはとんとんと耳元を叩く。そこにはワイヤレスイヤホンがはまっており、すでに119に繋がっているようであった。
「……
「あら、あら、やってくれたわね」
女性が操るマネキンがずいっとタナに近づき、その手が首へと掛かる。
「…………ぐっ、うぅ」
「これでも動じないなんて、あなた、なかなか素敵ね。結構気に入ったわ。だから、今日のところは、あなたの死生観に合わせてあげる。それにそっちの素敵なオジサマにこれ以上睨まれても怖いしね」
女性は未だ倒れている尾花に向かってそう言いながら、タナの首から手を離したマネキンと共に闇の中へ消えていった。
「ジョージキさん、……大丈夫か?」
タナは小走りに尾花の元へ安否を確認しに向かった。
「あいたたっ。僕はなんとか大丈夫ですよ。ただ、携帯と懐中電灯がお釈迦ですね」
腰をさすりながら起き上がった尾花はバキバキに壊れた携帯と懐中電灯の惨状を見て嘆いた。
そのとき、救急車のサイレンが聞こえ始め、2人は倒れている男性が搬送されるのを見送る。
「もう、力はないんだ……。年だし、自重しなくてはいけないとは分かっているけど……」
尾花はぎゅっとリュックを握りしめると、歯がゆさに顔を歪ませた。
そんな騒動もあり、この日の見回りは終了するのだった。
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